浅草演芸ホール九月上席夜の部 2016年9月1日 割引料金になる19時に入場。仲トリの市馬が『目黒のさんま』のサゲ近くまできていた。もうこんな噺が高座に乗る季節になったんだな。 浅草のお客さんって、仲入りでだいぶ帰る。前の方に空席ができたので、そこに座る。仲入りだけではない。浅草のお客さんは、帰りたいときに帰る。それがたとえ噺の途中だろうと。今夜はトリの喬太郎が上がる直前で帰った人がいた。誰がトリだろうが、そんなの関係ないのが浅草。 くいつきはアサダ二世。折りたたんだ新聞紙の隙間からに水を入れ、また戻すというマジック。タネはだいたいわかるのだけれど、やはり手順と手際だなぁ。 隅田川馬石が『たらちね』。嫁さんを貰うというので、部屋を片付ける男のうれしそうな表情。万年床を片付けようとすると、布団の下にキノコが生えている。「食べられるのかな?」お経のクダリなどはカットしてネギ売りのところまで。 柳家小燕枝は『あくび指南』。あくび指南処の先生曰く、「一番難しいのは寄席のあくび。噺家さんの前で退屈してあくびょしますと、噺家さんが嫌な顔をします。噺家さんに気づかれないように、あくびをかみ殺してそっとやる。これが寄席のあくび」。そうそう、難しいんだから。 ホンキートンクの漫才。数年前まで、落語協会の漫才といえば、ゆめじ・うたじ、のいる・こいるの二組が鉄板の面白さだったのが、この二組がいなくなってしまって、なんとなく寂しくなった。若手のホンキートンクあたりが、もっと実力を付けてくれるといいと思っているのだが、まだ東京の寄席の漫才としては、落ち着きのない笑いだ。若いから仕方ないんだろうけど、寄席に合った漫才ができると、もっと人気が出てくる気がするんだけどな。 「歌は古典落語と一緒で苦手です。滅多に歌いません。どうしても歌ってくれと言われて結婚式でテレサ・テンの『別れの予感』を歌って怒られました。今度、新都知事の前で歌うことになったら『どんぐりころころ』を歌うかもしれません。♪コイケにはまって さあたいへん」 私は『勘定板』という噺は、汚いので嫌いなのだが、三遊亭歌之介にかかると、この噺は汚さを突き抜けてしまって、素直に笑える。それは古典落語をそのまま演るのではなくて、一旦自分のなかで、噺を引き込んで、自分の話し方で演じ直しているからだろう。 鏡味仙三郎社中の太神楽。仙成の芸は今、もっとも安定したものになっている気がする。鮮やかだ。 「我々の仲間の林家たい平師匠が、24時間マラソン完走しました。私なんかね、そんなことをするのが嫌でこの商売になったわけですから。105キロですよ。太れと言えばすぐになりますがね。24時間。24秒だって嫌だ」 トリの柳家喬太郎は『錦の袈裟』。この噺なんかも寄席で年中聴く噺ながら、喬太郎というフィルターを通すと、見違えるほど新鮮な噺になる。バカの与太郎にどうしてこんなしっかり者の奥さんがいるのかさっぱりわからないのは一緒だが、与太郎に袈裟を褌にして締めてやる仕種のリアルな感じはどうだ。私は褌というもをしたことがないし、もちろん人に褌をつけてやったことも無い。それなのに、さもそうなんだろうなと思わせる手つき。 一夜明け、与太郎が起こしに来た仲間を前に、まるでさん喬がマクラで季節の挨拶をするような調子で喋り出すところは大爆笑。一夜にしてバカが利口になっちやう。アハハハハ。こういうところが喬太郎の可笑しさだなぁ。 9月2日記 静かなお喋り 9月1日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |