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客席放浪記

立川談春独演会

2016年10月18日
板橋区立文化会館大ホール

 4年ぶりに観た立川談春の独演会。演目も同じ『おしくら』と『人情八百屋』。4年前のときは、この二席の前にさらに『かぼちゃ屋』があった。今回は二席とも噺に入る前のマクラが、それぞれ30分近くあり、その分、一席減った形になった。

 ところが、4年前に聴いたときとは、今回はかなり聴いていて印象が変わってしまった。私にはどうも談春のマクラが不快に思えてしまったのが原因なのかもしれない。一席目のマクラでは、最近自分が出たテレビドラマやテレビ番組、映画(忍びの国)のこと、あるいは原作『赤めだか』のドラマ化のことなどを語るのだが、私には単なる自慢話にしか聞こえてこないし、談志ゆずりの、どこか上から目線が不快に感じてしまった。
 二席目のマクラは、3.11後、東北に慰問に行ったときの話で、これもどこかオレサマ感覚で、たとえドジをした話でも、どうも笑うより不快になってしまった。
 まあ、談春ファンは、そういうところも含めて談春が好きなんだろうけど。

 二席の落語も、今回聴き直してみると、この4年間で感じ方が変わってしまっていた。
 『おしくら』は『三人旅』の一部だが、田舎の宿に泊まった三人が方言丸出しの宿の人間をバカにする。江戸っ子が田舎者をバカにするのは江戸落語でよまあることだが、談春(談志ゆずりなのだろうが)だと、バカに仕方に悪意を感じてしまう。それを面白いと感じるか不快と感じるかは人それぞれだろうけれど。もっと顕著なのは、「おしくら」と呼ばれる女性の扱い。もっとやり方もありそうだが、談春だと女性の外見に対して容赦ない。これで笑えと言われて笑える人もいるのだろうが、私は素直に笑えない。とくに女性の観客は、これを聴いてどう思うのか訊いてみたい。

 『人情八百屋』の方は前半部分はまだいいのだが、それでもどことなく八百屋が「金を恵んでやったんだ」という気持ちが見えてしまうのがひっかかる。そして後半、無情な大家に怒っった店子たちが大家の家に押しかけて、大家の家を滅茶苦茶にしてしまい、果ては大家の金を盗んでしまうというくだりは、もう耐えられないほど不快になった。これを爽快だとは私には感じられない。

 落語というものは、そのなかに演じる者の人間性が現れてしまうものだと思う。だから私は談志の落語は凄いとは思うけれど好きになれなかったし、その弟子の談春、志らくあたりも同じ理由で好きになれないのかもしれない。

 落語家なんて、いろいろな人がいて、いろいろな落語があるのだから、自分に合ったものを聴けばいい。私には、今の談春の落語は好きになれないということだ。

10月19日記

静かなお喋り 10月18日

静かなお喋り

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