第13回談之助・唐沢の落語アカデミア 2016年5月28日 道楽亭 今回のテーマは、先日、桂歌丸から春風亭昇太に司会が移り、今週から新メンバーが加わることで話題の『笑点』に関して。ネットでもいったい誰が新メンバーとして加わるのか、大いに盛り上がっている。落語マニアは観ないけれど、落語ファンは観るという『笑点』。立川談之助と唐沢俊一が、「まさか『笑点』についてふたりでこんなに語ることになるとは思わなかった」と、『笑点』をめぐるモロモロについて語った。 まずは立川談之助が昼間、立川流の落語会でネタおろししてきたという『笑点裏話』の一席。出囃子も、まだ立川談志が司会をやっていたころの『笑点』のテーマ『笑点音頭』。これ私、しっかり憶えている。立川談志が歌っていて、『笑点』のメンバーが後ろでコーラスをやっている。「♪鬼婆屁した エッヘラヘっと笑え」というフレーズ、懐かしいなぁ。 0時過ぎに放送していた『金曜夜席』が、『笑点』と名前を変えて日曜夕方に移ったとき、他局では何も放送していない時間帯で、日曜の夕方は『笑点』が独占状態になっていた。この番組は談志が企画したもので、大喜利のコーナーは当初、円楽が司会、談志は回答に回っていたそうだ。それが円楽がどうもしっくりこないので談志が司会に変わった。この番組は大人気になったが、談志としてはマンネリを避けたかったのだろう。途中でメンバーを全員取り換えるということをやった。このときのメンバーが、あまり受けずに、談志とテレビ局側が決裂。談志が、選挙に出るという理由をつけて番組を降りてしまった。そこで最初のメンバーを中心に若干の入れ替えも加え、司会を前田武彦で再スタート。司会は三波伸介、三遊亭円楽、桂歌丸と移っていき、メンバーも少しずつの変化を遂げて今日に至るという『笑点』の歴史の流れを、うまくまとめて聴かせてくれた。 仲入後は、立川談之助と唐沢俊一のトーク『笑点の功罪』。 『笑点』の残した功績としては、やはり50年続いているこの番組のおかげで、落語というものが消えずに今までやってこれたということ。世間一般の落語に対する認知度は、『笑点』があったことがある。講談や浪曲が消えて行ってしまったのは、テレビというメディアに向かなかったこともありそう。 テレビ番組が評判がよくて深夜からゴールデンに移行する例は、今でもよくあることで、その先駆けともいえそう。ただそれが本当のゴールデン、19時から22時ではなく、日曜の夕方だったのがよかった。本当のゴールデンタイムに移っていたら、この番組は早々に打ち切りになっていたに違いない。 立川談志の残した最大の功績は『笑点』を作ったこと。(談之助曰く、最大の失敗は立川流を作ったこと)。 最初からカラー放送で、それに合わせて、メンバーに派手な色の着物を着せた。 談志がホンを書いていた時代は、アドリブ禁止、リハーサルは念入りだったとのこと。 談志が抜けてから、放送作家の手に渡り、途端につまらなくなったが、作られたキャラクターの面白さで引っ張っていくようになった。赤塚不二夫の例をあげ、赤塚不二夫のマンガはギャグの面白さではなく、描いているうちにどんなサブキャラクターを生み出せたかによって、成功したか失敗したかが分かれてしまう。『笑点』を観ている人は、ギャグよりメンバーのキャラクターを楽しんでいるのだろう。 ほかにも二人は一時間以上にわたって、『笑点』をめぐるあれこれについて語っていたが、ネットには書けないことも多い。 それにしてもお二人は、初期の『笑点』を実によく憶えていた。大喜利の回答にこんなのがあったなんていうギャグをいっぱい知っている。今から聴くと、放送コードに引っかかる、きわどいことをずいぶん言っていて、今の『笑点』か面白くないのは、作家の書くホンにまったく毒なく上に笑えないというのは、私も感じることではあった。 5月30日記 静かなお喋り 5月28日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |