放浪記 2015年11月7日 シアター・クリエ 森光子で大ヒットした『放浪記』。さして興味のない芝居だったのだが、今度は仲間由紀恵が林芙美子を演じるということで観たくなった。 正味からすると3時間ほどの芝居だか、休憩が三回もある。ざっというと、一幕目と三幕目がそれぞれ一時間くらいで、二幕目と四幕目がそれぞれ30分くらいという構成。芝居としてはかなり不思議な割振りに思えたのだが、観終わってみると納得できる切り方になっていて、これはうまく作られていると言えるかもしれない。こういう風に四つに切るか、それとも休憩なしで一気に見せるかしかないような気がする。 森光子で有名になったのは、でんぐり返しの場面。80代になっても、このでんぐり返しを続けていたというので話題になった。仲間由紀恵はまだ30代ということで、より体力があるから側転をやるということで前評判が立った。私の『放浪記』に関する知識ときたら、このシーンのことだけだったと言える。何もわからないまま席に座った。 まずスクリーンに、文字が映し出されナレーションが流れた。 「花のいのちはみじかくて 苦しきことのみ多かりき」 林芙美子の色紙。ああ、この有名な言葉は林芙美子だったんだ。 芝居は、仲間由紀恵演じる林芙美子が下宿先に帰ってくるところから始まる。これが仲間由紀恵の出世作『TRICK』によく似ている。下宿先の大家さんから部屋賃の催促があるところとか、それを言われても飄々としているところとか。貧乏暮らしをしていても明るく生きているように感じられる出だした゛。そこに同棲相手が女を連れて帰ってきたので、押し入れに隠れるとか、それがあっさり見つかってしまうという展開まで、なんとなく『TRICK』の山田奈緒子とダブった感じで、これは楽しい芝居が見られそうな気になったのだが・・・。ちょっとコミカルに感じたのは導入部だけで、そのあとは、かなり辛い話になっていく。 時代背景は、大正から昭和初期。尾道から東京に出てきて、売れない詩を書きながら、女給をしながら生活している。女給とは、今でいうホステスなのだが、このころの女給さんたちはエプロン姿。これね〜、あこがれますなぁ。露出度高いドレスなんかより、あるいはメイド服姿なんかより、よっぽど萌えてしまうのは私だけだろうか。アハハハハ。しかし、文学界で有名になる林芙美子、あの当時としてはずいぶんと活発だったんですな。女給しながら詩を書いて、その上に恋多き女で、男と別れてもまた次の男へ。これがねぇ、また揃いも揃って、世間一般から見るとクズみたいな男ばかりで。 いやね、この芝居に登場する人物、何人かを除いてはみんな嫌なやつらばっかりに思えるのは私だけの感想なのだろうか? もちろん林芙美子そのものも、私からすれば「嫌な女」にしか見えないのですわ。三幕目には、借金が嵩んで家に住めなくなって、木賃宿に泊まっているという場面がある。何人もの人間との相部屋。そこで原稿を書いている。薄暗い照明で部隊の役者の顔もよく見えない。そこに女が警察に追われて逃げ込んでくる。警察は淫売の罪で女を追っている。淫売? 売春か? 吉原など売春が公に行われていた時代、売春で警察に追われるというのも面白いが、その淫売行為で得た金を林芙美子に貢いでいたという悠起(福田沙紀)という女を半分騙すようにして利用していた林芙美子も、相当に嫌な女だと思うんですがねぇ。 短く挟まる形の第二幕は、林芙美子が、生まれ故郷の尾道に行く場面。芙美子が東京に出ていくきっかけになった最初の男は尾道出身で、この男はもう尾道に帰ってきている。芙美子はその男がどうなったか確かめに帰ってきたわけだが、相手はもう結婚している。そのへんの未練たらしさも私には嫌なのだが、ここで旅の親子が登場する。困っている様子を見かねた芙美子の母きし(立石涼子)が家に上げ、お腹一杯ごはんを食べさせてあげる。この芙美子の母が実にいい人物。この芝居を通して一番いい人物なんではないだろうか? 第四幕でも登場するが、コミカルで観ていて唯一ホッとする人物だった。 ほかはもう、女同士の妬み、嫉み。クズみたいな男、気が弱いくせに下心いっぱいの男なんていうのばかり。それを逆に利用してやろうという芙美子のしたたかさというのも、嫌な世界。かのでんぐり返し、仲間由紀恵の側転は、私は第四幕にあるのかと思ったら、第三幕の途中に登場した。自分の原稿が採用された喜びを木賃宿で表現する場面。いやぁ、まさかここでこれがあるとは思わなかった。暗い場面が続く芝居で、きっとそれはラストシーンで明るく終わるものだとばかり思い込んでいたのだ。 第四幕は、すっかり有名な流行作家になってからの場面。立派な家に住み、女中さんも雇っている。毎日毎日、締め切りに追われ徹夜続きで疲れている様子の林芙美子。生活に余裕ができて、さぞかし心豊かな生活をしているだろうかと思えば、人が信用できず、さらに嫌な女になっている。そこで言う言葉は、今逢いたいのは、悠起ちゃんと、尾道で一緒になった旅の親子の女の子だけだということ。舞台は、疲れて机に突っ伏した芙美子で終わる。名のある文学者になった林芙美子の生涯は、決して幸せではなかったと終わってしまう。いや〜、衝撃的なラストでした。この暗い話を、多くの人が感激して観てきてロングランしていたとは夢にも思わなかった。 11月8日記 静かなお喋り 11月7日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |