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客席放浪記

2012年7月18日第28回白酒ひとり(国立演芸場)

 開口一番の前座さんは柳家おじさん『元犬』。師匠の権太楼の口調を受け継いでいる感じ。頑張ってね。

 桃月庵白酒は毒を吐くと言われるが、この人の毒はどこか罪が無いのがいい。対象になった人を攻撃するのではなく、からかって喜んでいるようなところがある。それがお客さんに受けるし、ケタケタ笑ってそれで忘れてしまうようなところがある。そのへんが、同じ毒舌でも立川談志とは大きく違うところ。
 この日も、『ソロモン流』での立川談春の発言を揶揄してみせる。詳しくは書かないが、あの番組を観た人は笑えたはずだ。
 おそらく、「泣かせる落語家」として取り上げられた立川談春とは別方向で落語を演っているのが白酒だ。一席目の『あくび指南』の軽さはどうだ。本題の夏のあくびに入る前に、奥伝のあくび(やったかやらないかわからない微妙なあくび)、芝居のあくび(役者に掛け声をかける前に、あくびをする)、湯屋のあくび(風呂に入って唸る、長唄を歌う、あくびをして念仏を唱える)などを披露してくれるのだが、そのオリジナリティの可笑しいことといったら。うーん、なるほど談春にはこの軽さ、この可笑しさはないな、確かに。

 二席目はアンケートに寄せられた質問に答えていくいつものコーナーで裏事情などを話しながら、『水屋の富』。これも暗くなりがちな噺だが、白酒の手にかかると妙に軽い。水屋さん、そんなに心配してないんじゃないかと思えてくる。だからサゲを聞いても違和感が無い。「へへっ、無くなっちゃったい」とでもいうような軽さがある。この噺、トーンを低くして演ると暗ーい噺になっちゃうんだよねえ。あとあとまで残ったりする。それがこの残らなさは何だろう。

 仲入り後が『寝床』。義太夫好きの旦那が妙にカワイイ。繁蔵から、あなたの義太夫は酷いと言われて、「世界のどこかに私の義太夫ををわかってくれる人がいる」とあくまで前向き。それでもけなされると、「私だって一生懸命やってるんだ」と弱々しい声で応じる。癇癪起こして店立てだと言い出しても、借家人が戻ってくればすぐに機嫌を直す。この辺りからの旦那と繁蔵の攻防が可笑しい。機嫌を直して義太夫をやってくれと言う繁蔵。しかし酷い義太夫だとはっきり言ってしまった繁蔵に「よく言えるな、あれだけのことを言って」と言いながらも、気持ちはもう義太夫を演る方に向かっている。ところが繁蔵も意地が悪い。「では、店立てなしの、義太夫なしということで」「どうしてそういうことを言う。『そこを何とか演ってください』となぜ言えない」

 『寝床』という噺、芸事に夢中になって周りが見えなくなってしまっている人物を笑って見せる噺だが、白酒はマクラと同じく、その毒は軽やかだ。旦那の性格を笑ってみせるだけでなく、旦那もどこか、かわいげがあるし、周りの人物も軽い。あざ笑うんじゃなくて、からかっている。それが白酒らしさ。

7月19日記

静かなお喋り 7月18日

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