ホワイトハンター ブラックハート(White Hunter Black Heart) 2015年4月4日 NHK−BS放映録画 1990年、クリント・イーストウッド主演、監督作品。 封切りの時、どこで観たのかよく憶えてないのだが、確か小さな映画館だったような気がする。クリント・イーストウッドが主演したアフリカ・ロケ。どうやらサファリのシーンやら急流下りノシーンもあるらしいのに、なんでこんなに扱いが悪いんだろうと思いながら観に行ったのを憶えている。観終ったあとの感想は、「えっ!? これで終わりなの?」という、なんとなく拍子抜けした感じ。スカッとしたアクション映画を期待した人たちは不満顔で帰って行ったのではないだろうか? ひっそりと公開されたのも無理は無かったのかもしれない。私は、ラストシーンの意味を考えながら映画館をあとにし、なんだかよくわからない映画というレッテルを貼ったまま、そのうちにこの映画のことは忘れてしまっていた。 というわけで、25年ぶりに観たことになる。これは『アフリカの女王』を撮っていた頃のジョン・ヒューストンがモデルの映画。とにかく変わっていたのは、クリント・イーストウッドが実在の人物になるという奇妙な構成。それまでのクリント・イーストウッドは、どの役もあくまでもフィクションであり、絶対的なヒーローだった。観客は、どこまでもクールに活躍するクリント・イーストウッドのヒーローを追っかけて行けばいいのであって、彼の行動の良い悪いなんていったことには目を向ける必要は無かった。ダーテイー・ハリーがいかに過剰な正義を振りかざしても、それはそれで、「いいぞ、いいぞ」と胸躍らせていたのだ。それが、「えっ!? ジョン・ヒューストン監督の役?」とう戸惑いがあった。今でこそ、彼がそんな映画を撮ったとしても何の不思議もないが、当時はかなり異様こととして受け入れられたのだという気がする。 実際のジョン・ヒューストンという人の性格は知らないが、こういう形で映画化されたとなると、かなりこの映画に近い人物だったのだろう。この映画の中ではジョン・ウィンストンという名前にしている。天才的な監督の奇行というのはよく聞かれることで、ウインストンは『アフリカの女王』の撮影を全篇アフリカロケでやると主張。プロデューサーらの反対を撥ねつけてしまう。アフリカに乗り込んでからも、ロケハンすらそっちのけで、象狩りに熱中し、撮影はいつ始まるかわからない状態。そんな中、いくつか事件が起こる。ユダヤ人嫌いの男と口論になったり、黒人嫌いの男と殴り合いになったり。この殴り合いで、あっさり負けてしまうのも、それまでのイーストウッドらしくないし、この男と再び闘うシーンがあるのかと思えば、それもない。とにかく人種差別を憎むキャラクターだということだけは伝わってくる。さらに撮影を放っぽって、急流下りやハンティングのシーンもある。かなり無茶な人物で、やりたい放題のジコチューな面が全開で描かれていく。 そして、いよいよ問題のラスト。撮影の準備はすべて整い、あとは監督の「アクション!」の声を待つのみというところで、象の群れが見つかる。撮影を無視してライフルを持ってハンティングにでかけるウィンストン。象を目の前にしてライフルを構えると、象は小象を守ろうとしている。その姿を見てウィンストンは引き金を引けなくなってしまう。ウィンストンに襲い掛かろうとする象。ウィンストンを守ろうと現地のガイドの黒人は犠牲になってしまう。現地の黒人たちは太鼓の合図で仲間にこのことを知らせる。「白人のハンター(ホワイトハンター)、悪魔の心(ブラックハート)」。これはどういう意味なんだろう? あくまで象狩りのために雇った現地の黒人なのだから、象を殺そうとしたことではなく、黒人のハンターガイドを守れず、引き金を引けなかったことへの非難なのではないか。 がっくりと落ち込んで、デイレクターズ・チェアーにへたり込んで、弱々しく「アクション!」と声を出すウィンストン。これはそれまでイーストウッドが見せていたものとはまったく別の姿だった。 興行的に成功したのかどうかはともかく、イーストウッドのターニングポイントになった映画だったことは確かだろう。 4月5日記 静かなお喋り 4月4日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |