ゴドーは待たれながら 2013年4月14日 東京芸術劇場シアターイースト 芝居が始まって、しばらくしてから瞼が重くなってきた。前の夜は十分に睡眠を取ったし、家を出る前には昼寝までしたのに、この有様。不条理演劇だからストーリーを追っても仕方ないのだが、それにしても眠い。笑いの要素もふんだんにあるというのに眠くなってしまう。 21年前に、いとうせいこうが書いた芝居。もちろんサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』がもとになっていて、それを待たせている側のゴドーを描いたひとり芝居。大倉孝二が演じ、ケラリーノ・サンドロヴィッチが演出した。 うとうとしながら、それでも大倉孝二の奮闘を見続ける。大倉孝二という人の肉体は、この芝居の役に向いていると思う。大柄だが太ってはおらず、なぜか妙に手足が大きい感じ。その動きは、どことなくサーカスのピエロを思いださせる。自分の足に合わない小さな靴を無理矢理履こうとしたり、箱から大きな袋を取り出そうしたりという動きが妙におかしい。 男はどこで誰といつ会わなくてはならないことになっているのかは結局よくわからないのだが、とにかく出かけなくてはならないという事だけはわかる。しかしどうしても部屋から出ていけない。物理的に出ていけないわけでもないようだし、精神的に出ていけないわけでもないような感じ。じゃあなぜ行かないのかというのが、これが不条理演劇なわけで、これは観る側も演じる側も疲れる。いや、観る側は、ただただその不条理世界を楽しめばいいのだが、とにかく眠くなってしまった。まあ、別に寝てもいいのかもしれないのだけど。 4月15日記 静かなお喋り 4月14日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |