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客席放浪記

第14回談之助・唐沢の落語アカデミア

2016年7月30日
道楽亭

 いつもは19時開演なのでそのつもりでいた。夕方近くなって、「もしや」と『東京かわら版』をチェックしたら、今日は土曜日に当たるせいか、一時間早い18時開演になっていたので、慌ただしく家を出た。

 立川談之助唐沢俊一のオープニングトークは主に、明日行われる東京都知事選挙のこと。過去の都知事選のことも振り返る。思い返してみるに、ここ何人か続いた都知事って、いったい何をやったのか。築地市場移転に関してだけでも問題山積。これなど、ここ10年くらいの都知事がもっとしっかりしていれば、こんなおかしなことにならなかっただろうに。今度、誰が都知事になるにせよ、就任が決まってから取り組むって、遅いよなぁ。宇都宮健児だったら、具体的な取り組みにすぐに着手できただろうに。まあ、そんなグチはともかく、今日のテーマは観客論。

 立川談之助の高座は、恒例、立川流ウォッチング報告。志らくの弟子らくみん除名問題(破門ではなく除名?)、ある幹部の言動など、ネットには詳しく書けない内部事情は興味深い。これを聞くのが私の楽しみの一つでもある。
 そこから談之助の観客論の一端が語られた。東京にある四つの寄席の客層の違い。東京でも下町と山の手では客層が違うこと。また全国的に見た場合でも県民性により、よく笑う県の人と、さっぱり笑ってくれない県があるといった話。寄席で漫談が続くようなときというのは、客席から笑いが少なくて、落語家たちが、落語をやっても受けないだろうと、なんとか笑わそうとしているとき。また『強情灸』、『反対車』、『時そば』といった仕種が多い落語が続く場合も、落語家が身体を使って、なんとか笑わせようとしているとき。それでは普通に落語家が落語をやっているときは、いいお客さんかと言うと、もう落語家たちが投げてしまっているときだったりするからわからないんだとか。アハハハハ。落語家もたいへんだ。
 それで落語家が、「もうどうにでもなれ」と思って演る噺のひとづだ始めたのがと『夕立勘五郎』。なるほどなるほど。これなんか、内容的にどうってことない噺。訛りのある浪曲師の張り上げる変な声だけで笑わせるという落語だ。これに当たったら、客はバカにされたってことかな。でもこの噺、私はバカバカしくて好き。

 仲入りを入れて、立川談之助唐沢俊一の『観客論』トーク。昔の客と今の客の違いの分析から始めて、寄席イコール幕の内弁当だという話から楽屋弁当話に話が脱線したりした。落語というものは同じ噺を何回も聴くというところに楽しさがあり、この落語家ならこの噺という十八番を聴くのが楽しいのであって、いたずらにひとりの落語家が噺の数を増やすのはよくないといった話にも広がっていった。一時間程度だと思っていたトークは、なんと2時間近く(あまりに内容が多くて忘れてしまったみのも多い)。
 結論としてはやはり仲入り前に談之助が話していたとおり、いい落語を聴きたければ、客は多少面白くなくても声に出して笑ってあげた方が、落語家はより実力を発揮できるものだということ。それとアンケートや打ち上げで、当の落語家を悪く言うのはやめようということ。なんだか落語家側の勝手な言い分のようにも聞こえるが、そういうものなんだなと思う。私もネットには滅多に悪くは書かないことにしている。まあ滅多になんだけど。

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