風雲電影院

ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア(Knockin' On Heaven's Door)

2013年1月21日
三日月座BaseKOMシネマ倶楽部

 余命いくばくかを宣言されたふたりの男が、死ぬ前に一度海が見たいと病院を抜け出して、盗んだ自動車で海を目指すロードムービー。盗んだクルマがたまたまギャングのクルマで、ギャングと警察に追われることになってしまうのが、アクションがらみになって面白い。1997年ドイツ映画。

 『真夜中のカーボーイ』を思い出した。あれは、どうやら死期が迫ったダスティン・ホフマンをジョン・ボイドが介抱するようにしてフロリダ行きのバスに乗るところで終わっていた。一方こちらはふたりとも死を間近にしている。これが最後だと、海への道中はやりたい放題。クルマを盗むのは手始めで、銀行強盗はやるは、酒は飲む、煙草は吸う、女を買う、この世でやりたいことをやりつくそうとする。酒や女や博打なんていうのはいいとしても、クルマの盗難とか強盗となると、私なんかは「違うんじゃないの」と思えてしまう。まあ、そうじゃないと面白い映画にはならないのだろうけど。

 私も一昨年は咽頭ガンで入院して、一命を取り留めたが、そのときに出会った浅田次郎の連作小説『霞町物語』の中の『雛の花』の一篇が、その後に大きく影響している。主人公が少年時代、江戸っ子堅気のおばあさんに歌舞伎見物に連れて行ってもらった事を書いているのだが、そのシャンとしたおばあさんの様子が、まさに江戸っ子はこうありたいという見本みたいなもの。物語の後半、このおばあさんは家族に黙って姿を消す。なんと私と同じ咽頭癌で国立がんセンターにひとり、誰にも告げずに入院してしまうのだ。時代背景は昭和40年代だろうか。もう末期らしく、誰にも迷惑をかけずにそのまま死んでいくところで終わっている。それを読んだ時から、私は死ぬときは、なるべく人の手を煩わせることなく、静かに死んでいきたいと思っている。だから、このふたりの行動にはなんだか違和感を覚えてしまうのだ。

 『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』といえば、ボブ・ディランの名曲。多くのミュージシャンのカバーもある。当然、この映画のラストシーン、海辺に辿り着いたふたりが海を見て座り込んでいるシーンに、この曲が被さる。ボブ・ディランのものではなく、知らないバンドの演奏。ひょっとしたらドイツのバンドのものかもしれない。
 しかし、『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』と言ったら、サム・ペキンパーの『ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯』だろう。老いた保安官とビリー・ザ・キッドが対決せざるを得なくなり、背中あわせになり五歩歩いた所で振り向き銃を撃つ約束をする。1、2と歩き出す老保安官。それをビリー・ザ・キッドは歩き出さないで振り向いて待っている。3歩のところで振り返ってしまう保安官。ビリーの銃口が火を噴く。倒れる保安官。ビリーにひと言「年取っちまって、数を勘定することもできなくなっちまった」。そして川の畔に横たえてくれと言う。死んでいく保安官。川が夕日にきらめいている。そこに流れるボブ・デイランの『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』。あれを見ちゃっちゃあ、もうこの映画のラストシーンは霞んでしまう。

 ちなみに私は『ビリー・ザ・キッド 21歳の生涯』が大好きで、のちにレーザー・ディスクを買ったが、ボブ・ディランの歌がインストロメンタルに差し替えられていてがっかりしたことがある。

 終演後、柏原さんから、ドイツは海があるのは北だけ。南に住んでいる人はなかなか海を見ることはできない。日本みたいに、どこへ行っても海の国では作りにくい話だという説明があった。そうだよなぁ。

 でも、自分が死ぬのはどこでもかまわないが、海の近くか、川が流れている場所の近くで死ぬのもいいかなぁ。

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