女妖 2015年6月16日 新文芸坐 1960年大映作品。西条八十の『女妖記』の映画化。監督は三隅研二。 船越英二扮する作家が関わりを持った三人の女性を描くオムニバス。 『白と紫の女』 船越英二が浅草を歩いていると着物姿の女性を見かける。それが山本富士子。行きつけの寿司屋に入ると、山本富士子もあとから入ってきて、折詰の寿司を買う。意気投合した二人は、また浅草の街に出ていく。焼き鳥屋に入ったり、バーに行ったり、屋台の金魚すくいをしたり。金魚すくいでは山本富士子が金魚すくいの池状のケースに落ちてしまい全身びしょ濡れ。 この浅草の街だが、これ、今から55年も前の風景だというのに、あまり変わっていない。とくに雷門や浅草寺は今もこんな感じ。まあ、変わりようがないといえば、そうなんだけど。 その後ふたりはラブホ・・・というより、当時の言葉で言う、連れ込み宿に入り、そういう関係になってしまう。 が、そこからが、あっと驚く展開。この山本富士子の正体が、そんな人間だとは! この人がこんな役をやったなんて、これ一本だと思う。 『黄と黒の女』 船越英二が箱根のロープウェイの中で本を読んでいる。いかになんでもロープウェイに乗って本を読んでいる人間はいないでしょ。絶対に景色を眺めるよなぁ。と、ツッコミを入れたくなるところだが、それはさておき、そこに声をかけてきたのは野添ひとみ。彼女は船越英二の書いた小説のファンだと言う。小田原駅まで一緒に車で移動するが、そこで別れ際に、ファンレターを書きたいという野添ひとみに住所を教える。数日後に届いたファンレターには、一度家まで遊びに来てくれないかと書いてあった。そして永福町の家まで船越が訪ねていくと、実は野添は結核を患っていて、自殺を考えていると切りだす。 これは途中で展開が読める。しかしラストシーンなんか、なかなかよくできている。 『ライトブルーの女』 昔付き合っていた女の娘だという女、叶順子が船越の前に現れる。叶は実は母親から自分の父は船越だと聞かされて育ってきたと打ち明ける。突然現れた実の娘に船越は、昔付き合っていた女の面影を感じる。 ふたりで日光に行くシーンが出てくる。華厳の滝、東照宮。これも今とほとんど変わっていない。あたり前か。 これも展開が読めちゃうのだけど、男として、実の娘だという女性が現れたらと思うと、ちょっとドキドキしちゃいますよね。 三人の女性が実に生き生きと描かれていて、これ、増村保蔵なんじゃないの? と思えたりもするけれど、こういう撮り方が大映のお家芸だったのかもしれない。こういう映画、私、好きですね。 6月17日記 静かなお喋り 6月16日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |