風雲電影院

飢餓海峡

2015年5月5日
新文芸坐

 言わずと知れた日本映画史上の名作と言われる、内田吐夢監督1965年の作品。私は今まで一度も観ていなかった。観る機会はいくらでもあった。学生時代には銀座[並木座]で、繰り返し繰り返しラインナップに載っていたような記憶があるし、テレビ放映もあったはず。それなのに観なかったのは、やはり3時間越えという長さと、いかにも暗そうな内容からだっように思う。それに原作は水上勉。学生時代に何冊か読んでいたが、ちょっと苦手だった。

 今回、新文芸坐、高倉健追悼特集の最後を飾る一本という形での上映で、ようやく「観よう」という気になった。ちなみに高倉健は、この映画の中で、なかなか出てこない。登場するのは3時間もの映画も半分以上過ぎてから。待ちかねたというタイミングで出てくる。この健さんがなかなかいいんだなあ。刑事役を、いい感じでこなしている。『昭和残侠伝』シリーズや『網走番外地』シリーズが始まる直前で、ちょうど脂が乗ってきていたころだもん、悪いわけがない。

 ファーストシーン。津軽海峡の荒波がスクリーンいっぱいに映し出される。例の16mmで撮影したものを35mmにしたと言われる荒れた迫力のある画像。これを観ているだけで船酔いにあったかのような衝撃を受ける。やはりこの映画は、できるだけ大きなスクリーンで観た方がいい。並木座の小さなスクリーンやテレビでなくてよかった。昨年、午前十時の映画祭で上映されただけあって、きれいなプリント。去年も見逃してしまったが、ここで観られてよかった。

 ただ、どうなんだろう。名作と言われ続けて、私の期待が大きすぎてしまっていたせいだろうか? 話としては、「こんな話だったのか」という拍子抜けしたような気持ちが残ってしまった。これはストーリーとしては、戦後流行った、いわゆる社会派ミステリ。松本清張などが発表していたのと大差ない。今ではどうなんだろう、この程度のヴォリュームなら二時間で収めてしまうような内容。人によっては「何もこんなに長くする必要あったの?」と言いだすのではないだろうか?

 しかし、つくづく思うのは、これを三時間の形にして残しておいてくれと実に良かったということ。というのも、物語のテーマが、戦後日本のどさくさと混乱、貧困、そして高度成長期の社会だということ。1960年代というのは、まだまだ終戦直後の風景が残っている頃で、今となっては、あの雰囲気は撮りたいと思っても撮れない。役者だってそう。三國連太郎に左幸子、伴淳三郎、そして高倉健。こういう顔つきの役者は今ではいない。この人たちの代わりに今の役者で誰を使うかと考えたときに、誰も彼ら以上の役者はいないんではないか。戦後のどさくさを体験してきた面構えをした役者は、今では望むべくもない。ちなみにもう全員、故人ということになってしまった。

 圧倒された三時間。本当はラストの青函連絡船の部分が、どうにも不自然で、「それはありえないだろ」と思ってしまったのだが、それに関しては、あえて書かないことにした。あの無理があるラストを差し引いても、これは今となっては、凄い映画を撮っておいてくれたものだという、尊敬の念があるからにほかならない。

5月6日記

静かなお喋り 5月5日

静かなお喋り

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