第9回談之助・唐沢の落語アカデミア うまい落語、下手な落語 2015年9月8日 道楽亭 立川談之助という人は、とにかく頭がいい人だ。それに分析力のある人で、物事を冷静に見つめて整理し、それを理路整然と、しかもユーモアも交えて話すことができる人。師匠談志が落語協会を飛び出して立川流を作った時も、渦中にいながら、実験落語の会などで、談志脱退の経緯、立川流家元制度に関して、誰よりもわかりやすく解説してくれていた。談之助は今でもあのときのまま、そのの視点はまったくブレていない。最近、この人の話すことが気になっていて、今回のこのトークの会のテーマが「うまい落語、下手な落語」ということを知り、是非聴いてみたいと思った。 まずは、立川談之助が一席。マクラで立川流の現状報告、先月浅草演芸ホールに出演したときのことなどを語り、『疝気の虫』へ。談之助は、疝気の虫にとって、そばはシャブのような効果があり、シャブ中になった虫が腹の中で暴れるという設定にしてある。いろいろな落語の断片も散りばめられていて楽しい、楽しい。 仲入りを入れて、いよいよ立川談之助と唐沢俊一による「うまい落語、下手な落語」とは何かという分析。唐沢俊一のトークを聴くのは初めてだが、この人もかなり頭のいい人な上、喋り出したら止まらないところがある。ふたりで二時間近く喋っていただろうか、まったく話が途切れることなく、放っておいたら、ふたりでいつまでも喋っていただろう勢い。このあと打ち上げまであり、私は参加しなかったが、そのあとどんな話が出たのか気になるところ。 憶えている限りのことを簡単に列挙しておくと・・・ *まず、聴く人によって、うまい、下手の基準が異なる事がある。ある落語家を好きになると、それ以外の落語家は下手だと思えてしまう極端な人もいる。 *うまいと面白いは違う。先代三平は笑わせるという観点からすれば誰も敵わなかった。しかし落語がうまかったかはまた別の問題。 *うまいといっても、いろんなうまさがある。人物描写がうまいこと、テンポがいいこと、間がいいこと、工夫があること、くすぐりが多いことなど、実にいろいろなうまさがある。 *古今亭志ん朝はテンポのうまさ。どんな話もテンポの気持ちよさで聴かせてしまった。ただ、この人の真似をしようとすると、もろ志ん朝になってしまうので、誰もやる人はいない。 *落語家の一番いい時というものがある。ほとんどの落語家は、トシを取ると下手になって行く。入歯にしてうまく喋れなくなってしまった人もいる。 *三遊亭圓生は50代になってからうまくなった。それまではみんなから下手だと言われていた。そしてそれ以降は、死ぬまで芸の質が落ちなかった珍しい人。(私の伯父もよく、若い頃の圓生は下手だったと言っていた) *今の若い落語家は、昔の落語家に比べて、みんなうまい。環境的にも小さい時から音楽を聴いていて、耳がいいから、リズム感もいいし、噺の憶えも早い。 *昔の落語家は、持っている噺の数が少なかった。これは寄席に出ることが多かったせいで、15分程度の噺を10とか20。これにトリを取るときのために長い噺を3〜4席。これでよかった。しかし現在は寄席以外で演る機会が増え、今の人たちは軽く百席くらいは持っている。 *教わった通り、そのまま演っている人の落語はつまらない。とくに落語を聴き込んでいる人は、もう噺をみんな知っているのだから、なんの工夫もない落語を聴かされるのは苦痛。どこか一つでいいから、「これがやりたかった」という工夫を見せて欲しい。 *創作活動で、模倣はよくあること。ただしそれと気づかせないようにやらなくてはだめ。 ほかにも語られたことは山ほどあるが、今、ふっと思い出したことの要点だけを書いておいた。これで私の落語の聴き方も、また変わってきそうな気がする。有意義な会でした。 9月9日記 静かなお喋り 9月8日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |