February.24,2002 懐かしい場所で懐かしい噺

2月23日 らくご in 渋谷 柳家小ゑん独演会 (渋谷 ZA HALL)

        何回も書くようだが、私は先代文楽、円生が亡くなった時点で古典は終わったと思っていた。その思いあがった根性は、昨年志ん朝が亡くなったときに、「もう落語は終わった」と最近寄席に通わなくなった連中が偉そうにのたまわったのに似ていた。実は寄席では、古典を新しい解釈で演じようとしている人たちが続々と登場していたことを知らないで。そのときの私はといえば、一応の古典は聴き尽くした気になっていた。もう古典はどうでもいい。これからの落語は円丈一派の率いる『実験落語』さえ聴いていればいいとまで思っていた。定席にはまるで興味がなく、ひたすら[渋谷ジャンジャン]にだけは通っていた。その中でも一番のお気に入りは、柳家小ゑん。メルヘン落語も好きだったが、おでん、寿司、回転寿司などを題材にネタにしたグルメものが私にぴったりときた。

        そんな小ゑんが、またかつてのジャンジャン、今は喫茶店[ルノワール]で独演会を演るというのいで出かけてみようという気になった。懐かしい渋谷の教会の地下への階段を下る。なるほど、半分が[ルノワール]だが、もう半分が劇場というスタイルになっている。木戸銭を払って中に入ると、そこは作り付けの椅子ではなく、パイプ椅子が並んでいる空間。以前のジャンジャンは劇場としては演りにくそうな空間であったが、このホールも不思議と演りにくそうな構造になっている。なんと舞台が客席よりも低い位置にあり、しかも客席が前の方はともかく、後ろには坂がなく、前の人の頭が邪魔になって見難そうな予感がしてくる。

        幕が開くと、やたらに高い高座が現れた。なるほど、そうしないと演者が見えないもんね。小ゑんの一席目は、この会の構成担当の木下真之書き下ろしの新作ネタおろし『アルバム 85』。「人が書いたものを演るといのは気楽なんです。受けなかったら原作が悪い。受けたら芸の力」と始めたのは、どうやら木下氏の青春時代の体験談。長野の高校に通うシゲルは写真部員。そんなシゲルがほのかな恋心を抱いているのは、帰国子女のマユコさん。口下手で引っ込み思案のシゲルは、とても声もかけられない。付き合えないまでも彼女の写真を撮りたい。そんな彼が案じた一計は、卒業アルバムの編集委員になること。見事編集委員になったシゲルは、部活の写真を撮りまくる。もちろん、マユミさんの所属するバトミントン部も。卒業アルバム完成が近くなったある日、マユコさんがシゲルのもとを訪ねてくる・・・。誰でもが経験したような、ほのかな青春の1ページ。おもわずニコッとするようなオチが付いていて、甘く切なく、ほろ苦い過去の記憶が甦ってきてしまった。

        仲入り前というか、ひざがわりというか、ここでゲストの雅月(まさつき)さんによる歌のコーナー。薄紫の着物に髪を金髪に染めた女性が出てくる。児島由美の名前でシンガー・ソング・ライターもやっている彼女は生田筝の名取りでもある。自作の『bloom in the hometown』と『otokotomodachi』をカラオケで歌ってくれた。東洋と西洋がミックスされた不思議な音階に、うっとりと聞き惚れてしまった私だった。

       仲入りを挟んでの二席目は、1985年にフジテレビの深夜枠『らくご in 六本木』で放映されたという小ゑんの『人形の家』の再演。児島由美と3人患者改め、雅月とKOPERNIKSとの共演だ。この番組、当時私もよく見ていた。若手の古典など見たくも無いという傲慢でおごり高ぶった態度をとっていた私だから、古典を演る人は見なかったけれど、小ゑんとくれば見ていたはずなのだが、この噺、まったく憶えていない。幕が開くと、下手に雅月の琴、上手に男性ふたりがギターやパーカッションを前にして控えている。中央が小ゑんの高座という構成だ。

        雅月の♪あかりをつけましょ ボンボリに・・・きょうは小ゑんのひなまつり・・・ の歌から落語が始まる。おかあさんと娘が雛人形の飾り付けをやっている。台はないので、茶箱や本、雑誌を積み上げて台の代りにしている。娘の愛読書『花とゆめ』『別冊マーガレット』だけでは足りずに、おとうさんの書斎から持ち出した、もう読まなくなってしまった『円生全集』や、愛読書の『週刊大衆』『週刊実話』『アサヒ芸能』『エロトピア』を積み上げる。お雛様を飾り付け、娘の希望でミッキ―・マウスのぬいぐるみまで乗せて完成したその夜、人形たちが目覚めて動き出す・・・。

        小ゑんらしいメルヘンの世界だ。すっかり小ゑんマジックに浸ってしまった私だが、気になってしまったのは、この噺、それだけのことなのである。動き出したお雛様たちの宴会の様子は確かに面白いのだが、それで終わってしまったのが私には物足りない。終盤に何か起こってもおかしくない噺なのである。それらしき伏線のようものがチラチラと見えるので、いろいろと想像してしまうのだ。今年で捨てられてしまうふたつのお雛様、ミッキーマウスの人形etc. もっと大きな展開があってもよかった気がするのだが。それと、せっかくバンドを入れたのだから、もっと全編に活用して欲しかった。バンドの出番が少なすぎる。小ゑんが笛を吹くところがあるのだが、ここにもバックを入れて欲しかったし、五人ばやしが起きだして演奏を始めるところだってバンドを活用できたろうにと、もったいなく思ってしまった私だった。


February.23,2002 清水宏のパワーライブだ オラオラオラ!

2月17日 清水宏のサタデーナイトライブ14 CRAZY RIDING (ザ・スズナリ)

        オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ!オラ 花粉症だオラッ! 春だ、杉花粉だ! 数千万本の千年杉だ! 万年杉だ! 何言ってマンネンだ、オラ! それはいきスギだ! 花粉飛びまくりだオラッ! 鼻水ダラダラだオラッ! 痰一斗 へちまの水も 間に合わず―――ってそれは結核だ! 鼻水一斗 鼻炎薬も 間に合わずだオラッ! クシャミだクシャミだ! うえっくしょん、うぇくしょん、うえっくしょん、うえっくしょん畜生!! くそー、くしゃみが止まらないじゃねえか畜生! 眼の痒みだ、真っ赤ッかのウサギさんだ! エスエス製薬だ! 涙ポロボロだあ! 想い出もボロボロだあ! もうオレの人生ボロボロじゃねえか! 清水だ!清水だ!清水だ! 清水宏保じゃねえ! ソルトレイクじゃねえ! 清水宏だ! 下北沢だあ! いくぞいくぞいくぞ! ドワーッと行くぞ! 団体で行くぞ! スズナリ貸し切りだー!

        って、清水宏のことを書こうとすると、どうしても粗暴になってしまうんだよね。清水宏なる人物を初めて知ったのは、去年小宮孝泰のひとり芝居『接見』を見た帰り、居酒屋でのウチアゲに紛れこんだときのこと。その時点で私はこのタレントの舞台を見たことが無かった。のちに舞台で大暴れしている清水宏を見たときには、あのウチアゲでの静かな印象は何だったのだろうと呆然としたものだった。去年の夏の『パンタロン同盟』で、ラサール石井も、小宮孝泰も、春風亭昇太をも影を薄くさせてしまった清水宏の存在は、強烈な一撃となって私に残った。そして今年の正月の『落語ジャンクション』だ。このぶち切れ具合はどうだ。舞台の上に立った清水宏は、はっきり言って[危険人物]というレッテルがぴったりくる。そんな清水宏のワンマンショウ。べつに団体で行ったわけでもなく、ひとりでこっそりと出かけた。清水宏を見に行こうなんて言ったら、友達を無くしかねない。

       今回のライブは、原案者付き。その豪華な顔ぶれを渡されたチラシで見て、唖然。これはなかなかあなどれないぞ、清水宏。

『夢見る少女』(ケラリーノ・サンドロビッチ)
       [ナイロン100℃]のケラリーノ・サンドロビッチの原案のこのひとり芝居は、アイドルの追っかけ少女役。竜巻というグループのノジリッチこと野尻くんの追っかけをやっているルミちゃん、髪を三つ編みにして、ヒラヒラの衣装を着ている。ちょっと舌ったらずな口調で、一方的な追っかけ行為はほとんどストーカー。ノジリッチの自宅マンションに侵入するは、テレビの収録現場には押しかけて騒ぎまくるは、コンサート会場で暴れまわるは、大騒動。自己中心、自己陶酔型のキャラというのは清水にぴったりはまっていた。

『お絵かき』(君塚良一)
        あの名作『踊る大捜査線』の脚本家君塚良一の原案だ。ベレー帽を被ってスケッチブックを持った清水が登場。今度は絵描きという設定。「さあ、きょうはお花畑に来てみました。この中からひとつ選んで絵を描くぞー!」 客席の観客を花に見たてている。「どれにしようかなー、なかなかアクの強い花が揃ってるぞー」 これは客いじりのコーナー。危険、危険だあ。まず標的にされたのが、花粉症なのか大きなマスクをした男。「一流の絵描きともなると花と話ができるといいます。話してみようかなあ・・・こんにちは」 そうしたらこのお客さんも「こんにちは」 「真に受けているよ、この花」 次に標的にされたのは髭を顎に蓄えた男性。この人は毒キノコ扱い。サラサラと短時間で似顔絵を描いてみせた。相手の特徴だけをつかんでなかなか上手いのだよ、この絵が。

フリートーク・塾の先生
        何かアルバイトをやってみようと、塾の先生になった体験談。実はこれが一番面白かった。小学生相手の塾に応募したらスンナリと雇ってもらえる。教頭先生にまず言われたのが、教える上での三ヶ条。1.生徒を退屈させない。2.生徒に媚びない。3.締めるところは締める。まずは先輩の西原先生(仮名)の小学校5年生の授業を見学に行く。そこはもう子供たちのやりたい放題の空間。教室に入ってみると地鳴りがする騒がしさ。黒板には西原先生のアダナである河童の絵が描かれている。「おい、カッパ! カッパカッパカッパ! ふざけんなカッパ! キモいぞ、カッパ」 そこでは最低限と思われた三ヶ条をひとつも守られていない授業が行われていた。すっかり舐めきられた27歳の西原先生とワルガキの様子が活写されていく。ほんとかあ? 今の教育現場って、そんななの? 

        いよいよ清水が教える機会がやってくる。ジュニアクラス、小学校低学年と幼稚園年長組相手のクラスだ。「このクラスはまだ人間じゃありません。人間になる前の物体です」と言われ何するものか、テンションならこっちは負けないぞと教室へ行ってみると、もう想像を絶する状態。席から離れて暴れまわっている子供たちをようやく席につけて授業を始めようとすると、こんどは一斉に襲いかかってきて、清水の体をつまんでガブリンチョ攻撃。九九を教えても絵本を読んで聴かせてもうまくいかない。塾の先生は頭を使う仕事だと思っていたが、体だけを使う仕事だったという話を30分かけて爆笑させてくれた。清水のこのフリートークの話術は実に巧みだ。口調としては、林家彦いちのものに似ている。どちらが先に開拓した話法なのか謎だが、実にパワーがある話し方だ。

『ヒーロー、実家に帰る』(宮藤官九郎)
        大人計画の宮藤官九郎というよりは、今や映画『GO』やTVドラマ『木更津キャッツアイ』の脚本家として知られる才人の原案。怪獣と戦うウルトラヒーローが実家に帰ってきたという話。清水の役はヒーローのおとうさん。ズーズー弁のおとうさんの悲哀が伝わってくるシンミリした話。

『受けないギャグを客に噛み付く男』(明石家さんま)
        「ぼくはきょう三日分のスーツを持ってきているんだ。これがそのスーツなんだけどね」 客席は呆然としてシーンとしている。これで笑う人がいるのだろうか? 我々にはまったく理解できないアメリカンジョーク。派手なスーツを着て出てきた清水は今度はアメリカンジョークを演る芸人。「どうして笑わないんだ! アメリカ人はこれでギャーギャー笑うんだよね」 タイトル通り、受けないジョークをかまし、客席に乱入。受けていない客に絡む絡む。危ない清水宏が顔を出す。さんまが昔演ろうとしてうまくいかなかったというネタ。清水の危険さがあって甦った。

『がんばれ日本』(忌野清志郎)
        経営が行き詰まってしまっている山岡工務店。そんな中、お台場のネオ東京タワーの天辺にパラボラアンテナを設置する工事を受注する。工期は3日。しかも工事の仕事をするのは、社長とイラン人のハッサン、中国人のチャンの3人だけ。工事は難航を極めて作業は進まない。清水版の『プロジェクトX』とも言うべき感動編。雪になるとの天気予報の中、強風を浴びながら力を合わせてアンテナを取り付けようとする3人の姿に感動を覚えた。これはひとり芝居というよりも、立体落語とでもいうもの。RCの清志郎、作家としてもいけるんじゃないの?

シンバル漫談
        アンコールのような形で行われたコーナー。シンバルを持って出てきた清水が、いろいろと怒りをぶつけるシンバル漫談だ。「お手伝いの女の子ー! 『飲み物をを買ってきてくれない? 本番前に咽喉が涸れるといけないから』 買ってきました。ビール4本。おいおい、早くもウチアゲか? バカー!」 「『愛の貧乏脱出大作戦』のデブの親子ー! みんなデブなんです。おかあさんデブ、おとうさん大デブ、子供デブ。『うちね、食費が一ヶ月一万円なんです』 間違えだ、バッカヤロー! 台無しだあ!」 そうなんだよね、あの番組に出てくる生活に困っている飲食店の人たちって、なぜかみんな太ってるんだよね。

        本公演のアンケート紹介。「『もっと地に足のついたものをじっくりと見てみたいものだ。大人の演芸を期待したい。 27歳無職』 お前に言われたくねえや! お前がまず大人になれ! 働け! バカ! いやいや、ありがとうございます!」

        清水宏の舞台を見ると、清水のパワーがこちらに移ってくる感じがする。ウッリャー! シミズー! 面白れえじゃねえかよー! よーし!よーし!よーし!よーし! 帰るぞオラ! でもまた見に行ってやるからなー! 今度はどこで演るんだー!? 原宿か!? 新宿か!? それともアラスカかあ!? 上等じゃねえか! アラスカ行ってやろうじゃねえかオラ! 手拍子だ手拍子! 倍速行くぞオラ! オラオラオラオラ!!


Feburary.17,2002 夢丸の新江戸噺し・その2

2月16日 池袋演芸場二月中席

        今回も300円お得な昼席仲入り前から入る。目的の夢丸新江戸噺まで六時間の長丁場。気負わずのんびりと見ようと決心し、椅子に腰掛けてのんびりと高座を見つづける。

        入ったのは今回も二時二十分。キャンデーブラザースが曲芸を演っていた。ふたつの毬とひとつのバチを使ったジャグリングで、毬が落ちて客席にコロコロ。お客さんが拾っている。その直後に今度はバチを落とす。どうしたんだろう今日は・・・。そうしたら、傘の上で輪を回す曲芸でも輪を落とす始末。どーしたのー。

        三笑亭茶楽は『寝床』。商家の旦那風の容貌がこの噺に合っている。義太夫を無理矢理に聞かせようという旦那に仮病の言い訳。トモどんの言い訳は眼病。涙は熱を持っていけない、眼病の者は義太夫を聴いてはいけないと医者に言われた―――って、そんなの有りかあ? 私は緑内障やっちゃったけど、涙流して外に水分流した方がいいんだと思うけど・・・。

        仲入りがあって幕が開くと、パイプ椅子と簡単な机が置いてあった。春風亭柳桜の出番なのだが、足の具合が悪いのだろうか? 説明のないままに話が始まってしまった。「仲間六人ほどで話していたんですが、夜、かみさんと一緒に寝るというのは六人中五人でした。あとひとりは一間しかないっていう奴。もう手を前で組んでガードして、ツタンカーメンみたいになって寝ている。女房に夜触られたりすると『何するんだ! 子供でもできたらどーする!』」 浮気がバレた小噺をいくつかして『風呂敷』へ。亭主の留守の間に男を引っ張りこんだ女房。そこへお決まりの亭主の帰宅だ。押入れに男を隠したものの、その押入れの前に酔っ払った亭主がどっしりと胡座をかいて動かない。「あなた、早いからもう寝ましょうよ」と女房が言っても、「早いから寝ましょうなんて一緒になって二月くらいまで。だれが相撲取りみたいになった相手と昼間っから寝るかい」―――って、そんな女と間男した相手って・・・!

        桂伸乃介。ああ、にゅうおいらんずのキイボードの人ね。ネタが『ろくろ首』。夜になると首が伸びるお嬢さんと結婚した与太郎、案の定夜になってお嬢さんの首が伸びてアンドンの油を舐めると「のびたのびたー!」と逃げ出してしまう。「ドラえもんじゃあるまいし!」 その割には、初夜の契りは行った風なのだからこの与太郎さん、まんざらバカでもないらしい。

        松旭斎小天華の奇術。こうやって毎週のように寄席に通って奇術を見ていると、なんとなくタネとか仕掛けはわかってくる。ロープやスカーフの奇術は、ちょっとした手際で騙すものが多いようだが、それが実に鮮やかなのだ。小天華も種明かしをしてくれたが、できねーよ、そんなの!

        昼のトリは春風亭柳橋で『試し酒』。五升の酒を呑めるかと賭けに挑戦した男が見事に飲み干してしまう噺なのだが、柳橋の飲み方は実に豪快だ。最後の一升は「こんなものを呑めなくてどうするー!」と一気呑み。よい子は真似しないよーにね。

        さあ夜の部突入。前座が三笑亭朝夢の『寿限無』なのだが、ピカソも長い名前だったというのを披露。パプロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・バウラ・ファン・ネポムセノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアノ・デ・ラ・サンテシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ。一度言ってみて、次にスペイン語風の発音で繰り返してみせた。客席から大きな拍手。山下洋輔が、これを使って『寿限無』と『ピカソ』を演ったの知ってる? 

        三笑亭正夢は『壷算』なのだが、肝心の「三円と三円で六円になるだろう。それじゃあ、これ持っていっていいんだな」というところで客の反応が少ないので不安になったらしい。「お客さんの中で、わかっておられない方がいるようで・・・」 そんな時に間が悪く客席からケータイの着メロまで流れてしまう。「ほうら、ケータイまで鳴ってる。ここでドーッくるところなのにー」 正夢くん、それは噺の持って行き方なんじゃないのかなあ。上手い人が演ると確かにドーッと来るんだよ。工夫しようね。

        「土曜日、たくさん来ていただきまして、中満員でございます」 橘ノ好円が言うように客席は満員じゃあない。三〜四割の入りといったところか。五月に真打昇進が決まったという好円。三遊亭円馬を継ぐそうだ。「午年に円馬が復活することになります。女房が午年。ひのえ午ですがね。私の産まれたのが船橋で本名が中山。運命的なものを感じますね」 ネタは『手紙無筆』。

        江戸屋まねき猫は雄鶏の物真似から入り、お得意のメンドリが卵を産む瞬間のリアリズム演技。一昨年結婚をしたこと。その直後に母を肝臓癌で亡くしたこと。そして父猫八が去年の暮に亡くなったことをしんみりと話す。生前父が「死んじゃったものはしょーがない」と言っていたことを語り、これからの決意をさりげなく見せてくれた。そして新作のカッパの鳴き声。文献によるとカッパは赤ちゃんのような鳥のような鳴き声だそうで、高くヒー、そして低くヒョーと鳴くらしい。山深い寺の境内で犬と猫がカッパの鳴き声を聞いて逃げたすというシチュエーションを演ってみせてくれた。まねき猫、新境地とみた。

        「大きなことを言うようですが、今や春風亭柳昇といえば・・・私ひとりでございましてー」 いつものツカミだ。先日父と話していたら、昔はこの人「天然パーマの柳昇です」とやっていたと言う。「ウチは家庭円満ですよ。秘訣は毎日『愛してるよ』って言うこと。そんなこと言えないと思うかもしれないけど、訓練で言えるようになります。私は三日に一度嘘をついている。美容院へ行ってきた日や正装をした日には『今日はきれいだね』って言う」 [今日は]ってところがミソだね。ネタは手馴れた『結婚式風景』。

        柳亭楽輔は『天狗裁き』。楽しそうな夢を見ていた亭主に、どんな夢を見ていたのか聞き出そうとする女房。夢なんか見ていないと主張する亭主に、隣人、大家まで聞き出そうとするが、男はあくまで夢なんて見ていないと繰り返す。やがて奉行に訴え出るが奉行にも夢など見ていないと繰り返すだけ。さらには天狗が出てきて、どんな夢だっんだと訊く・・・。この噺、ぶっ飛んでいると思うんだけど、人の夢の話ってけっこうつまらないものが多いんだよね。きのう見た夢って、本人だけが面白がって、聞かされる側には苦痛だったりする。

        太神楽・鏡味正二郎。この人、すっかり安定した芸をするようになった。安心して見ていられるんだよね。五階茶碗での扇子をバチとバチの間に挟んで扇子だけ落とす曲芸ではVサインなんてしちゃって、余裕余裕。

        春風亭柳好。「上野のケーキ屋さんが不景気で、ショートケーキの上に乗っているイチゴを麩に変えて、これが本当のフケーキ」 ありゃりゃ、ネタにもう『長屋の花見』を演ってるよ。まだ早くないかい?

        三笑亭夢太朗は『阿武松(おうのまつ)』。おまんまが大好きな相撲取りの話。これ、円生でよく聞いたっけなあ。いけねえ、、腹減ってきちゃったよ。

        仲入りだけど、お弁当買ってきてない。腹減ったなあ。なんとしてもトリの夢丸の新作を聴くまでは帰れない。よーし、終わったらおまんまだあ!

        「今、一番ネタを多く持っているのは円窓師匠。五百席あるそうです。私はというと四百九十九席。ただし落語全集などを見ないで演れと言われたら三つ」 三笑亭恋生は『長屋の花見』どころではない真夏のネタといえる『ちりとてちん』だ。外は50℃60℃だったり、70℃80℃だっりする。幇間のようなヨイショのタケさんも騒々しいが、知ったかぶりで無愛想なトラさんはヤクザみたいに怖い。腐った豆腐に一味唐辛子を混ぜたものを食わされるトラさんの悶絶の表情が、ちょっと今までにないくらいにオーバーで可笑しいのなんのって!

        講談・神田陽子は『松山伊予守・無筆の出世』の一席。無筆であるがゆえに命を落とすところだったのが、故あって命拾い。そこから勉学にいそしみ勘定奉行にまでなった男の一代記だ。惜しむらくは、ちょっと時間が短かったのだろうか、エピソードの羅列から話が盛り上がってこない。唐突に終わってしまったという印象しか持てないのは残念だった。おまけに『深川』を踊ってくれるよりも、もっとじっくり演って欲しかったというのが正直な感想。

        ひざがわりが音曲・松乃家扇鶴。♪日本銀行へ身延山と金毘羅さんがお金を借りに行ったとさ そこで銀行の言うことにゃ 身延山は甲斐の国 金毘羅さんは讃岐の国 甲斐讃岐(かえさぬき)ならお断り って、可笑しいねえ。「男は女の鼻にかかる声に弱いの。『捨てちゃいっやーん』 はい、みなさんご一緒に」

        「せめてや寄席に残せ江戸の風」 トリの三笑亭夢丸、新江戸噺が始まった。この日は『小桜』。十五両もの店の金を使いこんだ若旦那、勘当されて今や地紙売りの身の上。吉原を通りかかると、馴染みだった店から呼び止められる。持っていってもらいたいものがあると言われるのだが、それがなんと死んだ花魁・小桜の幽霊。器量はよくなかったが気立てのよかったこの小桜の幽霊と歩くうちに、身投げをしようとしている若い女性を助けることになる。この女性は大店のお嬢さん。縁談が決まったものの自分が富士山が火を吐くようなイビキをかくのを苦にしている。「人が人を好きになるっていうことは、キズまでもひっくるめてその人を好きになるということなんだよ」と諭す小桜の言葉に納得したお嬢さん。家に送り届けると、十両の礼金がもらえる。これに味をしめた若旦那、小桜の幽霊と一緒に身投げの助け屋なるものを始めるが・・・。伏線を張ってあったものが決まって大団円。感動的なラストシーン。『さくらさくら』の三味線のメロディーに乗って小桜が去って行くところでジーンと来てしまった。春の吉原、さくらの吉原。ああ、目に浮かぶようだ。

        春はまだかい? 外に出るとこの日はちょっぴり暖かい。腹減ったなあ。今夜はラーメンじゃなくておまんまって気分。牛丼にしようかな。


February.16,2002 昼の中トリから夜の中トリまで

2月10日 池袋演芸場二月上席

        池袋演芸場の料金体制は不思議なことになっている。昼の部が2500円で、夜の部が2800円。ところが昼夜入れ替え無しだから、昼の部から入っていれば夜の部も引き続き見られる。厳密に言うと、昼の部の仲入り前に入っていれば2500円、仲入り後に入ると2800円ということになる。以前、名画座といわれる三番館などで早朝割引というのがあって初回の上映時に入ると安くしてくれたものだが、演芸場のようなところで、安く沢山の出演者を見られるのはお得ではないか。

        というわけで、今回は池袋演芸場の昼の仲入り前に飛び込んだ。午後二時二十分。高座は和楽・小楽・和助の翁家和楽社中が太神楽を始めたところ。傘の上で毬を回し、もう一方で傘を回す相手に毬を放り上げる[毬のすくい取り]で、小楽が傘から投げ上げた毬を和助が受け取れなくて苦労している。なにせ狭い池袋演芸場の高座だ、和助がメクリにぶつかってしまっている。

        和楽社中がはけたところで、空いている席に移動。私と共に入ってきたお客さんが何人かいた。池袋の座席は狭くて後から入ってきた人が奥の方の座席に入ろうとすると、結構苦労する。柳家さん喬の高座が始まってしまっている。さん喬さん、ちょっと落ち着きのない客席のお客さんをいじりながら、マクラを振っている。「このドンヨリした空は、雪が降りそうで降らないような・・・。まあ、みなさんがお帰りのころには、雪は止んでいるでしょう。ユキもカエリもないんですよ」 この日、空は降りそうな降らなそうな微妙な天候。帰りの時間を何時にしようとぼんやりと思っているうちに、さん喬は酒のマクラをまた長々と始めた。

        「アメリカのバーで、いつもスコッチのシングルを2杯くれと注文する客がいた。ひとり客なのでバーテンが『ダブルじゃないんですか?』と訊くと、『いや、シングルのグラス2杯』と答える。『1杯は私の、もう1杯は命を預けた友人のためでね』と言う。いつも来ていたこのお客さん、あるときからピタッと来なくなってしまった。ある日、ひさしぶりに現れたこのお客さん、パーテンに『スコッチシングル1杯』。パーテンが『シングル2杯じゃないんですか?』と訊きなおすと、『いや、1杯でいいんだ』と言う。『ひょっとして、お友達は亡くなったんですか?』と問うと、『いや、ぼくが医者に酒を止められたんだ』」 いかにもアメリカン・ジョークといったこの話、モトがあるのだろうか? それともさん喬さんが考えたのかなあ。

        酒のマクラがあまり長く続くので、これはまたアレかなあと思ったら、やっぱり『代り目』だった。「♪一でなく、二でなく、三でなく、四でもない、五でなし、六でなしー・・・」とヘンな歌を歌う酔っ払い、車屋に乗ってくれと言われて乗るものの、そこは自宅のまん前。車屋に家を開けさせると、出てくるおかみさんは車屋さんに平身低頭。「どうもすみませんねえ」と車屋さんに丁寧に謝って帰すと、亭主に向かって「なんだって、ウチの前でクルマに乗るのー!」と怒鳴る声が、まるで別人のごとし。この豹変ぶりが可笑しい。家に帰ってからも呑み足りずに、酒やサカナをねだる亭主に「もうお寝なさい」と言いながらも、しょーがない人ねとオデン屋に買い物に行こうとする姿。もうオデン屋に出かけただろうと思って、「ほんとうは、いつもすまねえと思っているんだよ」と独り言を言ってしまう亭主の気持ちも痛いほどわかる。さん喬にかかると、このおかみさんが本当にいいおかみさんなんだと伝わってくる。

        ここで仲入り。まだひとつしか聴いていないのだが、今日はいつまで居ようか番組表を見ながら考える。夜の部の最後まで居てもいいんだが・・・、どうしよう。まあ、気分と体力いかんかなあと思いながら、さあ昼の部の後半だ。

        食いつきはコンバットマーチが流れて三遊亭窓輝。円窓の息子だそうで、まだ二ツ目。「食いつきは、有望な若手が上がることになっていまして」と言った途端に、ひとりのお客さんからパチパチパチと拍手が上がる。「ありがとうございます。それでは、今日はそっちを向いて話ます」 ネタは『転失気』。知ったかぶりを笑うこの話、実生活でもよくあることだよね。わからないことはわからないと早く言った方がいいんだ。

        三遊亭円丈は、建て直す前の池袋演芸場の話をマクラにした。旧池袋演芸場は、一度だけしか行ったことがないので、私はうろ覚えしかない。「総ベニヤ作りの切符売り場。切符売り場の人の顔が見えない。下に2cmくらいの切れこみがあって、そこから現金と切符のやりとりをする。まるでヤクの売人みたい」 そうだったかなあ、憶えてないや。ネタは『ランゴランゴ』。寄席の席亭の友人が、落語家をひとり営業に世話してくれないかと頼みに来る。ところが予算がない。有名な真打などとても呼べない。「前座でよければ、7000円からというのがあるんだけど・・・」と紹介されるのが、3ヶ月前まで地下鉄工事やっててケガして、仕方なく落語家やっているというアフガニスタン人。「面白いよ。泣かせる人情話は笑えるし、笑える落とし噺させるとむかつくし」 この師匠というのがザイール人。日本語話せるのかというと、やっぱり日本語話せない。「ヒャー、ペーリヒ、ドンペペ」 ペーリヒが与太郎で、ドンペペがご隠居さんだって。筒井康隆ばりのこの噺、もっと長くしたら面白いだろうなあ。

        林家正楽が出てくるとまだ何も切っていないうちからリクエストが飛ぶ。まずは見本でいつものように[相合傘]をアッという間に切ってリクエスト。一番声の大きかった[ソルトレーク] [流鏑馬]を切り上げて、あと残り時間は一枚だけ。さかんにリクエストの声が飛ぶ中、「今、ちょうどお馬の親子が切りたいなーと思っていたので」と[お馬の親子]に答えた。楽屋から聞こえてくるお囃子も『お馬の親子』

        この日、私のお目当てだった昼のトリの三遊亭円窓が休演。がっかり。トラが川柳川柳。「寒いですね、これが本当の冬でしょう。春はまだ先でしょう。『早春譜』って曲あるでしょ。♪春は名のみの風の寒さや・・・ってね。森繁の『知床旅情』って、あれの盗作だな」 うん、そういえばメロディー似てるよね。音楽の得意な川柳は、いつものとおり、『スポーツあれこれ』から『歌は世につれ』で『ガーコン』。

        休憩を挟んで、夜の部に突入。前座が桂才ころ『穴子でからぬけ』 大きな声の人だなあ。そろそろ二ツ目のころかも。頑張ってね。

        次が二ツ目になって三年目の桂文ぶん。二日続けて同じ場所で右折禁止で捕まった体験談から、現代交通事情をひとくさり。そこから『反対車』へ。

        柳家とし松の曲独楽はいつもどおり。お客さんに糸の端を持ってもらい、[糸渡りの独楽]。「独楽が到着したら軸を持って止めてくださいよ。失敗すると顔面に激突しますから」と脅かしておいて、独楽を糸を持ったお客さんの方に滑らせて行く。こわごわと早いうちから手を出そうとするお客さんに、「まだ早い、まだ早いよ」 見事に受け取ったお客さんに「今までこんなに糸を持つのが上手い人は始めて。明日から一緒に回りませんか?」と言うのもいつも通り。そしたら、この日のお客さん、「お願いします」だって。

        趣味から落語界に入ったという柳家三太楼は学生時代に寄席通いをしていたようだ。「今から考えると私はイヤな客でしたね。絶対に笑わない。高座を睨み付けて『またこのネタかよ!』 『勉強しろよ!』 『ヘタだなあ!』 『あの程度かよ!』なんて思ってた」 そんな三太楼、いまや立派な真打だけど、前座・二ツ目のころは苦労したんだろうなあ。この日のネタは『野ざらし』。私はこの噺、あまり好きな方ではないので、流すつもりで聴いていた。特に、前半の八五郎がご隠居さんと話すところが、三太楼が演っても、やや退屈。ところが八五郎がご隠居さんのつり竿を強引に持ち出して向島へ行くところから、俄然に面白くなった。ひとり自分の世界に入ってしまうのは『湯屋番』と同じだが、この八五郎の狂い方が三太楼の場合、尋常じゃない。三太楼の落語というのは、ひとりひとりの人物の描き分けが達者で、ひとりひとりが生き生きとしているのが特徴。それがこんな、登場人物が少なくて最後は一人舞台になってしまう噺だと、もうその人物の個性が爆発してしまうらしい。顔の表情が豊かでこんなに生き生きとした『野ざらし』の八五郎は初めて見た。学生時代の客席から、見事に上手い真打の落語家になった三太楼。楽しみにしてますよ!

        柳家一九が休演で、元相撲取りの三遊亭歌武蔵が出てきた途端、こんなことを言い出した。「只今の協議について説明いたします。柳家三太楼くんの、ひとりキチガイでした」 そうなんだよね、ひとりキチガイとは上手いほめ言葉だ。「男は刃物を持つと了見が変わってしまう。いつのころからか禁止になってしまったようですが、私らが小学生のころはみんな筆箱の中にエンピツを削るナイフを入れていたものですよ。エンピツだけじゃなくて消しゴムも小さく刻む。それを人の給食に入れたりする」 そんなイタズラはしなかったけど、私もボンナイフといわれるそんなナイフを持っていたっけなあ。ネタは『胴斬り』。侍に酔った男が辻斬りにあい、胴と足が別々になってしまう噺。これがドシッとした体格の歌武蔵によく合う。そうなんだよ、歌武蔵は『たらちね』なんか演るよりもこっちの方がずっといい。

         いよいよオチが近づいたところで話を一旦切って、素の話を始めた。「この噺を演ってて、とても不安なんです。胴は風呂屋の番台、足がこんにゃく屋でこんにゃくを踏んでいるという世界にみなさんが着いて来れるものかどうか? 先日学校寄席で『犬の目』を演ったんです。ご存知のように、犬の目を人間に入れると、暗闇でも目が見えるようになったり、おしっこをするときに片足をあげるようになる噺。終わってから校長先生と教頭先生がやってきましてね、これが頭の堅いバカ教育者。『そんな実例があったんですか?』だって! あるかい!」

        こんにゃくを踏む様子を両手を交互に床に打ちつけて、デンドンデンドンデンドンデンドン。力強い音で、これまた効果的。いいねえ、この人の『胴斬り』は、とてもいい。

        大瀬ゆめじ・うたじの漫才は先週見たのと同じ時事漫談風に入って、いつもの[大阪ふみん]なのだが、時間が押したのか[そんなこと砂]と[イカとタコ]は割愛。

        柳家権太楼がポツポツと話し出した。「一年というのは早いもので年をとると共にサイクルが短くなってくる。もう正月、成人式、節分ときて、今度の十四日はバレンタインデーでしょ。私たちが子供のころはそんなの無かったですわ。女の子からチョコレート貰うなんてね。チョコレートなんてものは進駐軍から貰ったものですよ。『ギブ・ミー・チョコレート』なんて言ってね。アフガンの子供を見ていると自分の子供時代を思い出しますよ」 あれー、権太楼何が言いたいんだろうと思っていたら、面白い方向に展開していった。「バレンタインデー、いつのころからか市民権を獲得しちゃいましたね。まあ、いいですよ。そしたらホワイトデーだってやんの。ジョーダンじゃない。お返しなんてね、香典だけでたくさんですよ。しかも倍返しだなんて! また若い野郎がデパートの女性下着売り場行ったりしてプレゼントしようなんて。あそこは治外法権。男が行くところじゃない。『このブラジャーいくらですか?』 『5000円です。シルクですからね』 『そんなにするんですか。じゃあこのパンティは?』 『それも5000円です』 『まけてくれませんかね』 『それじゃあ、パンティ4000円にするから、そのかわりブラジャーを6000円にして両方いかがですか?』 そのあとの店員さん同士の会話。『どっちにしろ一万円なのに、あの子買って行っちゃたわね』 『上を上げて、下を下げれば男は誰でも飛びつく』 そうかあ、これが言いたくて長く引っ張ってきたんだあ。ネタは『人形買い』。あんまりマクラが面白すぎて、ネタの印象が薄くなっちゃったじゃないか!

        春風亭正朝休演。トラが日本のトム・ハンクス柳家禽太夫。「正朝さんは発病したようです。狂犬病だそうで、お客さんに噛み付いたりするといけないので、私が代りにやってまいりました」 スポーツが好きらしい禽太夫、相撲に関する薀蓄をいろいろと聴かせてくれてから『佐野山』へ。テンポよくグイグイと引っ張っていく技はさすが。

        アサダ二世は、この日、ひも切りの手品だけ。ひも切りといっても奥が深いらしい。ひも切りの手品だけで130種ほどあるのだという。その中から、簡単なのをいくつか種明かし。簡単っていったって、結構熟練がいりそうだなあ。「ようするに、真中切ると見せかけて、端っこ切ったりタネを持っていたりするだけなんですよ」 そうは言ってもなあ。難しいんだよね。

        「外は今、マイナス27℃です。絶対に出ないでください。死にます。中もヘタな落語を演るとツンドラ地帯になりますが」 三遊亭歌之介が見事なツカミで自分の世界に客を引き込む。この人独特の口調の漫談というのは、本当に聴いてもらわなければ、その調子が説明できない。この日は、久しぶりに聴く『田畑くん』だ。高校時代の友人田畑くんの想い出を語った爆笑編。高校生というのにいつも酔っ払って顔を赤くしている田畑くんは、馬小屋で生活している。「『馬小屋の二階で生活しているとキリストになったような気になる』って、キリストが薩摩白波を六四で割るか!」 「マジックで塗られたエロ本をマーガリンで溶かしていく。見るからに職人はだし。マジックが溶けていく」 こう書いても、この面白さが伝わらないのが口惜しい。最近思うのだが、この人の漫談のようなもの、スタンダップ・ジョークならぬシットダウン・ジョークというのが一番適切なのではないかと思えてきた。

        ここで仲入り。このまま最後まで居残ろうかと思ったが、少々笑い疲れてしまった。切りもいいから、ここで出ることにした。うわっ、寒いなあ。マイナス27℃はもちろん無いけど寒い寒い。そうだ、駅前のラーメン屋に行こうーっと。


February.10,2002 夢丸の新江戸噺し その1

2月9日 浅草演芸ホール二月上席夜の部

        三笑亭夢丸の[新江戸噺し大川(隅田川)人情三昧]が始まった。公募で集まった作品の中から三作品を連続口演中だ。行かねば行かねばと思いながら、もう浅草公演も終わろうとしている。三連休の初日、野暮用を片付けてから浅草に向かう。午後五時三十分入場。一階は立錐の余地もない立見状態。諦めて二階席に上がる。こちらも空席なし。上手側の通路階段に座り込んでの観賞だ。

        プログラムは山遊亭金太郎まで進んでいた。ネタは『家見舞』(こいがめ)。もうほとんど後半。焼き海苔でご飯を食べる所に入っていた。ハフハフと熱いご飯を食べる様子が見事で、隣に座っていたオネーチャンから「熱そう!」という呟きがもれる。どこからともなく「名人!」のかけ声。

        「風邪がなかなか抜けませんで・・・。倦怠期の夫婦みたいなものです。熱は引いてもセキは抜けない」と、病み上がりらしい柳亭楽輔は漫談だけ。野村沙知代の話やら、師匠である先代の柳亭痴楽の逸話など。『痴楽つづり方教室』の声帯模写がお客さんに受ける受ける!

        奇術の北見マキが休演。トラが若い女の子漫才マッピー。「私たちのことご存知無い人も多いでしょうが、私たちの師匠は有名なんですよ。青空球児・好児」 客席から「ゲロゲーロ、ゲロゲーロ!」の声がかかる。「そうなんです。よくご存知ですねー。私たち弟子をしてあげてるのー」 そろそろ近づいてきたバレンタインデーの話題から、自動車でデートするカップルの漫才へ。「ここがベイブリッジね、ねえタカシさん」 「なんだいトメさん・・・ヨネさん・・・だっけ?」 「なんでそんな名前なのよ! 私はリサよ! 見て! とってもきれいな夜景」 「何言ってるんだ、リサより綺麗だよ」 「逆でしょ、普通!」 テンポよし、話題も現代的ながら、それでいて浅草のお客さんの心も捕らえている。この子たち、ちょっと注目しとかなくちゃ。

        三笑亭茶楽が出てくると、「待ってました! たっぷり!」の声がかかる。この日は、どうも客席にこのかけ声をかけるのを趣味にしているオジサンがいるらしい。誰が出てきても、こういうかけ声をかける。「ありがとうございます、先日もそういうかけ声をいただきまして、一時間演ってしまいました」と、さっそくネタに入ったのが『持参金』。ちょっと女性をバカにしている噺なのであまり好きではなかったのだが、最近はあまり気にしないで聴くようになった。特に前半の器量の悪い女性の描写あたりが私には辛い。客席で「あーあ」と大きなアクピをした人がいた。すると大家さんが、その不細工な嫁さんを貰うという男に「美人は三日で飽きるなんていうけど、器量が悪いなんて、だんだん慣れてきて、大きなアクビをしたりする」

         橘ノ円は漫談。飼っているプードルの話。金持ちの人からプードルの子供が生まれたから見に来ないかと言われて見に行くと、一匹貰ってくれと言われる。「これ、当分のワンちゃんのお食事代」と言われて、ワンちゃんはどうでもいいけれど、そのお食事代が欲しくてプードルの子犬を貰ってきてしまったという。「それが11年前のこと。以来この人、毎月犬を見に来るんですよ。それで来る日の2〜3日前にはペットショップに行ってカットしてもらってくる。カット代一万二千円ですよ! 私の頭は三千円」 「先日、ウイスキーの水割り呑みながら相撲見てたんですよ。何かツマミはないかと冷蔵庫開けたら三角チーズが入ってた。最近問題になっている会社のやつですよ。それをツマミにしたんですがね、女房が帰ってきて冷蔵庫を開けて『チーズどうしたの!?』 『食べちっゃたよ』って言ったら、『あれはワンちゃんのオヤツ! なんて贅沢してんのよ! あんたはタクアンで我慢しなさいよ!』 『おいおい、オレと犬のどっちが大切なんだい』 『ワンちゃんは血統書付き。あんたは雑種じゃない!』 ガラガラ声で喋るこの人の漫談って面白いんだよなあ。

        林家今丸の紙切り。まずは[京都の舞妓]。うわー、キレイな舞妓はんでっしゃこと! お客さんの注文一つ目は[宝船] 「昨年の暮にもお客さんの注文で切りました。そのお客さん、そうしたら年末ジャンボ宝くじに当たりましてね。三百円の前後賞」 二つ目は[お花見] 「最近のお花見はと言いますと、ブルーのシートをひいちゃってホームレスの花見みたいですね。昔はカラオケなんか無かった。キレーなネーチャンが三味線弾いたりして・・・」と、桜の木の下で三味線を弾いているおねえさんと、踊りを踊っている人、そして酒を呑んでいる人のシルエットを切り上げた。お見事! 三つ目は[馬] 「奥さん、ひょっとして午年ですか? そうですか、じゃあ今年24歳」 どう見てもそれよりも二回りは上のお客さんにヨイショ。四つ目は最前列の幼児の女の子に向かって「今度はお嬢ちゃんに何か切りましょう。何がいいですか?」 「キリンさん」 「はいはい、キリンさんね・・・ほおら、だんだんキリンさんになっていきますよー。首が長いのね。あんまり太ったキリンさんっていませんよねー」 太ったキリンがいたら怖いぞー!

        三笑亭夢楽が休演。トラが三遊亭円輔。「先ほど夢楽さんから電話がありまして、雪印の牛肉を食べたら体の調子が悪いというので、替わりに出てまいりました。早く牛肉を安心して食べられるようになってもらいたいもんですな。ウチではもっぱらトリかブタ。もっともひとりブタがいるんですが・・・」とネタが『短命』。円輔もきっと長命だ。

        仲入りに入ったら、ドッと席が空いた。一階席は相変わらず一杯だが、二階席は空席がいくつかできた。そのひとつに腰掛けて、買ってきた弁当を広げる。よかったー。

        食いつきが三笑亭恋生。仲入り後でまだ弁当を食べている人を高座に引き戻す大切な位置だ。「さんしょうてい・れんしょうって言います。市川染五郎に似ているなんて言われます。それと元ジャイアンツのメイ投手。最近では国際的になってきまして、ウサマ・ビンラディンに似ているなんて言われます」 本当だあ! 髭ははやしていないけれど、どことなくビンラディンに似ている。ネタは『湯屋番』。親から勘当されて居候の若旦那、銭湯で働かないかと言われて、「湯屋? 女湯あるのー? 行きます行きます」と高い声。声が裏返っちゃうほどの喜びよう。憧れの番台に座れば、女湯はガラガラ。一方男湯はいっぱい。「ありゃ、湯船の中にカバがいるよ。脂肪蓄えちゃって。ああいうのは役所に届けなくちゃいけないよ。シボウ届」 若旦那が妄想始めてしまうと、すっかり自分の世界へ。オツな年増の家に遊びに行くと、雷が。蚊帳を吊って入る女が若旦那に向かって「ねえん、いらっしゃいよおん」 クネクネと体をくねらせて叫ぶ恋生の声が甲高くて可笑しいのなんの。

        三笑亭笑三は『息子の結婚』。この噺、最近までてっきり『異母きょうだい』という題名だと思っていたのだが、これじゃあネタを割っちゃうわけだもんね。自分が結婚したいと思っていた女性が実は、みんな父親の隠し子だったと知った息子が、「結婚適齢期の女性がみんな自分のきょうだいのように思えてきました」と言うと笑いが起こったが、小さな女の子まで「アハハハハ」と笑ったのは、本当に理解してのことだろうか?

        キャンデーブラザース休演で、トラがまたもやボンボンブラザース。いつものようにコヨリを鼻の上に立てながら演る曲芸がお客さんに受ける受ける。ちょっと退屈しかかっていた子供も「エヘヘヘヘ」と喜んでいる。

        三笑亭夢太郎は、もう知らない人はいないかとも思えるネタの『代り目』。それでも浅草のお客さんはよく笑う。「おでんはヤキがいいな」 「ヤキ? 焼豆腐ですか?」 「そう、よくわかるな。それとヤツ」 「ヤツ? ヤツガシラですか?」 「よくわかるなあ」 「ガンはいかがですか?」 「ガンモドキか?」 「アフガン」 「そんなものいらねえや」

        三遊亭遊三。四十数年付き合っているという旦那に座敷で芸をやれと言われて、有名な曲の歌詞を、♪あいうえおかきくけこ・・・と変えて歌う話。『りんごの歌』も『青い山脈』も、はたまた軍歌も、それでも合ってしまうから可笑しい。「そうしたら今度は、ぱぴぷぺぽだけで演れっていうんですよ。この一行は可哀想だ。ろくなことに使われない。頭がぱー、お腹がぴー、おならがぷー、林家ぺー」 こうしてぱぴぷぺぽとぴゃぴゅぴょだけで歌う『津軽海峡冬景色』って、―――これはけっこう難易度が高いぞ。

        ひざ代わりの扇鶴。ありゃりゃ、この人ただ扇鶴としか名乗ってなかったはずなのに松乃家扇鶴(まつのやせんつる)となっている。何時の間にそうなったのだろう。都々逸やさのさを演ってくれたのだが、例によって、わざと歌い方を崩しているらしい。歌詞が一部聴き取れない。もうちょっと初心者にわかりやすい歌い方して欲しいんだけどなあ。

        さあいよいよトリの三笑亭夢丸の新江戸噺だ。「落語家には二種類あります。何としてもお客さんを笑わそうとするサービス精神旺盛な人、そしてお客さんにコビなど売るものがという愛嬌のない落語家。私は、そういうタイプなんです。でも最後まで聴いていただければ、きっとこの噺のよさがわかってもらえると思います」 今まで出てきた噺家さんはみんな笑いの多いタイプで、はたして夢丸が演ろうとしている人情噺について来れるだろうかと、ちょっと心配になる。

        この日は『夢の破片(かけら)』。美人画を描いている絵師。作品を収めている業者に、「おまえさん、女を知らないんじゃないか?」と看抜かれてしまう。「吉原に通いつめ、居残りくらいするようでなければ本当の女の色気はわからない」と指摘される。、さらに業者は「深川中州あたりに行って、吉原の花魁のようなちゃんとした女遊びじゃない、夜鷹、船饅頭といった地獄を味わってきてみなさい」と言う。深川中州に出かけてみると、そこはまさに地獄のような場所。こんな中に絶世の美女がいるわけないと川岸を歩いていると、ひとりの船饅頭に出会う。これがこの世の者とも思われない美人。絵師は一晩この女と過ごす。ところが翌晩行っても、さらに翌々晩に行っても、一ヶ月通ってみても、その女はもういない。あれは一夜の夢から生まれてきた夢のかけらだったのだろうか。男はあのときに逢った船饅頭の女の絵を書き始める・・・。

        大丈夫だ。お客さん、シーンと夢丸の噺に聞き入っている。途中に静かなお囃子の三味線も入り、深川の風景が浮かんできた。しんみりといい噺だったなあ。幕が下りていく。夢丸が座布団を脇に退けて、何回もお辞儀をしている。「いい噺だったね」 「こういうのを聴かなきゃね」と口々に呟きながらコートを着込んでいる人たちと一緒に木戸を出る。外は冷たい風が吹いていた。それでもいい噺を聴いたという満足感から、それほど寒さは感じない。地下鉄で地元に戻り、家に帰る前に中州の川岸を歩いてみた。ああいう悲しい物語って、きっと江戸時代にあったに違いないと思いながら。



February.9,2002 うわー、久しぶり! 小野栄一

2月2日 国立演芸場二月上席

        月の始めに国立演芸場へ行くことの利点は、翌月の番組表が手に入ること。そしてその前売りが始まっていること。[花形演芸会]や特別企画ものなど、ウカウカしていると売り切れになってしまうものもある。月の始めには必ず国立演芸場を覗く。これを習慣にしよーっと。

        前座は古今亭朝松で『子ほめ』。頑張ってね。

        桂文ぶん。「小学校二年まで、ひらがなの[と]が書けなかった。[と]が逆のようになってしまって[う]になってしまう。私の名前は[ひでとし]と言うんですが、これが[ひでうし]になってしまう」 これで思い出した。私は[ふ]が書けなかった。真中のクネクネを書くのが苦手で、[い]を書いて、真中に[ら]を書いたっけ。これでよく怒られたんだ。文ぶんはそのまま『手紙無筆』に入った。なかなか良かったと思ったのだが、この日、私の後ろに座っていた老夫婦はなかなかの批評家だった。「まだまだだね。ただ喋っているだけ」 う〜ん。二ツ目になって二年半。もう少し見守ってあげようよ。

        曲独楽の三増左紋が出てきたときには、「あっ!」と驚いてしまった。去年の七月に志の輔の会で見たジャグリングのマサヒロ水野ではないか! 三増紋也に師事し、ついに左紋の名前をいただいたという。デイヴ・ブルーベックの『テイク・ファイブ』が流れる。これがなぜか和楽器の鼓が入っている演奏なのだが、誰が演っているのかなあ。板の上に、オレンジ、緑、白、赤、黄の五つの独楽が乗っている。客にどの独楽を回そうかとジェスチャーで示す。客からの注文に答える形で、五つの独楽のひとつだけを手を触れないで板を微妙に動かすだけで回して見せた。ここがミソなのは、一緒に乗っているあと四つの独楽は動かないのである。どうやったらそんなことが出来るんだろうと不思議に思っていたら、「そんなに難しくありません。三年くらいで出来ます」だって。夢はラスベガスで曲独楽を見せることとか。というわけで曲独楽ラスベガス・バージョンなるものを見せてくれた。日本的なメロディーが入ったユーロビートに乗って大独楽を回す。いわばイリュージョン曲独楽。演っていることは日本の伝統的な曲独楽なのにショウ・アップされたこの曲芸はダイナミックで、見事に現代的だ。マサヒロ水野さんこと三増左紋さんには、ぜひ海外へ出て行って欲しいなあ。

        古今亭志ん弥は『不精床』。この人、初めて聴いた。あれえー、この人今は亡き志ん朝師匠に似ているんじゃないの? 終わって後ろの老夫婦も「志ん朝に似ているねえ」と言っていたから、こう思ったのは私だけではないはず。口調が、そっくりとは言わないまでも似ている。そういえばヘアスタイルも似ているし・・・なんて思っていると顔まで似ているような気がしてきた。名前から志ん朝さんのお弟子さんかなと思ったら、円菊さんのお弟子さん。まあ上をたどれば志ん朝さんのお父さん志ん生に繋がるわけだから、おかしくはないわけか。

        私のこの日のお目当ては、小野栄一。ずいぶんとしばらくこの人を見ていないぞ。マイクの前に立つと「生きていました。こういう仕事を始めて、はや五十年。今月25日で71歳になります」と、お得意の物真似を始める。自分で描いたという歌手の似顔絵を見せながら、軽妙な喋りと共に声帯模写を聴かせていく。 久しぶりで見た小野栄一は、やはり歳相応に老けていた。しかし声のハリは衰えていないし、話も楽しい。カラオケを使って森繁久弥『知床旅情』、藤山一郎『東京ラプソディ』、田端義夫『大利根月夜』などを次々と歌う。ネタが古いのは仕方ない。それでも一緒に口ずさむ観客が多いのは・・・そう、中心はそういう客層なのだ。

        後ろの老婦人も歌っている。一番前に座っていた人からメガネを借りると、東海林太郎に成りきった。直立不動の姿勢で立つと『名月赤城山』カラオケが流れたのだが、このイントロが気が遠くなるほど長ーい。その間を使ってお喋り。「昔はテレビが無かったから、動く必要がなかったんです。だから直立不動。でも本当のところはマイクの感度が悪かったこともあるんですね。動くとマイクがよく音を拾えない」 ♪男ごころに男が惚れて 意気が解け合う赤城山

        「都はるみのお得意のポーズって知ってますか? 左手でマイクを持って、それを右の頬っぺたに持ってくるの。それで左上を見上げるの」 そうそう、♪あんこ〜 つばきーい〜い〜いわー ってコブシを入れたりするところは、いつもこのアクションなんだよね。時間が押してきたらしい。「この寄席は、芸が上手いか下手かよりも、時間どおりに終われるかどうかが重要なんです。あと、美空ひばりとチャップリンが残っちゃった。どちらがいいですか?」 うわー、それはないでしょ。両方ともこの人の十八番じゃないの。結局希望で美空ひばり。チャップリン用に持ってきた山高帽を被って美空ひばりは惜しい。今度はチャップリンが見たいなあ。

        後ろの人、メクリが柳家権太楼と出たので、「権太楼? 権太楼って誰だあ」なんて言ってたけど、権太楼が満面の笑みを客席に向けながら出てきたときには、「ああ、この人かあ。この人面白いんだよねー」と急に思い出したらしい。「ものにはホドというものがあるのよ。腹八分目っていうでしょ。だから女性もそうなの。客席にいっぱいいればいいというもんじゃない・・・八割。男ばかりの団体が来たことがあってね、男ばかりだと笑い声が汚い。女性ばかりだと声が高い。ウヒヒヒヒヒヒーって伸びるから間が取れない。敬老の日にお年寄りばかり六百人の前で話したことがあるの。どこ見たって年寄り。佃煮にしたいくらい年寄りばっかり。これが誰も笑わない。半分は耳が遠くて聞こえないらしい。それでもう半分は笑う気力もない。子供ばかりの前もだめ。高座なんて何にも無いんだからさ。飽きちゃう。泣き出したりしてさ。泣くのは簡単なのよ。人間の本能なんだから。人間は泣きながらおかあさんの腹から出てくるんだから。笑いながら出てきたらおかしい。で、古典落語を話すのに、どのくらいの年齢層が喋りやすいかというと・・・ふふふ・・・言わせてよー!・・・ちょーどこのくらいの」 大爆笑が起こる。上手いよなあ、いつもながらの権太楼が客を引きつけるツカミというのは!

        ぐいっと客を引き寄せておいて、『ぜんざい公社』。お役所主義を笑いのめした痛快な落語で、権太楼もお得意のひとつ。ぜんざいを一杯食べるのに書類を書かされ、窓口をたらい回しにされる。「お名前は」 「鈴木宗男です」 「聞いたことのある名前ですね」 タイムリーなクスグリだ。客をグイグイと引きこんで行く。こうなったら権太楼のもの。「ご両親は?」 「長野で材木屋やっています」 「ああ、ケンザイですね。好きな乗り物は?」 「自衛隊の飛行訓練を見ているのが好きです」 「ヘンタイですね」 昔々亭桃太郎もよくこの噺を演るが、あちらはぶっきらぼうな話し方なのに対して、権太楼にはダイナミックなリズムがある。「尊敬する人は?」 「(次の出番の)松旭斎美智・美登・幸子です」 「ああ、ヨイショですね。すぐそばまで来ています」

        仲入り後は、権太楼にヨイショ(?)された松旭斎美智・美登・幸子のマジック。音楽に乗って三人マジックだ。まずは三人南京玉すだれ。三人の息がピッタリと合って・・・無ーい! ハハハ、三人の演技が微妙にズレるぞー! 三人で演るのは十年ぶりだとか。それでも、いつも見なれたスカーフやリングのマジツクも三人が入れ替わり立ち替わり演っていくと、スピーディな進行になって気持ちがいい。何も入っていない袋から次々にサイコロキャラメルを取り出して客席に放る。「サイコロキャラメル、ただであげたわけじゃないのよ! 受け取った人は手を上げてください・・・そんなわけないでしょ・・・ひとつやふたつじゃなかったわよ!」 前の方で恐る恐る手を上げた男性に、「それではお手伝いしてね。上に上がってきてください」 これだからなあ、この人のマジックには関わり合わない方がいいんだ。あがるといいようにイジられるんだから。この男の人も袋抜けのマジックでオモチャにされていた。シメは住吉踊り。美登の『ピンかっぽれ』に続いて美智・幸子の『喧嘩かっぽれ』

        入船亭扇遊が始めたのが、ブラブラしている与太郎に何か商売をさせようとしている噺。ははあ、『道具屋』かなと思ったら、これが『厄払い』というめったに聞かない話。それもそのはず、これは節分のときの話。そういえば翌日は節分だった。節分のあとで厄払いをするという習慣なんてもう無いし、よくぞ演っている噺家さんがいるものだ。いまや貴重だけどね。

        「サラリーマンは大変ですよ」と始まったから、大瀬ゆめじ・うたじのネタは例の[大阪ふみん]だと思ったら、話が突然、雑談のような流れになっていってしまった。「一番脳天気な家業が外務省ですね。言った言わないのね」「雪印大変ですね。でもわかりませんよ。明治、森永もやってるよね」 [仕事] [大変]をキーワードに雑談が続いていってしまう。しばらくして話を戻して「サラリーマンは大変ですよ」と[大阪ふみん]のネタに戻した。この人たちのネタは何回も聴いているのだけど、不思議と飽きが来ないんだよね。

        「昔は士農工商。道を歩くにも侍が七分、あとが三分、落語家なんて道を歩けなかった」と、トリの古今亭円菊が『妾馬』を始めた。円菊の八五郎は軽く、のほほんとした八五郎だ。殿様から酒をいただいても、豪快な飲みッぷりという感じではなく、「うっうっうっ、へえんへえん、へえーん」なんて飲んでいる。それでいて妙に旨そうなんだ、この酒が。オチまでいって幕が降りてくる。普通のトリの人はペコペコと幕が降り切るまで挨拶しているものだが、円菊さん両手を振ってにこやかな挨拶。いいなあ、この人の落語、本当に好きになってきた。破れかぶれのようでいて、なんとも可笑しい。それが本来の落語なのかもしれないなあ。


February.8,2002 激動の幕末を写真家の視点でみつめた芝居

1月26日 『彦馬がゆく』 (PARCO劇場)

        お江戸日本橋亭の落語会を出て、そのまま渋谷へ向かう。雪は雨に変わり、けっこう激しくなってきた。CDを物色し、食事をしたらばもう開演時間が迫っていた。急いで劇場へ。このPARCO劇場、エレベーターで上がるのだが、これがまたなかなか来ないのだ。来ても観劇に来た客と途中階で下りる客がドッと乗りこむから、ヘタをするともう一台待たなければならなくなる。席に着いて開演を待っていると、携帯電話を注意するアナウンスが流れた。これは『バッド・ニュース☆グッド・タイミング』のときの八嶋智人のオープニング・ジョークの使いまわし。

        使いまわしというのにちょっとガッカリしたものの、始まってみると三谷幸喜の世界にグイグイと引き込まれてしまった。途中に休憩が入るが、正味三時間もある芝居だった。ところが、これがまるで長さを感じさせない。終わってしまうのが惜しくて惜しくて、いつまでも見ていたい気にさせるのだから、三谷幸喜という人はやはり恐るべき才人だ。

        明治時代に実在した写真家・上野彦馬をモデルにした物語だが、その彦馬役に小日向文世(こひなたふみよ)が扮している。この人の芝居を見たのは、やはり三谷幸喜の『オケピ!』が初めて。ヘタクソなピアニストながらも、周りを和やかにしてくれるムードメーカーという難しい役どころを見事に演じていた人で、決して力まない自然なノホホンとした演技が良かった。それが今回の『彦馬がゆく』にも継承されていて、日本初のカメラマンであり、一家の大黒柱でもあるというのに、決して威張らず、どことなく頼りなげなのに一本芯の通っている人物を演じ切った。感動的なのは、近藤勇(阿南健治)が現れて写真を撮ってくれと言われたときのことだ。周囲は大反対するのだが、「私は写真家だ。写真を撮るのが私の仕事だ」とネガを死守する場面。ジーンときてしまった。

        しかしこの彦馬が主役の芝居なのかというと、それが微妙。狂言回しの役のような気もするのだが、その役はどちらかというと、彦馬の次男金之介(筒井道隆)だろう。ときどきモノローグの形で芝居を説明していく。つまり全体が金之介の視点で語られた物語ということになる。彦馬の妻の役が松金よね子。これがまた上手い。ヘタをすると存在感が消えてしまいそうな役ながら、「里芋の煮方も知らない奴が何を言っているんだ」と世の中を変えようといきまいている男たちを揶揄してみせる場面は圧巻。長女役は酒井美紀。坂本竜馬(松重豊)に恋心を持っているという役どころ。安易なハツピーエンドとならないところが三谷らしさ。もっともハッピーエンドにしたら歴史が変わってしまうけれども。長男が伊原剛(いはらつよし)。これが実に優柔不断な役で、家業の写真館には興味がなく時に応じて尊攘派にもつけば開国派にもつくという節操のなさ。要するに現実の地道な商売よりも、世の中の中心にありたいという男。そんな彼になぜか惚れている恋人役が瀬戸カトリーヌ。カトリーヌさんきれいだったなあ。意外に和服が似合う。

        こう書いていくと、堅苦しい話のように思えてしまうが、全体は喜劇。この写真館に明治時代の有名人が次々に写真を撮りに訪れるというのが本題。これがまた、私達の持っているイメージとはまったく違ったキャラクターで登場してくる。何と言っても可笑しいのは梶原膳の桂小五郎だろう。この人が出てくると舞台はすっかりさらわれてしまうと言っていい。彦馬は写真を撮るときに被写体となる人物に「人生で一番愉快だったときのことを思い出してください」と言う。梶原の桂小五郎は「村田のおでこが・・・ふはははは」と笑うのだが、これが何のことだか見ているときにはわからなかったのだが、家に帰ってパンフレットを読んで初めてわかった。三谷幸喜自身が村田蔵六(後ノ大村益次郎)に扮した写真があるのだが、異様に出っ張ったオデコの持ち主だったらしい。

        梶原膳の桂小五郎に負けまいと笑わせてくれるのは温水洋一の西郷隆盛。後半にしか出てこないのがもったいないほどなのだが、この西郷さんにはひっくり返った。もっとも上野の山の西郷さんの銅像はまったく似ていないという話もある。

        ダンスの得意な本間憲一にあえて踊りを踊らせずに、コワモテ役に徹しさせた高杉晋作役をふったのもキレがあってよかったし、一方で阿南健治の近藤勇にムーンウォークをさせたのもグッドアイデア。大倉孝二の伊藤俊輔なる人物が、筒井道隆のモノローグで「後の伊藤博文」と告げられたときの驚きは山田風太郎の明治ものを読んでいるような楽しさだった。

        世の中の激しい動きの中でも、表に立っている人ばかりが偉いわけでもなく、一般人の目から見た幕末の世を日本初のカメラマンという客観性を持たせて描いたエンターテイメント。気持ちよく笑わせてくれた三谷印の芝居。やっぱり三谷幸喜の芝居は見逃せない。


February.2,2002 雪の情景

1月26日 本牧落語五人会 (お江戸日本橋亭)

        「今夜は雪になるかもしれません」との天気予報を耳にして、傘を持って家を出る。[お江戸日本橋亭]は私の家から一番近い寄席だ。日本橋の街並を北風に吹かれながら歩いて会場に向かう。寒いなあ。これじゃあ、本当に夕方からは雪になるかも。コートのポケットに手を突っ込んで前かがみになって歩く。

        ほぼ満員になりそうな客席に空いた椅子をひとつ見つけ席につく。中は暖房が効いていて快適・・・というよりも前日までの仕事の疲れもあって眠くなってきてしまう。午後一時開演。前座の桂才ころが『道具屋』を演り始めたのだが、どうにも眠くて眠くて、起きていようと思うのだが目がつぶってきてしまう。適度なくすぐりも入って面白いのだが、眠気に勝てない。ごめんなさい。頑張ってね。

        才ころがメクリを反すと、[馬桜]とある。あれ? まずは右朝さんの替わりに新メンバーになった金原亭馬生からじゃないの? と思ったのだが、才ころがもう一度確認して「これでいいんです」というジェスチャーで引っ込んだので、やっぱり出番が変わったんだと納得。

        鈴々舎馬桜がにこやかな顔でこんなことを話し出した。「次の仕事の都合で、さら口、それも前座の前に出たことがあるんです」 ん? 何のことだろう? 馬桜さん、この日もこのあと仕事が入っちゃって早上がりになったという言い訳かなと思ったのだが、実はそうでなかった。「右朝さんが死んで、しばらく五人会というのに四人でやっていたんですが、やっぱりもうひとりいた方が楽だろうということになりまして、馬生さんに声をかけたというわけです。『大丈夫ですか? 二ヶ月に一度、第四土曜日ですからね。そのときは絶対に他の仕事を入れちゃいけませんよ』と言ったのに、今回直前になって『この日は宇都宮で仕事が入っている』って言い出した。何考えているんだか・・・何も考えてないんですね。『何時なら入れるの?』と訊いたら、三時四十五分だって」 この会の終演時間は四時。ギリギリじゃないの! 「というわけでして、前座には二十分やれと言いまして、仲入り休憩はいつもより十分長くとりまして、なんとか馬生さんが来るまで繋げようと・・・」

        そんなこともあって馬桜のマクラが長い長い。この日の演目は『のっぺらぼう』と決まっていたのだが、この噺がもともと短いものだからマクラで引き伸ばすしかないらしい。それも『のっぺらぼう』とはまるで関係ないマクラが続く。「新馬戦というと、だいたい三歳馬のレースなんですが、十歳という馬が出てきた。当然無印ですよ。ところがこの馬の早いの何の! ぶっちぎりで一着。『なんで十歳まで隠してたの?』と馬主に訊いたら、『いやあ、こないだようやく牧場で捕まったもんで・・・』」

        二十分くらいマクラをやっていただろうか? 「ご隠居さんに訊きたいことがあってやってきました」 「千早ふるか?」といきなりクスグリをかまして『のっぺらぼう』に入った。民話としても、また小泉八雲の『むじな』としても有名な噺。落語になると怪談というよりは、どことなくユーモラスな感じになる。帰りは間違っても身投げ女を助けたり、屋台のおでん屋に入ったりしないようにしよう。

        三遊亭吉窓。「年賀状もみんなワープロで書いてくる人が多くなってきましたね。そんな中、すばらしい筆書きで送ってきたのがあった。たっぴーつー・にゅー・いやー」 ネタは『明烏』。大の堅物男の若旦那を父親が町内の源兵衛と太助という遊び人に頼んで、吉原に連れて行かせる噺。お寺におこもりに行こうと騙くらかして連れて行くのだが、さすがに若旦那も途中で気がつく。もう泣くのわめくの大騒ぎ。それを見てうんざりした遊び人ふたり、「何も泣くことはないよな。俺たちがやっていることって、そんなに悪いこと?」

        いつかは噺家さんを呼んで料亭遊びをやってみたいなあというのが私の夢なのだが、とてもとてもそれは夢のまた夢。林家正雀がそんな料亭遊びでのひとこまを話し出した。神楽坂の料亭に呼ばれて、正雀と芸者衆で遊んだ帰りのタクシーの中。オダンとその奥方がヒソヒソと話をしている。「なんでこんなもの持ってきちゃったのよ」 「知らないよ」 それは紙袋に入った高足のお膳。実はそれは正雀の持ち物。国立で使う出し物で、持ち歩いていたもの。人騒がせな正雀さん。しかし、高足の膳なんて何に使うんだろう?

        ネタはマクラがぴったりだった『たばこの火』。柳橋の料亭にやってきたひとりの男。番頭の喜助に帳場に行かせて金を立替させる。芸者や幇間や太夫衆が来るたびに、五両だ、十両だ、二十両だと帳場に行かせる。「みんな私にかまわずに好きなことをして遊んでおくれ。勝手なことをしておくれよ。私はそれを見て楽しむんだから」 これはどう見ても怪しい。もう立替はできないと断る帳場。そうするとこの男、風呂敷包み包んだ柳行李を取り出すと・・・。

        仲入りのあとで手拭いプレゼントの抽選会を企画しようとしたら、柳家小ゑんから「それは止めてくれ」とクレームがついたという。「だって、手拭い貰ったら、私の噺聴かないで帰っちゃう人がいるでしょう?」

        その小ゑんがくいつきで出る。「馬生さん、まだ到着していません。来なかったら、正雀さんが踊る。延々と踊る。それで来なかったら私がハンダ付け」 電気屋の息子さんの小ゑんさんだけど、ハンダ付けねえ・・・面白いかも・・・そんなわけないって! 「インターネットで検索を入れますとね、[小ゑん]というキーワードでけっこう出てくるんですよ。半分は[談志の若いときの名前]、もう半分は[プラネタリュウム]」 そんなことないって! 趣味の天体観測でインドネシアまで行った話などをして、「そういうマニアの話。新作ですからー、トリでもないことですしー」ってスネないでね、小ゑんさん。

        で、その小ゑんの噺は『鉄の男』。タイトルから想像されるのはアンジェイ・ワイダの骨太な社会派ドラマっていったところだが、そんなのを落語で演るわけがない。鉄は鉄でも通称鉄ちゃん、鉄道マニアの話だ。子供には鉄道模型以外のおもちゃを買い与えず、ソファーを買ってくれと妻から言われれば新幹線の座席を買ってきてしまうほどの鉄道マニア。「ほうら、こうすればテーブルが出る」 「そんなの出て来たってしょーがないでしょ」 「これで駅弁を食べる」 そんな彼に同じ鉄道マニアから悩みを聞かされる。彼女と付き合って「趣味は?」と訊かれて「細長くて動くもの」としか答えられない彼。マニアとかオタクって、ようするに一般的でない趣味を持っている人のことなんだよなあ。釣りやゴルフを好きな人ってオタクなんて言われないものなあ。鉄道だとか落語なんて言うとオタク扱いされちゃう。肩身狭いよね。

        小ゑんがオチを言って頭を下げ、楽屋を見る。「来た、来た、来ました」と高座を降りると、出囃子が鳴って金原亭馬生が図らずも(?)トリとして登場。初回から遅刻してトリとはいい度胸だなあ。時間が押しているらしく、マクラもほどほどに噺に入る。私は初めて聴く『和歌三神』だ。俳句好きの旦那が権助を連れて向島に雪見に出かける。旦那が「寒いな」と言うと、権助「雪降ってるからね」 今夜は雪かも知れないという天気予報が頭をよぎる。川端で三人のおこもさんがいるので、持参した酒を恵んであげると、この三人実に教養のある人達らしい。自分達の名前を和歌にして詠んでみせるという噺。頭の中に雪景色の向島の風景が鮮やかに浮かんできた。

        外に出ると、やっぱり寒い。それもそのはず、チラリチラリと小雪が舞っていた。


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