風雲電影院

男はつらいよ 純情篇

2014年1月20日
三日月座BaseKOMシネマ倶楽部

 1971年正月公開作品。シリーズ6作目。

 以前に観ているかどうか記憶がないままに今回観たのだが、やっぱりこれは初めて観たような気がする。私は映画好きだが、寅さんシリーズは何本かしか観ていない。というのも、とにかく寅さんシリーズというのは大ヒットしていた割に、映画マニアからは評判が良くなかった。あれはそういう時代だったんだねぇ。マニア向けの映画雑誌では、結局、「寅さんは、生き方に甘えている」という批判が集中していた。そんなこと今から考えるとバカな風潮だったのだが、時は70年安保のころで、学生運動も一部で加熱していた。寅さんがどう生きようと勝手じゃないか言える雰囲気じゃなかったからねぇ。立川談志が「落語は人間の業の肯定」なんて言いだしたのは、そのあとの事だが、落語好きの山田洋次は、まさに寅さんで落語世界を描いていたわけだ。少なくともニートになっている生き方より寅さんの方が偉い。

 今の視線で観てしまうと、逆に寅さんという存在は、断捨離を突き詰めた姿で、家も持たず、荷物は鞄一つだけ。そこらのホームレスよりも荷物が少ない。旅から旅へのその日暮らし。ある意味、物欲を持たない、かっこいい生き方のようにも思えてくる。

 この第六作の時点で、寅さんは40歳だという台詞がある。物欲は無いけれど性欲はあるようで、それでもあくまでタイトル通りの純情派。性欲に関してはまだ子供みたいなところがある。今回のマドンナは若尾文子。和服姿の美人。「おっぱいが大きい」という台詞も出てくるが、たしかに和服の中のおっぱいは大きそう。若尾文子の役どころは小説家志望の旦那と別居して、とらやに住み込んで働いている人。寅のことは、面白い人という目では見ているが、まったく恋愛感情は無い。どうも寅が自分に気があるようだと察して、やんわりと自分にはそういう意思はないんだとアピールするかのだが、寅はわからないんだね。そこが子供のまま。そのへんが、1970年ごろの映画マニアの、人によってはじれったくて、「察しろよ」ということになるのかもしれないが、これは映画なんだから。しかも落語に近いコメディ。

 最初と最後に宮本信子が出てくる。1969年に伊丹十三と結婚したとあるが、この映画以前は、テレビドラマに出ていたくらい。彼女が有名になるのは伊丹十三が監督した映画に出始めてからだから、この時点ではほとんど無名だったはず。でもいい芝居してるなぁ。

 のちにおいちゃん役になる松村達雄がスケベな医者の役で出ている。あの時代はやたらと煙草を吸う人が多かったが、この医者、咥え煙草で患者に聴診器を当てている。いかになんでも、そんなバカな。アハハハハ。

 ラストシーンがいい。駅で、さくらが寅を見送るシーン。さくらが「辛いことがあったらいつでも帰っておいでね」と言うと、「そんな考えだから俺は一人前に・・・」って答えて、さらに「なぁ、さくら。ふるさとってやつはさ・・・」と言いかけると騒音でかき消されてしまう。訊きかえすと電車のドアが閉まってしまう。いったい寅が何を言いたかったか不明なのだが、映画の冒頭のナレーションで寅が「ふるさとは遠くにありて思うものとか申します」と言っているから、これが言いたかったんだろう。

 大ヒットシリーズになってしまって、もう世間も松竹も、渥美清に寅さんを望んでいて、寅さん以外の役をやらなくなっていたのが私には惜しいことに思える。寅さんを演る前の渥美清は凄く芸達者な人で、いろんな可能性を秘めていたことを思うと、寅さんファンではない私は残念でならない。

1月21日記

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