June.30,2003 お尋ね下さい、お答します

5月31日 鈴本余一会
       第五十回柳家小三治独演会 (鈴本演芸場)

        開口一番の前座さんは、柳家小たま『道灌』。大きな声で元気がある。頑張ってね。

        まだ二ツ目だけれど、柳家三三には注目だ。中入後に小三治がお客さんからの質問を受け付けて、それに答えるという[お尋ね下さい、お答えします]というコーナーがあり、質問用紙というのを入口で渡された。「私の噺を聴きながら、ゆっくり質問を考えてください。その方が私の落語のアラが目立たない。しかし、『なんで三三の噺はつまんないんだ?』なんて質問は書かないで下さいよ」 そのままスッと『幇間腹』に入ったのだが、これがつまんないどころかテンポがあって爆笑ものの面白さ。鍼に凝ってしまった若旦那、枕を相手に鍼を打つ稽古。「反応がないのはいけませんね。埼玉県飯能市内って言ってね」 幇間の一八に打たせろと持ちかけると、当然断られる。祝儀と羽織を付けるんだがと言われて、「どうしてあなたは、地雷を埋めておいて、その上で手を振るの?」と返す一八の間合いがいい。いかにも幇間という感じが出ているではないか。「昨夜の夢見が悪かったね。イラクの大統領が具合が悪くて、医者に診せたら、フセイン脈だと言われた」 飛ばしてるう!

        客席内は補助席が出され、うしろは立見客がいっぱいだ。柳家小三治が出てくる。なにしろ長くなる小三治の高座、立見は辛いだろうなあ。「この会を、そういうもの(長くなる)だと知らないで入って来ちゃった人がいるかも知れませんね。一度言われてみたいですね、終わった途端に、『えっ、もう終わりなの!?』って」 珍しく一席目から長いマクラを入れずに『かぼちゃや』に入った。かぼちゃを売ってこいと言われた与太郎が、元値で売ってきてしまう噺だが、与太郎のモノローグじゃないが、相手は与太郎なんだからキチンと説明してあげればいいのになと、いつもこの噺を聴くとたびに思う。「掛値なら掛値って言ってくれればいいのに。上を見ろじゃあわからねえよ。ちゃんと教えてくれれば、そうしたのに。教えてくれなくっちゃ。こっちは初めてなんだからさ」

        仲入り後は、お楽しみの[お尋ねください、お答えします]だ。釈台の上に湯呑が置かれている。質問用紙の束を持った柳家小三治が、その前に座る。凄い量の質問用紙なので、任意に抜き出したものに小三治が答えていく。以下、質問とその答え。

―――好きな与太郎は、どの噺の与太郎ですか?
「・・・・・・・・・・・・・・・『かぼちゃや』の与太郎」(笑)

―――どうしたら記憶力がよくなりますか?
「これは、私の方が訊きたい。一遍憶えた噺を忘れない頭を持っていたら、どんなに幸せかと思いますよ」

―――生まれ変わっても噺家になりたいですか?
「今は、そう思いません。・・・・・自分の命には未練はありませんが、この先ニ十年先に自分がどんな落語を演っているかには興味がありますね。自分が変わってきているというのはわかります。それは、上に上るとか、下に下がるとかいうじゃなくて、自分が変わることによって噺も変わってくるんです。『あっ、今までにない[かぼちゃや]ができたな』と思うときがある。・・・・・生まれ変わっても噺家になりたいか・・・・・そのときになってみないとわからない」

―――小さん師匠から学んだ最大のものは何ですか?
「平たく言えば、たくさんあるんですが・・・・・・。最晩年のああいう姿をお客さんに見せたこと。ときどき、何言ってるかわからないことがあった。ああいう姿を見せてくれたことが、自分が頭脳や身体が利かなくなったときに、どうするかということを考えさせてくれましたね。欲がなく、淡々とした姿を人前で見せられるようになれたらと思います。

―――ミネラル・ウォーターは、今でもvolvicひとすじですか?
「はい、ひとすじです」(笑)

―――一番気に入っている噺は何でしょうか?
「・・・・・・私ね、気に入っている噺があるんでしょうか? ・・・・・さっき『かぼちゃや』を演りましたが、まだどこかに発見がないだろうかと思いながら演っています。以前寄席の十日間で毎日『天災』を演ったことがある。どうにも『天災』がしっくりこない。どう演ったら楽しく演れるんだろうか、それは、ある意味で辛いんです。迷いながら自分の一番気に入った形を探っていくのが好きなんですね。だから、今一番気になっている噺が好き」

―――『青菜』の菜の種類は何でしょうか?
「するどいね、これは。色と形は頭にあるんですが、種類は決まっていません。菜というものは冬のものです。夏の菜も無いわけじゃない。ニラなんかそうですが、ニラは合わない。どうぞ、お好きな菜にしてください」

―――サインをいただきたいのですが、どうしたらいいでしょう?
「・・・・・表で逢ったときにどうぞ」(笑)

―――駐車場を占領したオジサンは、その後どうしたでしょうか?
「最後に見かけたのは一年半ほど前。高田馬場の駅前で酔っ払って寝てました」

―――自分以外で、こいつにだけは負けたくないのは、どんな人ですか?
「これ、答えるんですか? 聞くとしらけちゃいますよ。芸人根性が無いから、シビアには答えない。えー、笑いを取る人、例えば木久蔵師匠とか・・・・(笑)。負けたくない人、今までそういう人がいたでしょうか? 勝ったらどうなるんですか? また誰かに負けるんですよ。ほおら、しらけると言ったんだ」(笑)

―――地元の市民会館で、マクラの途中でどうにも軌道修正がきかずに謝っちゃったことがありましたが?
「もっと何回も来てみてください。始終謝ってます」(笑)

―――塩についてじっくりと話してください
「今度、お宅にお伺いします」(笑)

―――演目をなぜ前もって発表しないんですか?
「前もって出しておくと、その日にその演目を演りたくなくなる時があります。決めておくと、その噺をしなくちゃならない。決めておくと、みなさん、何か調べたりするでしょ。落語に予習はいらない。復習だけしてください」

―――最近好きな歌はありますか?
「つい、何ヶ月か前までは歌っていた歌がありましたね。『あの人とっても好きなのよ』・・・・・えっ? 違う? ああ、『あの人とっても困るのよ』か。・・・・・だから、記憶力がよくなる方法を私の方が知りたいんだ」(笑)

        1時間ほどの質問コーナーのあとに出てきたのが柳家〆治。「待ち疲れました。本当に長いものですね。私の方はすぐ終わりますから」と『締め込み』。それでも途中で切る型ではなく、最後まで演ってくれた。最後まで演ってくれると、なんともほのぼのとした噺になるから、この噺は最後まで演るべきだ。

        さあて、柳家小三治の二席目『薮入り』だが、小三治にかかると、義務教育制度の推移した歴史から始まる。そこから、明治時代に小学校が出来て、そのころは四年制で、四年たったら奉公に出されたという話になる。「奉公は就職とは違うんです。就職というのは、雇う側が、『こいつは、ある程度使えるな』と思ったら雇う。そこへいくと奉公は使えない者を入れて、一人前に育てる。いわば、昔は福祉社会でしたんですね。また、奉公に出す側でも口減らしになった」 こうして、ここからは奉公に出た者がどういう生活をしていたのかという日常を詳しく語り出す。さらには噺の中で重要な意味を持つ[ねずみとり]の制度について解説を入れてから、ようやく『薮入り』に入るという具合。初めての薮入りで家に帰ってくる息子を思い寝付かれない夜を過ごす父親の姿。何を食べさせてやろうか、どこへ連れていってやろうかと、「なあ、おっかあ」と喋り続ける父親をじっくりと描き出していく。もう、父親の方が子供みたいで、帰ってきた子供がすっかり大人になっているという描写がクッキリと際立っている。息子の財布を覗いて大金が入っているのを、店から盗んできたと勘違いした父親が、息子わ叱りつけると、「これだから貧乏させたくないんだ。おとうさんに(財布)渡すと碌な事ないから」と話す子供はもう充分に奉公によって大人になっている。

        こんないい『薮入り』はちょっと聴いた事がない。演目は予め決めないという小三治の『薮入り』に再びめぐり合えるのは、いつのことだろうか?


June.30,2003 すいません、この項割愛します。

5月25日 『オケピ!』 (大阪フェスティバルホール)

        『オケピ!』に関しては、3年前の初演のときも書いたし、今年の名古屋のときにも書いたのだけど、まだ書きたいことがいろいろある。しかし、すでにしてご存知のように、この『客席放浪記』は大幅に遅れておりまして、1ヶ月以上前に観たことを書いている状態。これはどう考えても健全な事態ではない。遅れを取り戻す意味もあり、また、書き始めると長くなりそうなので、レポートは割愛させていただきます。

        それにしても参ったなあ。こんなに遅れるとは思いもしなかった。


June.29,2003 ゼニ、カネ、ゼニ、カネが笑いになる大阪

5月24日 なんばグランド花月(NGK)

        三年ぶりに大阪へやってきた。大阪に行ったら、やはり何といっても吉本を観ておかねばなるまい。大阪に詳しい知り合いに訊くと、「NGKは週末はいっぱいですから覚悟して行った方がいいですよ」とのこと。まあいいか、立見でも大阪の笑いに接してみようと思った。

        あまり詳しい下調べもせずに難波へ出て、地図を頼りにNGKへ向って歩く。NGKの木戸口を見ると、どうやら土曜は三回興行のようで、ちょうど二回目が始まったばかり。一階席と二階席では料金が違う。一階席が四千円、二階席が三千五百円。うわー、高い! その料金に一瞬ひるんでしまった。東京の寄席の木戸銭はどこでも三千円以下。それでもたくさんのお客さんが来るということは、大阪の人は寄席芸にそれだけ高額の料金を支払ってもかまわないと思っているらしい。ここまで来て入らずに帰るのもシャクだ。窓口の販売状況を見ると、一階席は売切れとなっている。一階席で四千円で観るりも、五百円安くしてくれる二階席の三千五百円の方がいいやと、千円札を四枚窓口に黙って差し出すと、「一階席でよろしいですか?」との答え。ええっ! 一階席は売り切れじゃなかったのかあ? ジッと見つめる窓口のオネーサンに飲み込まれて、「あっ、・・・はい」と答えてしまった。すぐに指定席チケットが出され、四枚の千円札は消えてしまった。五百円のおつりは返って来ない。まっ、いいか。恐るべし、大阪商法。

        もう一番手の漫才が始まってしまっている客席を、自分の席を捜して歩く。なるほど場内は満員。私の席は後ろの方だった。ティーアップという若いコンビ。なにやら宗教に入信させるというネタを演っている。私が席に着いて聴く態勢になったところで終わってしまった。一組分損したぞ。六組と吉本新喜劇で四千円なんだから、うーんと、そうだなあ、吉本新喜劇が千円で、あとの六組が五百円ずつで三千円。合計四千円という計算だと思っていいのだろうか? これで五百円損した・・・・・って、どうも大阪に来ると妙に計算高くなっていけない。

        Wヤング。「花月ゆうたら、日本各地からお客さんいらしてまんねん。大阪以外からいらした方いますか? 『遠いでえ』という方いますか? はっ? 山口? あの北海道の」 「なにがや! 山口は北海道じゃないわ」 「知ってるのか?」 「フィリピンの下やろ」 「違うわ、本州の端やろ。山口、ええとこですよ」 「何にもなくて」 「褒えよ!」 どうやら、こういうツカミをいつもやっているらしい。東京から来たと言えば、いったいこの人たちはどういう反応を返してくれるのだろうか? 「それにしても我々のギャラ、安いでっせ」と、金の話題に入るのがいかにも大阪らしくて面白い。「ものまねのコロッケのギャラ知ってるか? ワンステージ三百万だっせ」 「あれが三百万?」 「昔、コロッケいうたらね、市場で十五円。それも揚げたてのアツアツ・・・。五木ひろし、いくらだと思う?」 「八百万くらいか?」 「八百万くらいで出てくれまっかいな。一千五百万円や」 「ごっついなあ」 「わしら、花月で一千五百万貰おう思たら、何遍出なきゃならん」 「何遍やろ?」 「二回や」 「うそ言うな!」 「一回三千円や」 「いくらなんぼ安くても三千円ということはおまへんで。三千五百円や」 「そっから税金引かれて三千百五十円。それをふたりで分けまんねんで」 こういうお金の話は、いかにも吉本! という感じでいいなあ。ゼニ、ゼニ、ゼニ。それが笑いに繋がるのが大阪なんだなあ。このあとも、便所ロボットの話。えげつなあ!

        『どっかんスペシャル』というコントのコーナー。大木こだま・ひびき若井みどり・メグマリコしましまんずの三組によるホストクラブねた。まずはメグマリコの松田聖子の物真似で『夏の扉』。「さあ、みなさんご一緒に『♪フレッシュ フレッシュ フレッシュ』」 お客さん誰も歌ってくれずにずっこけるメグマリコ。ホストクラブのネタで何で松田聖子が出てくるのかわからないが、メグマリコはこれが売りらしい。客の若井みどりを、ホストの誰が一番喜ばせることができるかというコント。若井みどりが自分を一番楽しませてくれた人に小遣いをあげると言い出す。「私に甘〜い言葉を言ってちょうだい」 「ハ・チ・ミ・ツ」 「私を骨ぬきなするような言葉を言ってちょうだい」 「くら〜げ」 「私に痺れる言葉を言ってちょうだい。・・・・・電気うなぎはいらんで」 「長い時間の正座」 「青森県の寒さ」 「それは痺れるじゃなくて、しばれるやないか」 最後にまたメグマリコが出て来て、今度は『スイートメモリー』 いったいこの人は何なんだろう。コントにひとつもからんでない(笑)。

        今の東京の寄席は落語過多で、色物が少ない。落語ばかり続いたところで出てくる漫才はホッとするものがあるが、こちら大阪では落語が少ない。この日唯一の落語が桂きん枝。何のネタを演ってくれるのかと思ったら、漫談だけ。「[花月のお茶]、いったい誰がどこで作っているのかわからない。前はね、あれ、[三十二茶]っていってました。なんでそんなけったいな名前つけましたいうたら、『今アサヒの[十六茶]が売れてる』 三十二茶の方が濃いんでっかと訊いたら、『いや、薄めたんや』」 [花月のお茶]はあとで中入休憩時間に買って飲んでみたが、まあ普通のお茶ね。「阪神淡路大震災のときに、なんばグランド花月、お客さん3人ということがありました。当日やおまへんで。当日と翌日は休みました。2日目の晩に支配人から電話がありました。『明日から開けるから来てや』 『大丈夫でっかいな?』 『3日もたってま。もうそろそろ世間も忘れてる』。幕開けたらお客さん3人。『お金返して、やめまひょ』と支配人に言ったら、『だめだ! 吉本の社訓として、一度貰ろうたもんは返すなというのがある』」 「なんばグランド花月では、土曜、日曜、祭日は1日3回働きます。それが平日は1日2回。朝の部が無いんです。ここからがおかしい。昔から2回働こうと3回働こうと、ギャラはおんなじ。これを月亭八方が気づきおった。芸人が集まってその当時の社長のところに話に行った。『2回働いても3回働いてもギャラが同じっておかしいでっせ。3回のときは1回分余計にギャラをおくんなはれ』言うたら、『どあほう。お前ら考え違いしてる。花月は昔から1日3回と決まってるんや。ところが、おまえらが可哀想やさかいに、平日は2回に負けたってんねん。なんなら、その1回分引いとこか』。これ、ほんまの話でっせ」 ここでもまた金の話。こういうのお客さんにまた受ける。

        今いくよ・くるよ。漫才ブーム全盛のころによくテレビに出ていたので、よく目にしていたのだが、初めてナマで観ることができた。いくよがくるよの体型のことを笑いにすれば、くるよがいくよの化粧のことを笑いにするのは、昔のまんま。くるよがいつも奇抜なコスチュームで出てくるのも昔どおり。カーニバルをイメージしたという新しい衣装で登場したのだが、その衣装がずり落ちるのが気になるのか、さかんに衣装を直す仕種が入る。そのたびに漫才のネタが途切れるのが気になって、なんだかわからない。それでも大阪のお客さんは、そんなくるよに大爆笑している。結局私には何が可笑しいのかわからないうちに終わってしまった。大阪の人はこれでいいのだろうか?

        中田カウス・ボタンは十八番の風邪薬のネタ。「風邪ひいて寝てたんや」 「そんなことするからや、布団ひいて寝んかい」 「・・・・・風邪ひいて布団ひいて寝てたがな」 「風邪の上に布団ひいてたんか?」 「布団ひいて、ほんで風邪ひいて寝てたんや」 「布団の上に風邪ひいて、風邪の上で寝てたんか?」 「風邪とボクは一緒なのよ」 「なんや、それ」 「風邪はボクで、ボクが風邪や」 「布団ひいて風邪ひいて寝てた。早よ言いたら、畳はひいてないちゅうことか。地べたに新聞敷いて・・・・・」 「うちとこ、畳くらいありまっせ。薬飲んだんですけどね、ぜんぜん効かへん」 「何の薬?」 「風邪薬に決まっとるやろ! よく調べたらたら、私が風邪ひく前に、その風邪薬が風邪が先に風邪ひいとったんや」 「ということは、その風邪をひいた風邪薬に風邪をひいてない風邪薬を飲ませて風邪をひいた風邪薬の風邪を治しといて風邪をひいた君の風邪が治った風邪薬を飲むと風邪をひいた君の風邪が治るわけ?」 もう何回も聴いているのだろうけれど、これを演ると爆笑が起こる。

        ここで休憩時間になる。タコヤキを持った売り子さんが入ってくる。これがまた飛ぶように売れている。「おばちゃん、タコヤキひとつちょーだい」の声が方々からかかる。たちまち人だかりだ。売り子さんも大忙し。「財布出しといてよ。忙しいんだから!」 もたもた金を出しているお客さんには叱正が飛ぶ。私は自販機で[花月のお茶]。

        このあとは、吉本新喜劇『野獣恋すべし』になったのだが、私はどうも吉本新喜劇が苦手な上、気がついてみたらもう1ヶ月以上前に観たんだった。内容はほとんど忘れてしまった。メモも残ってないので、すいません、ポスターだけ。



June.22,2003 大丈夫、若手はグングン育っている

5月17日 朝日名人会 (朝日ホール)

        前座は柳家さん太『桃太郎』。頑張ってね。

        林家彦いちは、最近の女子校生のボキャブラリーの少なさに、「他に言葉の扉は無いのか!」と怒り、体育系の人間のまっすぐさ(というか、頭脳の容量の少なさ、「パソコンでいうとハードディスクが積んでない」)を笑うマクラから、お得意の『睨み合い』へ。こちらはボキャブラリーたっぷり、微に入り細にわたったドキュメンタリー落語。夜の京浜東北線上り電車車内の出来事。もうこの人の代表作となってきた。

        林家たい平「こぶ平兄さんが、今度正蔵を継ぐことになりまして・・・・・いつも、私は『うちの一門バカばっかり』とやってましたが、正蔵ですからね、これももう出来なくなる」 「(同じ演目の)歌舞伎に毎日通っても、少しずつ違うんですね。そこにいくと、林家一門の落語も毎日台詞が違う。・・・・・憶えてないといってもいいんですが」と『七段目』へ。芝居好きの若旦那と小僧の芝居ごっこが可愛くて楽しい。

        今回の朝日名人会は青風篇という、若手ばかりを集めた会。春風亭昇太は「二十年たっても若手ですからねえ。いいじゃないですか、本番の方で呼んでくれても! 若手のホープと言われてもう十五年ですよ」とぼやきながらも、タマちゃんの話題などをふって、『人生が二度あれば』に。最初の方に主人公の老人が新聞を読んでいるところがある。以前は「『春風亭柳昇さん死す』。たまにはいいことも書いてあるな」とやって笑いを取っていたものだが、この時期はもう笑えない状態になってきたのだろう。別のクスグリに変えていた。「『落語家の春風亭昇太さん、人間国宝に』・・・・・か、嫌な時代になったなあ」 この昇太の噺のオチは私は大好きだ。グルッと回って戻ってくるこの構成のオチは、何度聞いても安定しているなと思う。

        柳家喬太郎『粗忽の使者』を演ることになっていたのだが、なんと『東京かわら版』には『粗忽の死者』となっていたという。「喬太郎の新作落語かなと思った方がいらっしゃるかもしれません。私もですね、そんな題名の新作を作ってみようかと考えたんですがね、どうやっても『粗忽長屋』になっちゃうの。最終的には『東京かわら版』が一番粗忽だった」 どこか喬太郎らしさがある楽しい『粗忽の使者』だった。口上が思い出せない粗忽者の侍の尻をつねる役を買って出た大工の留公。三太夫に着いて行って侍のいる部屋の前で、「暫時、ここに控えておれ」と言われると、「ゲロッ、ゲロッゲロッ」とやる。「バカにしているのか?」 「だって、ここにヒキガエルって」 この間がいかにも喬太郎落語。

        神田山陽は先代との想い出を語り出した。「私は優秀な弟子とはほど遠かった。怪談噺のときなど、手伝っているよりも邪魔ばかりしていた。照明のコンセントを挿し忘れて、スイッチを入れてもそのまんま。高座が青くならずに私が青くなった。末広亭の楽屋には開演を知らせるブザーのスイッチと照明のスイッチが並んである。照明を消すつもりでスイッチを押したらブザーが鳴ってしまった。あのとき(師匠に)クビだと言われたら、ここにいなかった」 ネタは『地球の栓』。今回もいいところで切れ場。先が聴きたいよう。

        「きのうは、おじいちゃんの一周忌でした」と柳家花緑。「乗泉寺のおじいちゃんの墓へ曲がる角に立て札が立ちました。『これより二ツ目柳家小さん』。一門は見るたびに笑っている。誰も怒ったり止めたりしない」 「喬太郎はさん喬師匠の弟子だから、小さんの孫弟子に当ります。私は小さんの孫で弟子」  酒があまり強くない小さんが、「酒が弱い方が酒呑みの噺はうまくなるんだよ」と言ったというエピソードを紹介して、『禁酒番屋』。小さんも確かに酒呑みの噺がうまかったが、花緑も番屋の侍が酔っ払っていく様子がうまい。あまり酒なんて強くならなくていいから、落語をもっともっと面白くしていって欲しいな。


June.15,2003 昼夜通し長講二席

5月11日 らくご℃番外編 なかの祭 (なかの芸能小劇場)

        四月の[池袋四月革命]に行ったときにチケットを売っていたので衝動的に買ってしまった。昼の部と夜の部があって、どちらも違う内容。どちらを買おうか迷っていたら、「通しで買うと五百円キャッシュバックします」との言葉に負けて、通しで買ってしまったのだ。買ってからちょっと後悔。昼の十二時半から夜の九時までというのは、さすがに疲れそう。まっ、途中ところどころで寝ていればいいかと会場へ向う。

        グランド・オープンは予告どおり、金原亭馬遊が北島三郎の『まつり』をカラオケで歌う。イントロに乗って、のっしのっしと中央に出てきた馬遊に「さぶちゃーん」の掛け声が飛ぶ。気持ち良さそうに歌う馬遊の横で、駿菊、三太楼、たい平らが何やら、いろいろとチャチャを入れていることが書かれているスケッチブックを客に見せて笑いを取る。噺家仲間は何をするかわからないから、おちおち歌も歌っていられない。

        まずは林家たい平『明烏』。最初っから大ネタじゃん。ところどころでクスグリというよりもギャグをかましながら進めるのがたい平流。「ほどのよいところで手を叩く・・・・・♪好きなんだけどお〜 チャチャチャ」 これが落語好きで埋まった客席で受ける。「これ、今思いついたんだけど、今度、余所でも演ってみよう」 吉原の大門を見た若旦那に「あれは大鳥居ですよ」とたすけが説明すると、「ああ、ポテチンですか」(鳳啓助と大鳥居をかけたもの) 「ぼっちゃんが笑わせなくていいんですから」 ここはお稲荷さんではなく吉原だと気がついた若旦那がメソメソと泣き出してしまう。「あれ、嗚咽(おえつ)ってんだろ。読めるけど書けない」 そんな若旦那を、やり手の女将が手を引っ張って、「おばちゃんと一緒に夢のお部屋に行きましょう。おばちゃんと思うから恐いの。ドラエモンだと思えば恐くないのよ」 こういうギャグがふんだんに盛り込まれていて楽しい。そんな中、ポツリと「こういうことを入れるから、朝日の太田さんは、私のことを良く書かない」 これがまたお客さんに受ける。最後にサービスでお得意の隠し芸『花火』。これはいつ観ても可笑しい。

        五明楼玉の輔。「このあとの歌武蔵がまだ来ていません。(私の噺が終わっても)まだ来てなかったら、また馬遊が『まつり』を歌うことになっています」と『青菜』へ。終わって、楽屋へ引っ込むと本当に『まつり』のイントロが流れ出した。馬遊がまた、のっしのっしと中央に出てくる。爆笑に包まれて歌い出そうとしたその瞬間、三太楼が馬遊の隣に来て、「来た」の一言。楽屋に去っていく馬遊。

        三遊亭歌武蔵。「別に遅れたというわけじゃないんですよ。馬遊さんに『歌いたいから、ゆっくり着替えてくれ』と言われまして・・・」 ネタは『強情灸』。大きな歌武蔵が灸をすえて悶える様は迫力がある。

        落語が三席続いたところで、橘右楽の寄席文字実演。釈台の上に半紙と筆を置き、お客さんのリクエストに答えて書いていく、まずは[道]。お囃子さんは「♪あの町この町 日が暮れる 今来たこの道 帰りゃんせ」と『あの町この町』。続いて[鶴] [緑] [笑] [粋] [寿]とリクエストに答えながら、その合間に寄席文字に関するトークがある。「寄席文字というのは、ツメて書くという特徴があります。それは文字が寄席そのものを表しているからです。黒の部分が客席の埋まっているところ。白の部分が空席を表します。お客さんにいっぱい入ってもらいたいという気持ちから、黒の部分が多くなるようにツメて書くわけです。また、右上がりに書くといのも、日を追うごとにお客さんが入って欲しいという意味合いがあるんです」 なるほどなるほど、いい勉強をさせてもらっちゃった。

        シリアルパパのコント。今年、東洋館で観たのと同じ、出所してきたヤクザと、その組長のネタ。今や時代が変わり、ヤクザの組をたたみ道路工事のガードマンをしている組長に、組はどうなったのかと問い質すが、みかじめ料は経営者がみんな外国人になってしまうは、正月のしめ縄作りは百円ショップで売っているはで、立ち行かなくなってしまっている。組長「ついには白い粉にも手を出したんだ」 子分「えっ、白い粉にまで」 組長「仕方なかったんだ」 子分「あれは儲かるでしょ。1g十万とか二十万」 組長「末端価格で1.4kgで四百円ってとこかな。一軒一軒回って置いてくるんだよ。それで新聞とってもらうの」 子分「えっ!? 覚醒剤じゃないんですか?」 組長「粉石鹸」 子分「シャブじゃないんですか?」 組長「ザブだよ」

        さあ、いよいよ昼の部の目玉、長講『双蝶々』(ふたつちょうちょう)をリレー落語で演るというから期待が高まるのだが、これを演じるのが林家彦いちと三遊亭白鳥というのだから、なにやら怪しげな企画だ。『双蝶々』といったら大ネタですよ。それを新作派のふたりが演ろうというのだから、?マークがいくつも着いてしまうではないか。

        案の定、三遊亭白鳥、「『双蝶々』って、どんな噺なんでしょうねえ? 私も聴いた事が無い。それを白鳥、彦いちという、人情噺の大家が演ろうというのですから」と前置きして始めたのは、かの『双蝶々』とは大分違う噺。白鳥のところには『帰らずの森』という演題がついている。まったくの白鳥の新作と言っていい。面白いのは、出だしは確かにかの『双蝶々』なのだ。八百屋の息子長吉の悪童ぶりが描かれる部分はまったく原典のまま。「おおおっ! いよいよ白鳥も本格的な古典の大ネタに挑戦か?」と思わせておいて、長吉が深い森の中に入っていくところから、噺は大きく逸れて行くことになる。森の中、白と黒の蝶々が飛んでいる。長吉がその蝶々を追って行くと古いお屋敷が建っている。そのお屋敷に蝶々が入っていくので長吉も入ってみると、中に白い蔵と黒い蔵がある。これはメルヘンの森のお伽の蔵。白い蔵に入ると、そこは『マッチ売りの少女』の世界。黒い蔵に入ると、そこは『ヘンゼルとグレーテル』の世界・・・・・。童話好きの白鳥らしい噺になっていて、これは別に『双蝶々』としなくても、なんの問題もない新作。「『双蝶々 悪の目覚め』の序でございます」と言って、楽屋へ下がって行った。またどこかで聴きたい!

        そこへいくと、それを継いだ林家彦いちの方は、かなり原典に近いかも。奉公に出された長吉が長五郎と一緒に、通りかかった女性を襲って金品を奪い取る(フェラガモの雪駄というのが彦いちらしいのだが)。それわ見ていた番頭の権九郎を殺害するという、そのままの筋は壊さずに、彦いちらしい世界を展開する。なぜか番頭を殺す凶器がサンマ。サンマを番頭に突き刺す長吉に、「魚なんかで殺さないでくれよ。オレの話に尾ひれがつく」 題して『押忍! 番頭の命頂きます』

        昼の部終了。一端外に出て、食事を摂ることにする。中野ブロードウェイを歩いて、回転寿司屋へ入る。五皿ほどつまんでから、何も考えずに中野をブラブラとひたすら歩く。少し身体を動かして、リフレッシュしないと昼夜通しはキツイ。

        夜の部に突入。まずは長唄。柳家紫文東京ガールズ『岸の柳』。これに芸者のまり子姉さんの踊りが加わる。いつも寄席では長谷川平蔵ものでお客さんを笑わせている紫文さん、「今回は、演芸は止めてくださいということなので、長唄を演ります。ただ、これ、最後まで演った事がない。踊りのまり子姉さんも最後まで踊ったことがない」と笑わせてから演奏に入った。紫文が長唄で貰った名前は、杵家正楽だそうな。「正楽襲名は、ボクの方が(紙切りの正楽より)早いんだよ」

        夜の部の目玉。こちらの方は円朝作の長講『名人長ニ』を、これまた四人のリレーで。本来なら寄席十日間興行の中で少しずつかけていくような噺を、一日で演ってしまおうという試み。

        入船亭扇好は、『仏壇叩き』の担当。「楽屋がこんなに沈んでいる日は久しぶり。四人ともこの噺を聴いた事がなかった。知ってたら誰もこの企画を受けなかった」と、指物師長二の名人伝の部分を演じてみせた。人呼んで不器用長二。不器用な物ほど長持ちすると、「いい仕事する」長二の逸話部分だ。この部分だけでも、立派な名人噺になっている。

        続く三遊亭円馬『湯河原宿』。四つのパートはいわば、起承転結。『仏壇叩き』が起とすると、この『湯河原宿』は承。物語が展開していく部分だ。長二が養生のために赴いた湯河原で、彼の出生の秘密が明かされていく。いわば四人の中では一番損な役まわりなのだが、円馬はところどころクスグリを挟みながら、因縁噺をわかりやすく語っていく。

        転『幸兵衛殺し』で噺は大きな山場を迎える。これを担当したのは柳家喬太郎。これは喬太郎の鬼気迫る名演となった。実の母親なのに名乗って出なかった長二の母お柳と、その夫幸兵衛。「おっかさん、なぜ私を竹薮に棄てなさった」と問い詰めた長二に、あくまでシラを切る母親。執拗な問い詰めに、ついには幸兵衛が刀を抜く。「旦那、抜きなさったね。十五年前に殺しそこなったかい?」 お柳に対しては「てめえ、自分を母親と名乗らないばかりか、俺を殺す手伝いをするつもりか!」 ひょんなことから実の母お柳を殺してしまう長二。「長二! とうとうてめえ、親を殺しやがったな!」と叫ぶ幸兵衛の言葉を受けて、「ここまでしなければ親と名乗らないのかい!」と叫び返す長二。ドロドロの修羅場が展開するのだが、喬太郎の演劇的な演出に場内シーンと静まり返って、固唾を飲んで見つめているといった具合。その場で本当に殺害事件が起こっているかのような迫力だ。

        結『お白州』を担当したのは、古今亭駿菊。喬太郎のあとを受けて、「すごいですねえ。私も前に回って聴きたかったくらい。きょうの割り振りをしたのは私でして、あんなに真剣に演られると、あとが演りにくい」と、いよいよまとめの部分。親を殺したとお奉行様に申し出た長二を伊勢守が裁く、いわゆる政談ものになる。やや強引とも思える理屈で長二を無罪とするのだが、ややこしい論理をきちんと積み上げていく整理役を駿菊は見事に果たしてくれた。ご苦労様でした。

        これだけの長講のあとにトリが柳家三太楼。「終わった連中はいいよ。明るく送り出してくれました。可哀想なのは馬遊。十二時半に『まつり』を歌ってから、ずーっとあのまんまで、このあとまた『まつり』を歌うので待っているんですから」と入った噺が、これまた一筋縄ではない。『船徳』から入って、そのまま後半部分の『お初徳兵衛』に繋げてしまうという演出。まだ船頭としては半人前の若旦那徳兵衛の漕ぎ方に、いろいろと口を出すお客。ついには逆ギレの様相で、「船なんかそんなに簡単じゃないんだ! まっすぐ走っているからいいんだ!」 とは言いながらも岸に着いてしまう船。蝙蝠傘を持っている客に、それで岸を突いてくれと言う。躊躇している客に、「早く突けー!」 この逆ギレ徳さんがなんとも憎めないのが三太楼風。いよいよ後半『お初徳兵衛』へ。船の中、お初と徳兵衛ふたりっきり。お初が「私・・・・・お前さんのこと」 「えっ?」 「・・・・・おしまいまで言わせるんじゃないよ」 雨がザー、ザー。雷が光ったと思ったらガラガラガラ! 徳兵衛にしがみつくお初・・・・・。「どっかで聴いた事のあるサゲだなあ(宮戸川)・・・・・お初徳兵衛なれそめでございます」

        グランドフィナーレ、金原亭馬遊が再び『まつり』を歌う。時計を見ると、予定通りの午後九時半。お疲れ様でしたあ!       


June.4,2003 芸のあるなし

5月4日 GW爆笑スーパーLIVE`03 (渋谷公会堂)

        名古屋日帰り旅行から、早朝に東京に戻って来た。バスの中でよく眠れたこともあり、比較的元気だ。若手お笑い芸人が出るライヴへ行くのも足が軽い。古典芸能の落語も好きだが、若い人たちの新しい笑いも好きだ。今はまだ玉石混交で、面白いものとつまらないものがごちゃ混ぜ状態だが、いつも、何か新しい笑いはないかと興味がある。

ダンディ坂野
        いきなり苦手な人が出てきた。赤のラメのスーツで現れたダンディ坂野。アメリカン・スタンダップ・コメディの形式。それもテレビ乗りのオーバー・アクション。いや、スタンダップ・コメディのネタがほとんど無いオーバー・アクションだけで笑わせる人だ。アナウンスが「トップ・バッターは、ダンディ坂野!!」と声を張り上げただけで、「ワーッ!!」と凄い歓声と拍手が鳴る。「ダンディ、先週『クイズ・ミリオネア』で全問正解した」 「ほおー」と感心したため息が会場から漏れる。すると「・・・・・家で」 これで大爆笑と拍手だ。面白いか、これ? ネタ(といえるかどうか)とネタの間に、意味不明の「ゲッツ!」という叫びを入れて客席に向って拳銃を撃つ真似をしてみせる。若い観客は大笑いだ。しかし、私のようなオジサンは虚しくなるばかりだ。こういう観客の前でなく、寄席の観客の前で演ってみたらおそらく座はシラーッとしてしまうに違いない。もっとも、ダンディ坂野本人は、シラーッとさせるのを自分の笑いだと思っているふしがあるから厄介だ。芸人をダメにするのは、つまらないものでも笑う観客なのだとよく言われる。私は古い人間なのかも知れないが、芸の無いもの観ていて苦痛以外のものではない。それも一生懸命演っているなら、こちらも応援しがいがあるが、これでいいのだと開き直って、ふざけているだけの姿は観ていられない。

福田哲平
        こういう人のネタを聴くと、やっぱり自分はオジサンなのだと実感してしまう。この人の笑いというのは、音楽ネタのひとりコントのようなもの。見えない相手にセリフを言い、音楽の一部を使ってオチをつけるのだが、ここで使用している曲が総て、今の若い人によく聴かれている曲なのだ。椎名林檎に、尾崎豊に、平井堅に、モー娘。といったところ。オジサン、ぜんぜん知らないんだよね、こういった人たちの曲。短いネタがいくつかあった後に、長めのネタ『もしもL`arc〜en〜Cielのヴォーカルが家にいたら』に入る。どうやらL`arc〜en〜Cielの曲は今の人はみんな知っているらしい。私は一曲として知らないのだ。L`arc〜en〜CielのヴォーカルのHydeが寝ているのを、おかあさんが起こすという笑いなのだが、例えばこんな感じ。おかあさんが「早く起きないと学校に遅刻するわよ」と起こすと、その答えが曲の一部を使って流れる。「♪消えうせて」 いったい何という曲のどのフレーズを使っているのかわかったらもっと面白かったろうにな。世代が違うからしょーがないのかな。

飛石連休
        これまた私の苦手なタイプの漫才。話があっこっちに飛んでいって落ちつかない。ようやく、お年寄りに席を譲るというネタに落ちつきそうになってきたので、面白くなりそうだと思ったら唐突に終わってしまった。ボケ役の岩見の個性が面白いので、もう少しネタを整理して持って行ったら面白いと思うのだが・・・。

星野卓也
        古館伊知郎あたりの実況中継の喋り倒し芸を笑いとして持ってきた人。この日のネタは『パシれメロス』。昼休みにいじめっこにメロンパンを買いに行かされたメロスが、メロンパンを買って学校に帰るまでので様子を自分で実況中継するというもの。古館伊知郎の開拓した喋りの特徴のひとつは、例えを入れて形容する技術。この星野のネタでも爆笑ものの例えが連発される。たとえば、メロスが走るのに疲れ果てているところ。「しんどいよ、しんどいよ。買ってきたばかりCDのセロハンを剥がそうとして、どこがスタート地点だかわからない時くらいしんどいよ。しんどいよ、しんどいよ。ゲームセンターで一万円札を両替しようとして、全部メダルになって出てきちゃったときくらいしんどいよ」 これを淀みなくスラスラスラと続けるのだから、これは芸になっている。

田上よしえ
        田上よしえ自身が、アイドルタレントになりたいと思い、芸能事務所に手紙を書くというネタ。「座右の銘は、負けない事、投げ出さない事、逃げ出さない事ですう。・・・・・あれ? これ誰か言ってたよな。・・・・・まあ、いいや。もうたぶんいないだろう」

エレキコミック
        新入生歓迎コンパネタのコント。グレン・ミラーやらクイーンの曲で盛り上がっていて、テンションが高かった。面白かったのだが、印象としてはこれらの曲しか頭に残っていないのはなぜ(笑)。

スピードワゴン
        女の子向け戦隊ヒーローネタ。「果物戦隊フルーティーちゃん」 「かわいーいー」 「色分けされてんの」 「例えば?」 「ブラック・バナナ」 「腐ってるんじゃないか!」 「ドリアン助川」 「おっさんだろ!」 小沢のウイットの効いたボケに、井戸田の突っ込みを入れるテンポがよくて、面白いコンピだ。

江戸むらさき
        ショートコントを30本ほど並べる。面白いのだが、めまぐるしくてあまり憶えていない。文字で書くとあまり面白くないのだが、ふたりの動きで笑わせる。例えばコンビニで会計をしているネタ。店員「650円になります」 客、一生懸命に身体中を捜す様子。店員「財布お捜しですか?」 「いや、服着てないんだ」 こういうネタ、私は好きなんだよね。

はなわ
        最近CDも出して、テレビにもよく出ているベース漫談。『はなわ、はなわ、僕の名前』。「♪僕の名前は漢字で塙 その意味を辞書で調べると 山の出っぱった所 ・・・・・どこだよ」 『S.A.G.A.佐賀』とメロディー同じじゃん。

アメリカザリガニ
        この人たちの漫才も実は私の苦手な部類。突っ込みの柳原の声がキンキンと響くので神経がやられてしまうのだ。そして、これが新しい感覚の漫才なのかも知れないが、ボケ役の平井の笑いが私には面白いとは思えない。先生と生徒のやり取りを漫才にしたネタをやっていたが、正直に言うとわたしには何だかわからなかった。

アンジャッシュ
        何回も書いている通り、私はアンジャッシュのファンだ。今回の催しに来た目的もアンジャッシュが観たかったからと言って過言ではない。今回のネタはビデオでも何回も観ている『告白』。これについては去年の9月に花形演芸会で観たときに書いたので、そちらを見てください。『告白』のあとに、未発表のショート・コント数本。やっぱりこの人たちはストーリー性のあった方が面白い。だからショート・コントはちょっと辛い。

テツ&トモ
        この人たち、CDデビューしたり、テレビでの露出度も増えたりと、すっかり有名になってきた。以前はあまりこの人たちが好きではなかったのだが、考えが変わってきた。この人たちはには芸があるのだ。すっかりお馴染みになった『なんでだろう』にしても、歌、踊り、そしてネタと、総てが芸になっていると言っていい。世の中のちょっとした経験を歌にして笑わせてくれる。ただ語るだけではあまり面白くないことでも、この人たちにかかると芸になっている。まずは『ちょっとだけ恥ずかしい』。「♪電車に遅れそうになって 猛ダッシュで乗ったのに 電車がなかなか出発しないとき〜」 「♪ドラマを観ていて 電話が鳴って ドラマの電話と勘違いしたとき〜」 トモの歌も絶品だが、テツの踊りと顔の表情で笑わせる。これは、もう芸と言っていいだろう。『テツ&トモのショートソング』を挟んで、『なんでだろう』へ突入。「♪昆布が海の中でダシが出ないの なんでだろう」とトモが歌えば、テツがユラユラと海中で揺れている昆布を全身で表現する。『なんでだろう』は『団子三兄弟』にメロディーが似ているという裏話ネタまで盛り込んで、大盛りあがりのうちにフィナーレ。

        結局、私の好みの分かれ目になるのは、その人が芸を持っているかいなかなのだろう。はっきり言って、この日に出てきた人で芸になっていない人たちが何人かいた。芸人だという自覚に乏しいというのだろうか。芸NO人でいいというのなら、それでもかまわないが、昔から言われいるように、お客さんが芸人を甘やかすとロクな芸人が育たないというのは、まさに真理だと思う。


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