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客席放浪記

カッコーの巣の上で

2014年7月6日
東京芸術劇場プレイハウス

 この芝居を観に行くと言ったら、私らしくないと思われるだろうなぁと思いつつ劇場に向った。いや、実際あまり観たいと思えない芝居であることは間違いない。では私はなぜこのチケットを持っていて、あまり観たくもない芝居を観に行こうとしているのか。どうも私という人間は、人から行かれなくなったチケットを買い取ってくれないかと言われると、その日に別の予定が入っていない限り、断りきれずに引き受けてしまうという傾向があるようだ。これはもう自分でも何とかしたいと思っている性格なのだが、なかなか直らない。あまり観たくないけど、観に行ってみたら案外面白かったりするかもしれないという、ほんとにごくわずかな可能性に賭けているところもあるのだろう。

 『カッコーの巣の上で』は、1975年のジャック・ニコルソン主演の映画は公開当時に観ている。まぁ、それほど好きな映画でもなく、悪くはないけど二度と観たいとは思わないなという映画。内容もほとんど忘れている。だから、あの話だという時点で、まず観たいとは思えなかった芝居。さらには主演が小栗旬だということ。ジャック・ニコルソンが演った役が小栗旬ねぇ。どうも違うぞという気がしてくる。

 で、舞台が始まる。強制労働を逃れるために精神異常患者になりすまして、マクマーフィーは精神病院に潜り込む。これがねぇ、どうも精神病患者に見えないのですよ。おかしいといえばやけに自己アッピールの強い典型的なアメリカ人青年って感じ。それを日本人が演じるから、さらに奇妙になってしまう。ジャック・ニコルソンが演ると、どこか狂気を感じるところがあったが、小栗旬だと狂気は感じないイケメンの好青年になってしまう。いや、精神病患者に見えないのはマクマーフィーだけじゃなくて、この精神病院に収容されているほかの患者も、ごく普通の人間に見えてしまう。どこが精神病患者なんだ?

 それでまあ、病院内で自由に生きようとするマクマーフィーと、ほかの精神病患者が、締め付けを行おうとする看護婦長始めとした病院側から自由を獲得しようと闘うってオハナシ。

 でも釈然としないのは、精神病患者でもないのに刑務所の強制労働がいやで潜り込んだ男が、好き勝手な事やっていいのかというと、どうも自業自得なんじゃないのという気持ちが頭の隅に浮かんできてしまうし、精神病院というのは、やはり規律を守っていることで患者の病状と対峙するところであって、外から売春婦を呼び込んでドントャン騒ぎをしてもかまわないってとこじゃないと思うんだけどね。

 私はこの三年間ほど、つい最近まで、認知症の人たちがたくさん入っている施設へ毎日のように行っていて、ここはもうちょっとした精神病院みたいなところでしたよ。それでも職員さんたちは、実に丁寧に入居者さんたちに接していましたよ。なんかね、こういう芝居を観ると、病院側も患者も、とことん病んでいるんじゃないかと、すごーく嫌な気分になっていくのでありました。

 まっ、これからは観たくないという芝居は、観たくないと断れる自分になりたいと。そういうことなんですかね。私が悪かったのね。

 ところで、今回かなり前の方の席のチケットだったのだけど、やっぱりこのホール、前の方は観ずらいということが判明してしまった。以前も前から二列目だったら、前の人の頭が舞台に被ってしまって、おそろしく観づらかったけれど、今回もそれに近かった。これって、劇場の構造上の欠点なんじゃないのかなぁ。一万円の席ではないと思う。

7月9日記

静かなお喋り 7月6日

静かなお喋り

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