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客席放浪記

浅草演芸ホール八月下席夜の部

2015年8月26日

 毎年恒例、禁演落語の会。最前列に小学校高学年と思われる女の子がいる。廓の噺だのお妾さんの噺だのばかりの会に、よく親が連れて来たものだけど、子供は案外平気で、この手の噺を楽しんでいたりするんだよなぁ。

 解説は長井好弘。ここで解説を始めてから、もう10年以上になるのかな。毎年同じことを話しているようで、少しずつ違う。禁演落語53種だそうだけれど、数字が半端だと思っていたら、楽屋で談之助に、53という数字はゴミと読めるわけで、なるほどゴミみたいな落語かと納得したなんていう話から始めた。戦争直前に時局がら相応しくない落語を封印したのが禁演落語53種。戦争中は落語家もほとんど戦争に行ったりして、東京には落語家がほとんどいなくなってしまったていたという。戦争中落語家をやっていた人が、今でもたったひとりだけ残っている。三遊亭金馬。戦争中、前座だったそうだ。それではそのころ本当に禁演落語は演じられていなかったかというと、金馬によると堂々と演られていたそうで、慰問に行ってもリクエストが多かったのは、これらの禁演落語だったとか。庶民や落語家は、したたかに生きていたんだな。金馬は終戦の三日後の8月18日に二ツ目昇進したそうだ。

 桂夏丸『六尺棒』。廓遊びが止まない若旦那の噺。今では普通に寄席でかかる。それでも私は久しぶりに聴いたかな。

 Wモアモアの漫才は、その日そのころの話題から入ることが多い。「今朝の気温、十月ごろの気温だそうですよ。これからまた暑い日もあるそうで半袖はまだクリーニングに出せないし」「やることないから、ついつい世界陸上、見ちゃいますね〜。出産して間もない選手が出場したりしてね」「参加することに意義がある。産科っていうくらいで」。こんなとりとめない話題から、いつもの立ち話漫才。

 雷門小助六が、携帯電話のマクラをやっている。「先日、私が高座で落語やってましたら、客席で携帯電話の音がして、お客さんが電話に出て話し出した。こういうの困るんですよ。高座と客席で話しているんですから。しはらくしたらこのお客さん、『電話してるんだから、静かにして』」。客席からドッと笑いが起こる。小助六が次の話題に入ろうとした瞬間、最前列で携帯電話のベル。より大きな笑いが起こる。
 『ひねりや』は初めて聴いた。ひねくれ者の親子がいて、息子はというと本ばかり読んでいる。しかし『明烏』の若旦那が奥手だとしたら、この若旦那は単なるひねくれ者。父親から毎日本ばかり読んでないで働けならぬ、たまには廓に行って遊んで来いの言葉で出かけていく。変わった花魁はいないか、唖の花魁がいるなら大金を出すと言ったものだから、ある花魁が唖の真似をして出てくるといった噺。聾唖者の真似をするというのが、あまり好ましくないとされて演じ手がほとんどいないそうだが、それなら、割とよくかかる『唖の釣り』だって同じこと。この噺面白いから、もっとやればいいのに。

 芸協の寄席、初登場の立川談之助。自身、禁演落語の会を催している人だから、この手の噺のレパートリーも多い人。おっ、今日は『よかちょろ』だよ。これまた若旦那が出てくる噺。三席続けて若旦那とは珍しい並びだ。『よかちょろ』もずいぶんと聴いてなかったなぁ。先代桂文楽がよくかけていて、それを引き継いだのは立川談志くらいのもの。最後に若旦那が見せる、よかちょろ踊りのバカバカしさが肝の噺。これを照れずに演れる人は少ないのかもしれない。

 やなぎ南玉の曲独楽。真剣刃渡りをやるのに、刀を抜いて刃を見つめるポーズが何ともいえず、いい形。廻した独楽をスッと刃に乗せる手際の良さもかっこいい。

 トリは三笑亭夢太朗『品川心中』。考えてみると、この噺こそ禁演落語の最たるもの。廓噺の上、心中もの。しかも死んでくれといいながら自分だけ助かっちゃう。こんな戦争に向かない噺は無いよなぁ。

 二度と戦争なんていうことが起こりませんように。

8月27日記

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