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客席放浪記

第十七回奮闘馬石の会

2015年11月22日
池袋演芸場

 隅田川馬石が、師匠五街道雲助から教わって『お富与三郎』に取り組んだのは12年前だそうだ。『発端』から始まって『木更津』『玄冶店』『稲荷堀』『茣蓙松』『島抜け』の六話。実はこの先も噺はあるのだが、雲助が手を付けたのはここまで。量にしてあと三話分は誰もやらないままになっていた。それを雲助から、その先を自分でやったらどうかと言われて今年になってついに着手。6月に第七話にあたる『越後地蔵ガ浜』をネタおろし。さらに今夜、残りの『観音小僧久次』『お富お召し捕り』ネタおろしを持って大団円となる。三連休の中日ということもあって池袋演芸場は、この物語の結末を知りたくて集まったお客さんでいっぱいになった。

 開口一番は柳家緑助『道具屋』。今年前座になったらしいが、噺もしっかりしているなぁ。前座修行頑張ってね。

 『お富与三郎』は笑いのほとんどない噺ということもあって、隅田川馬石はその前に一席。これもあまり演じ手の少ない噺『安兵衛狐』。志ん生がよく演っていたそうだ。馬石のものも、なんとなく志ん生を意識した口調のところがあったするが、もともとなんだかとぼけた噺。花見ならぬ墓見が好きだという人を食ったような男が墓場で墓の前で酒を飲んでいると塔婆の陰に骨が露出しているのを見つける。酒をかけて供養してやると、その夜、骨をさらしていた女の幽霊が出てくる。それをうらやましく思った男が同じことをしようしする・・・というのは『野ざらし』に似ているが、そっから先は違う。志ん生のものを聴いたことがないが、いかにも酒飲みで有名で、すっとぼけた芸風が伝えられる志ん生が好んで演りそうな噺。なんとも力が抜けていてふわぁとした笑いを感じさせる。こういうのを力みなく聴かせてくれる落語家さんは貴重。

 『お富与三郎』の一番有名な部分が『玄冶店』。歌舞伎でも名場面として上演されたりするが、私はというとそのあとにあたる『稲荷堀』と『茣蓙松』、いわゆるお富と与三郎が悪事を働く部分、ここに惹かれる。9部作というと『スターウォーズ』を思い出すが、確かに噺の骨子として、最初に、もっとも派手な展開の中間部を映画にしたというだけあって、『スターウォーズ』の4〜6は面白くできていた。はたして今年から順次公開される7〜9の部分はどんな展開になるのだろうか? 
 今まで誰も手を付けていなかった『お富与三郎』の7〜9。前回の7『越後地蔵ガ浜』を私は面白く聴いた。島抜けをした後の与三郎が江戸へ向かう途中での因縁噺。無理があるといえば無理がある展開だが、そんなこと言ったら昔の日本のこの手の噺は、み〜んな無理だらけ。
 江戸へ舞い戻った与三郎は自分の両親がその後どうなったか知りたくて叔父のところを訪ねるが、両親ともすでに他界したことを知る。叔父から伊豆天城に身を隠すように言われ、与三郎は伊豆を目指すのだが・・・そこでお富とまたもや再開することになる。これなんかもうご都合主義の無理無理の展開と思えるのだが、いよいよ噺をまとめようとしているなという感じがしてくる。『島抜け』『越後地蔵ガ浜』とお富が出てこなかったのだが、『観音小僧久次』の最後に来て、ようやくお富再登場。その妖艶な姿をまたもや見せてくれる。
 続く『お富お召し捕り』は、「へえ〜、この噺ってこういうラストを迎えるのか」という思い。与三郎を見てお富が「いい悪党になったねぇ」と言うところではゾクゾクした。
 最後の部分をもう一度聴きなおしてみたいと思ったのは、噺の中で与三郎は江戸の墓に葬られたとしていた気がする。とすると、木更津に今もある与三郎の墓というのは何なんだろう。よく考えれば与三郎は江戸の生まれ、しかも江戸で死んだとなれば江戸に墓があるのが当然。木更津は、一時期ほとぼりが冷めるまで身を寄せていた場所でしかない。はたしてどうなのだろうか?
 どちらにしてもはるか昔の、しかも架空とも思われるお富と与三郎の物語。ふたりとも悪の限りを尽くして20代の若さで死んでいったんだなぁ。池袋の夜空を見上げて、ふたりのことを胸に刻んだ。

11月24日記

静かなお喋り 11月22日

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