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客席放浪記

ブエノスアイレス午前零時

2014年12月20日
新国立劇場・中劇場

 女性客が多い。それもそのはずでV6の森田剛主演。なんとなく居心地が悪い。最初はあまり観る気が無くて、しかもチケットが一万円という値段なのでパスしようと思っていたら、行かれなくなったという人から買ってくれないかと言われた。藤沢周の原作ということもあって、まあハズレってことはないだろうと思って買い取った。

 福島と新潟の境にある温泉旅館。宿泊客が減ってしまっている中、起死回生を狙ったのか、広いホールを社交ダンスサークルのダンス大会用にして、団体客を誘致している。その旅館で働いているのが、東京の広告代理店に勤めたもののミスをして故郷に帰ってきたカザマ(森田剛)。そのカザマに声をかけてきたのがダンス大会の団体ツアー客のひとりミツコ(原田美枝子)。ミツコは歳を取っている上に目が不自由になっている。そして認知症が始まっているのか、カザマのことを、若い頃、ブエノスアイレスで出会ったニコラスと勘違いしている。

 舞台は、ミツコの回想というわけでもなく、昔、ミツコがブエノスアイレスで過ごした日々に起こった出来事が、現在の日本の温泉旅館でのことと同時に進行して行く。ブエノスアイレスでのニコラスも森田剛が演じる。そしてブエノスアイレス時代のミツコは瀧本美織。ミツコはどんな理由があったのかブエノスアイレスへ流れ着く。出身はどうやら青森らしい。ミツコは『りんごのひとりごと』という童謡をよく口にする。♪わたしは真っ赤なりんごです おくには寒い北の国・・・。なんでこの曲を歌うことにしたのだろうか? なんだかねぇ。歌詞はなんとなく明るいくせに、短調音階の暗いメロディーの曲。アルゼンチンタンゴの派手さと対照的にしようとしたのかね。私にはこの意図がどうも理解できない。なにか意図があるならもっとストーリーに繋げればいいのにと思うのだが、なんだか中途半端な扱いだし。

 ミツコはニコラスに拾われ、ニコラスが働いているダンスホールとは名ばかりの売春宿のボスの情婦になる。このボスの口癖は「踊れるようになるのが男の義務だ」。この言葉が後々まで重要な台詞になっていく。ボスの情婦になってからも、ミツコとニコラスはこっそりふたりで密会して花札などをして遊んでいる。そんなある日、ふたりが一緒にいるところをボスに見つかってしまう。激昂するボス。もみあううちにミツコはボスを殺してしまいそうになる。そこへ現れたのがボスの子分。子分はここでボスを本当に殺してしまう。ニコラスは罪は自分が被ると警察に自首することになり、刑務所行き。

 一方で旅館の方では、カザマの兄という人物がカザマに逢いに来る。兄貴は兄貴で会社が倒産してしまって実家の豆腐屋を継ぎたかっている。このふたつの次元の話が、なんだか意味があるようなないような・・・。

 ニコラスは五年の刑期で出所してくる。そうしたら今度はボスを殺した男が新ボスになり、ミツコはその男の情婦になっている上に売春婦にもなっている。しかも、実際の刑期よりも早く出所出来たのは、刑務所に金を払ったからだって。うへー、アルゼンチンって、そんなことがまかりとおっているのかい? しかも新ボスの理屈が変。ニコラスを釈放させるために金を払ってくれとミツコが言いだし、自分が払った。ミツコはその金を新ボスに返すために売春婦をしてる・・・って、これ何? だって、実際に殺したのはこの新ボスなんだし、ニコラスは罪を被ったわけでしょ。このへん、私もちょっとボンヤリしていたから、私が勘違いしているのかもしれないけど。ヤクザ映画だったら、最後はニコラスの殴り込みだね。そうなったら、日本部分のストーリーも絡んで来て面白くなったんだろうけど、これはそういう話ではないのね。

 舞台上でブエノスアイレスと日本の切り替えがごっちゃになっていく後半は結構見もの。いよいよ旅館でダンス大会が始まって、カザマと年老いたミツコ、若いミツコが三人で踊る場面は圧巻。原田美枝子も瀧本美織も踊りが上手い。それにさすが森田剛も! これだけ女性ファンが押し寄せるだけのことはあるねえ。

 「明日は誰にもわからない。だから踊り続けるんだ」という台詞には納得しつつも、どこか違和感を感じてしまう。それは私がダンスに興味を感じないせいもあるのかもしれないし、そんな刹那的になるほどのロマンチストではないせいかもしれない。「踊れるのは男の義務だ」と言われてもなぁ。女性をリードして踊りに夢中にさせたいとも思わないし。

 最後、雪まで降らしたんだから、カザマ=ニコラスの殴り込みで幕にして欲しかった・・・って、それじゃ『ブエノスアイレス午前零時』じゃなくなっちゃうか。

12月21日記

静かなお喋り 12月20日

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