『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』(Extremely Loud And Incredibly Close) 2012年3月15日、錦糸町・楽天地シネマにて 9.11で父親を亡くした少年が、父親の遺品から何かの鍵を見つけ、その鍵に合う鍵穴を捜す話。 9.11の事件で父親を亡くした少年が、自分の中での決着をつけようとする物語ともとれるのだが、なにしろ原作があって、それがどうも文学というものらしくて、なんだか難解で解りにくいところもある。 事件当日、たまたま世界貿易センタービルに居合わせた父親にトム・ハンクス、母親にサンドラ・ブロックと、ビツグネームの役者を揃えての話題作。 物語の流れとしては、序盤は少年と父親の事件前の触れ合いを中心に描いていて、終盤は、それまで遠景にいてよく見えなかった母親が突如という感じでクローズアップされて、映画自体をさらって行く。 いや、なんというか、こういうテーマを持って来られると、正直言って、何も言えなくなってしまう。9.11は実際に起こった事件なんだし、それによって亡くなった多くの人、その家族のことを思うと、この前提は批判を許さないものとして観客の前に提示される。9.11を忘れないというテーマは、パールハーバーを忘れるなというテーマと重なって、私の前に突きつけられる。 序盤のトム・ハンクスの父親と、終盤のサンドラ・ブロックの間の部分を繋ぐのが、マックス・フォン・シドーの老人。少年と一緒に鍵に合う鍵穴の持ち主を捜す手伝いをする。 この老人がまた謎だらけで、それもはっきりとした答を出さないまま映画が終わってしまう。まず老人は言葉を喋れないという設定になっている。耳は聞こえるのだが喋ることはできなくて筆談で会話する。声帯を取ってしまっているのか、なにか精神的なショックで喋れなくなってしまったのかが判らない。そして老人は少年の祖母の家に間借りしているのだが、祖母との関係も判らないが、少年は自分の祖父ではないかと信じている。 このマックス・フォン・シドーの老人がいい。私自身がつい最近、声帯を失うギリギリのところまで来ていたので、余計に特別な感情を抱くのかもしれないが、マックス・フォン・シドー、いいんだなあ。私もこういう老人になりたいという見本みたいな佇まいをしている。 少年は、ひとつ秘密を抱えていて、9.11当日、父親が事件現場からかけてきた留守番電話の記録を持っている。それを老人に聞かせようとするのだが、老人は途中で「やめろ」と筆記して去っていってしまう。今また、過ぎたことをぶり返してどうするんだとでも言いたいように。 老人は自分が喋れなくなった過去を明らかにしたがらないし、少年にも過去に起きたことを、また持ち出すなと告げていてるように見える。この老人の存在は大きい。もう過去の事は持ち出してほしくない。次のステップに行こうよ。それが多くの人の感情でもあるのではないだろうか。 映画は終わってみるとサンドラ・ブロックの母親の印象と、ニューヨーク市民の優しさが伝わってくるという、一応の着地点へ至る。 これに対して私など何も言えなくなってしまう。でもなあ、アメリカ人にはこれでいいのだろうが、うーん。やっぱり何も言えない。 3月16日記 静かなお喋り 3月15日 このコーナーの表紙に戻る |