風雲電影院

セッション(Whiplash)

2015年5月11日
シャンテシネ

 予告編を観て、「この映画は、あまり観たくないなぁ」と思っていた。観るときっと不快な気持ちになるんじゃないかと思ったから。でもUtamさんから「最後は救いがあるよ」と言われて、急に観たくなって出かけた。

 予告の時から感じていたのだが、この音楽学校の鬼教師フレッチャー(J・K・シモンズ)、ほんっとに嫌な奴。観ていて不快感いっぱい。まあそれがこの映画の狙いなんだろうけれどもね。もう最初の登場シーンからして嫌な奴。主人公のアンドリュー(マイルズ・テラー)がドラムスの練習をしているとヌッと入ってくる。ドラムスを叩く手を止めて「あっ、すみません」と謝ると、「誰が止めろと言った」と威圧的な態度。まったく歯牙にもかけてないのかと思ったら、自分がやっているビッグバンドの練習に来いと言う。

 翌日から練習が始まるわけだが、フレッチャーのやり方は、もうやりたい放題。アンサンブルの音がひとりだけ違っていて不快だと言い出して、パートごとに音を出させる。そんなに耳のいい教師ならパートごとに音を出させなくても、どこのパートの音が狂っているかわかりそうなものなんだけどなぁ。それでどうもトロンボーンが怪しいということになって、トロンボーンのアンサンブルだけの音を出させる。それだけでは特定できなくて一人ずつ音を出させて、中の一人の音程が違っていると罵倒してクビにしてしまう。これってどういうことだろう? まさか譜面を読み間違えて別の音を出していたわけじゃないだろうに。確かにトロンボーンという楽器は音程のとり方が難しい楽器。なにしろスライド部分で音程を変える訳だから、ちょっと前に出すか後ろに引くかで音程は微妙に変わってしまう。同じ管楽器でもトランペットやサックスのようなバルブやキーを押さえたり離したりすることで音程を変える楽器とはわけが違う。しかしこのバンドは鬼教師が精鋭を集めて組んだバンドだ。スライドの微妙な位置の調整が出来てないほどの奏者が混じり込んでいるわけもないだろうになぁ。あとは音合わせの時にトロンボーンの後ろの部分の抜差管の調整ミス。でも、それでも吹いているうちに音程って微妙に変わってしまうものだけどねぇ。それで散々いたぶっておいて、実は犯人は別の奴だなんてぬかす。ようするに気に入らないトロンボーン奏者に難癖つけて追い出しただけなんだよね。

 そして矛先は今度はアンドリューに向かう。テンポが速いの遅いの言い出して、何回もやり直させて、今叩いたのは「今のは遅いのか、速いのか」を判断させて追い込む。これはもうイジメ以外の何物でもないでしょ。素人の私だけれども、これだけで遅いとか速いとか判断は出来ないと思うけどなぁ。

 最初はアンドリューを補欠に付けて、ドラムスの譜面めくりの係にする。やがてドラムスの座をかけてふたりに競わせるのだが、さらにはもう一人加えて三人で争わせる。コンテストに誰を出すかを決めるのだが、合同練習の最中に、ほかのパートのメンバーに休憩させたまま、深夜にまで及ぶドラムスだけの練習。これはないよなぁ。こういうことはドラムスだけのパート練習で指導すればいいことであって、ほかのパートのメンバーを巻き添えにしてやることじゃない。第一、そんな深夜になるまでやったって疲労が増すばかりでいい演奏なんてできっこないでしょ。

 結局アンドリューがコンテストでドラムスを叩く座を射止めるのだけど、その理由というのが、アンドリューがドラムスのパート譜を預かっていながら紛失。本来叩くはずの男が譜面が無いと叩けないと言いだしたからって、これもおかしな話だよなぁ。パート譜が無いと叩けないって、そんなドラムスいるかぁ? もうその時点でアウトでしょ。

 とにかく理不尽で嫌なフレッチャーなんだけど、アンドリューという男も一癖ある人物。なにがなんでも一流のドラマーになるんだという執念を持っている。兄弟が大学のスポーツで活躍していると自慢すれば、そこの大学のスポーツはレベルが低いと皮肉を言う。自分はまだドラマーとして駆け出しなのに、名門音楽学校に入ったことを鼻にかける。フレッチャーに追い込まれれば、もう24時間ドラムスのことしか考えている余裕は無いと、彼女と別れてしまう。嫌な奴というか、勿体ないというか。

 コンテスト当日。バスの事故で間に合わなくなり、レンタカーを借りて会場に向かうが、急いでいたために交通事故。ステージに上がるも怪我をしていて演奏はボロボロ。それが元でクビ。一方でフレッチャーも度を超えた指導をしただろうと言われて音楽学校の教師の職をクビ。

 もうすっかりドラムスから足を洗ったアンドリューだが、ライヴハウスでピアノを弾いているフレッチャーと再会。今やっているビッグバンドでドラムスを探しているから来ないかと誘われ喜んでしまうが、これが罠。演奏会に行ってみれば、最初の曲は知らないオリジナルナンバー。ボロボロの演奏になってしまう。どうも指導方法を学校側にチクったのはアンドリューだと疑っていて、その復讐らしい。ほうら、やっぱり嫌な奴だ。でも自分の指揮するコンサートをこんな形にしてしまって満足なの? うちひしがれたアンドリューは楽屋に去っていく。ねえねえ、どうするの、ドラムス無しでビッグバンドの演奏を続けるわけにはいかないでしょ。これはもう、アンドリューもフレッチャーも無責任で自分勝手な嫌な奴だとしか言いようがない。

 どうするんだろうかと観ていると、アントセリューは舞台袖からツカツカとドラムセットに戻ってくる。「次の曲は『キャラバン』です」とフレッチャーが告げるや、フレッチャーを無視して突然ドラムスを叩きだす。「おいおい何やってるんだ」というメンバーやフレッチャーを無視して、「合図を出す」。なるほど指揮者無視で突然自分が主導権を取り、ドラムスから始めてしまおうというわけだ。これって異常事態。いかにジャズだからって、こんな勝手なことをしちゃあいけない。やはり一定の秩序ってものは必要だと思うなぁ。荘いう意味ではアンドリューという男が私にはますます嫌な男になるばかり。

 いやね、このバンドの演っているビックバンド・ジャズ。こういうスタイルがお好きな方もいるのだろうから否定はしません。ただ私にとってはクソみたいなバンドに思えてしまう。どのパートのプレイヤーも譜面通りに演奏して、それ以上のことをしないつまらないバンド。まあフレッチャーによって勝手なことをしないようにさせられてるのかもしれないけれどね。でもねぇ、こういう指揮専門の者がいるビッグバンド・ジャズっていうのはかなり少数派でしょ。グレン・ミラーにしろベニー・グッドマンにしろカウント・ベイシーにしろデューク・エリントンにしろ自分で楽器を演奏しながら指揮をするものだ。クラシック音楽じゃないんだから、キッカケだけ与えれば、あとはリズムはベースとドラムスがキープしてくれるわけだから指揮者なんていらない。ビッグバンド・ジャズにおいて指揮専門なんいう役割は不要なんだから。

 つまり、指揮専門の男なんてこのスタイルのバンドに不要だって、アンドリューが乗っ取っちゃうわけですね。まあそれはそれで痛快ではあって、フレッチャーが近づいてきたとき、アンドリューがフレッチャーに言った言葉は「合図を出す」と字幕には出たけれど、私の耳には「I will Kill you (殺すぞ!)」と聞こえたけどねぇ。それでやりたい放題にドラムスを叩きだすわけだけど、これ、独りよがりのプレーで面白みがない。ただひとりで暴れまわっているだけなんだもの。ジャズっていうのは個性のぶつかり合いという側面もあるけれど、かといってそれじゃあ全員が好き勝手やってもいいというわけじゃない。ある秩序が無いと音楽にならなくなってしまうわけだからね。だから、結果としてアンドリューはフレッチャーに勝ったわけだけど、音楽というフィールドの中では自分勝手なことをしただけのやつにしかならない。

 というわけで、今回私にしては長い文章になってしまったけれど、この映画、面白かったことはバツグンに面白かったし、もう一度観たいという気さえする。ただ、好きか嫌いかというと、やっぱり好きにはなれない映画なわけで、この自分の中で矛盾する感情をどうも整理できないままでいる。

 余談だけど、私の理想とする大人数のジャズの形は、やはり、渋さ知らズだろうなぁ。ここは大人数での個性のぶつかり合いが魅力なバンドだけど、指揮者ならぬダンドリストという役割を不破大輔がやっていて、この人が交通整理をすることによって成り立っている。アンドリューも一度、渋さ知らズに入ってみたらど゛うだろうか。ウフフフフ。

5月12日記

静かなお喋り 5月11日

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