ソロモンの偽証(前篇・後篇) 前篇 2015年3月12日 TOHOシネマズ日本橋 2015年4月24日 TOHOシネマズ日本橋 宮部みゆきの原作は文庫本で6巻。恐れをなして映画になるなら、それで済ませてしまおうと思っていたら、映画も前後篇の2本になった。それでもこんな長い原作を映画にするのは無茶じゃないの? 2本でも4時間程度。それなら連続テレビドラマにすればいいのに。 そんなことを思いながら、とりあえず前篇を観に行ったのだが、なんだか間延びしたような内容。どうやら原作の半分以上に当たる部分らしいのだが、これだけのことならもっと短く出来るんじゃないの? と思ってしまった。もしかすると宮部みゆきの原作はもっと細かく複雑なのかもしれないけど。 1ヶ月後観に行った後篇。もう前篇は大分忘れちゃったよと思ったら、ちゃんと前篇のことにも触れながら進むから、あまり苦労はしなかった。むしろ、ならもっと短くして一本になったんじゃないの? という気になってくる。それにこの後篇だけでも、またもや間延びしたような内容。もっと短くできたんじゃないの? クリスマスの翌日の朝、中学生の男子の死体が学校で発見される。警察は少年の飛び降り自殺という結論を出すが、生徒たちは納得がいかない。死んだ少年はいじめを受けていた。ひょっとしていじめていた少年によって突き落とされたのではないかと言いだし、学校内で生徒たちによる裁判を行うことにする。 もうこれだけで私など引いてしまう。生徒たちによる公開裁判? もうその発想がわからないし、そんなこと許されるの? しかも疑われている不良少年や学校の先生まで協力して裁判が行われるって、ありえないでしょ。もうこの時点で私はダメ。きっと宮部みゆきの原作では、そういう不自然さが無い様に無理なく書かれているんだとは思うのだけど。 これだけの長さを費やして、犯人は誰かという興味で観続けたのだけど、これはどう考えても、こういう結論に達するしかないでしょと思っていた通りの結末。なんだったんだ? この4時間にものぼる長い空間は。 なんだかね、共感できる人物がひとりも出てこないのだよ。いじめをしていた少年も実に嫌な奴で、最後は反省しているような感じにはなったけど、もともとの原因を作ったのはこの男なんだし、こんな程度で許されるわけはないでしょ。自分勝手で嫌な奴。 いじめられて死んだ少年というのも真相がわかってくると、これまた嫌な奴で、最初は同情していたのが、ちょっと君の性格にも問題があったんじゃないの?と思えてくるし。 この事件の鍵を握るある人物がクライマックスで明らかになるが、君、なんでこんな、中学生による校内公開裁判なんていう回りくどいことに関わって来たの? ほかの人まで巻き込んで真実をさらすなんて迷惑以外の何ものでもないでしょ。もっと手っ取り早く自分が関わったことを公にする方法もあったんじゃないの? ほかにも学校の先生やら、父兄やら、み〜んな嫌〜な人物にしか見えてこない。 やっぱり原作を読んだ方がよかったのだろうか? でも下手すると6冊も読めないで放り出してしまいそうな気がするし、4時間で『ソロモンの偽証』という物語を体験できたのだから、これでよかったのかもしれない。 4月25日記 静かなお喋り 4月24日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |