風雲電影院

モヒカン故郷に帰る

2016年4月12日
テアトル新宿

 主人公は東京に出てきてインディーズでデスメタルをやっている永吉(松田龍平)。30歳になってもまだ定職にもつかず、恋人の由佳(前田敦子)の稼ぎで暮らしている。由佳の妊娠がキッカケで故郷の瀬戸内海の島に帰ってくるところが導入部。父親(柄本明)に、今は何をして食っているんだと訊かれて、正直に話すと殴られそうになる。なんともありがちな現代のフリーターの若者を描いた映画だなと思っていると、このあと一変した。

 父親が末期癌で余命宣告をされる。ここから話がお涙ちょうだいのものになるとか、永吉が改心して真面目に働きだすとかという方向に行かないのが、この映画の面白いところ。父親に死ぬ前になにかしたいことはないかと問えば、以前食べたピザがおいしかったので、あのピザをもう一度食べて死にたいと言い出す。しかしどこのピザだかは忘れてしまっている。そこで本土から無理矢理宅配ピザを三軒から取るというエピソードが可笑しい。ズラリ並んだピザを見てもどれだかわからない。食べてみてもわからない。でもせっかく宅配してくれたピザ屋さんにお礼を言わなくてはならないと、「これだってことにしましょう」というドタバタには笑ってしまった。

 とにかく余命宣告ものだというのに暗くない。徹底的に死を笑いのめす。こういうのって不謹慎だと言い出す頭の固い人たちもいそうだけど、私はこの映画を支持したい。父親は息子に永吉と付けるほどの矢沢永吉の大ファン。地元中学のブラバンのコーチをしているのだが、矢沢永吉の曲を演奏させて喜んでいる。しかし島の過疎化もあって部員が十人しかいない。「十人でブラスバンドは無理です」と部員から言われるけれど、やってできないこともないかも。楽器は減るけれど、ブラスバンドって、同じメロディーを吹いている楽器が多いから、メロデイーを振り分ければ一応、音楽としては成立するんだから。打楽器だけは三人は欲しいところだけれど、この映画のように、だれかひとりドラムセットに座れば大太鼓も小太鼓もシンバルも問題ない。むしろ『セッション』にも言えることだけど、十人程度の編成でドラムスとベース(ブラバンだったらチューバ)がいれば、指揮者は必要ないでしょ。

 死を目前にして、どうやら父親は認知症も患ってしまったらしい描写がある。実は私の父も母も死期が迫ってきたあたりで認知症になり、自分がもう長くないということも忘れてしまっていた。このシーンを観ているうちに、私は自分の父と母のことを思い出して、なんとも堪らない気持ちになったのだが、もし自分も死が迫ったら認知症になるのもいいなと思えてきた。そして認知症になったら、すみやかに死ねたらというのが本望なのだが・・・。

4月13日記

静かなお喋り 4月12日

静かなお喋り

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