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客席放浪記

立川談春独演会 2013 デリバリー談春

2013年4月2日
浅草公会堂

 立川談春、二席。15分間の仲入り休憩を含めて2時間。

 談春の落語というのは、おそらく談志一門の中では、談志の落語を一番色濃く継承しているのではないだろうか。
 それは良くも悪くも、“上から目線” 噺をしているときに常にそういう目で見ている談春がいる。
 マクラなどで言ってることも、時に傲慢に聞こえてしまうことがある。それも談志譲りか。しかし決定的に落語の方法論が談志と談春に共通しているところと言えば、登場人物に対してもどこか“上から目線”の自分がいるというところ。
 志らくにもその傾向はあるけれど、なんとも軽い。“上から目線”以前に、すべてに冷めているような気がする。いわば徹底してクール。人物にとことん入り込むことがない。
 そこへ行くと、志の輔あたりになると、“上から目線”も影を潜め、人物に入り込み、志の輔という存在が消えていることがある。

 一席目は『花見の仇討』
 談志は噺に入ってからも、その落語についての私見を挟んだりして流れを止めてしまうことがよくあったが、談春はそこまでいかなくてもチラチラと私見を臭わす事を挟んだりする。本所のおじさんに捕まってしまうところで、「落語の中でも、こんな都合のいい人物はいない」となる。なにしろこのおじさん、耳が遠くて、それでいて目がいいし、思い込みが激しい。確かにその通りなのだが、それを口にしてしまうかどうかはまた別。ありえない人物なのだが、それをあえて演ってしまうのが落語だと私は思うのだが、そこを“上から目線”の談春自身を出してしまうあたりが、この人の方法論なのだろう。その好き嫌いは聴き手側にあるとしか言いようがない。
 上野の山で狂言の仇討が始まっての人だかり。何をやっているのか知りたがった野次馬に、“乞食のお産”だという小噺のようなものを語る部分はいかにも談志→談春好みのものだが、これもなんとも“上から目線”ギャグ。
 そして狂言の仇討をやっている三人への視線もどこか遠くから見ているように感じる。焦りを感じる三人の中には談春は入って行っていないように感じるのだ。それが談春。

 仲入り後の二席目は『お若伊之助』
 お若も伊之助も、美男美女だという設定。どれくらい美男や美女かという説明を、「『うまく形容できないなら、しない方がいい』と教わりましたので」と逃げたが、そんなことも言わない方がいいんじゃないかなぁと私などは思ってしまう。
 しかしこの噺などは談春のよさが、うまい具合に出た噺だと思う。剣術の先生のところと伊之助のところを行ったり来たりする鳶のカシラへの視線はあいかわらず、どこか冷めているが、情景描写の部分は、この談春の冷めた客観的な視線が最大限に発揮される。伊之助に化けた狸を殺すところの描写。そして桜の花びらがサーッと入り込んでくるあたりの語りは美しい。見事と言っていいだろう。

 浅草公会堂は千人規模の大きなホール。落語を演るところにしては、やや大きすぎる。それでもお客さんは満員だ。ゲストも前座も使わないで、これだけの大きなホールで独演会を演っていっぱいにできる落語家はそうはいない。それだけ談春は評価されているわけだ。あとは談春の落語が好きか嫌いかというだけ。私はまだ自分が談春の落語が好きなのか嫌いなのかわからないでいる。それでまた行ってしまうんだろうなぁ。それを確かめたくて。

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