禁断の裸体 2015年4月22日 シアター・コクーン ブラジルの作家ネルソン・ロドリゲスの戯曲を三浦大輔が演出するという、それだけの興味で観に行った。何しろ10年前にポツドールの芝居を観て以来、三浦大輔のものなら何でも興味がありますから。 で、正直な感想。今まで三浦大輔が演出をしたもので裏切られたことが無かったというのに、今回は初めてガッカリしてしまった。こちらの期待が大きすぎたってこともあるのかもしれないけれど・・・。 確かにセックスがテーマで、役者さんも裸で演技したり、セックスのシーンも露骨に表現されるのだけど、何だかいつもと違う。いつものような、「これは観ちゃいけないものを観てしまっている」というヤバさが無い。これは何でなんだろうと思ったのだが、それはきっと劇場の問題のような気がする。シアター・コクーンという立派すぎる小屋の構造上の問題。三浦大輔のポツドールの芝居を観始めたころは小屋は新宿THEATER/TOPSだった。あの狭い空間。客席に入った時からなんとも淫靡な空気を醸し出していて、岡村靖幸の『セックス』が大音量で鳴り響いているあのイケナイところにいる感じが、シアターコクーンには無い。開演前に流れているブラジル音楽は、ポツドールを期待していると、「なんじゃ、こりゃ」としか思えない。シアター・コクーンは天井が高い劇場で、上下に広い舞台。しかもそれを生かした上に突き抜けるような広い空間と舞台装置。これがどうも「違う」と感じてしまう。三浦大輔の芝居はたとえ、本多劇場でやろうとシアターイーストでやろうと、ギュッと押し込まれたような舞台作りだったはず。それが今回は妙に空間が広がってしまっている。私が座った席はかなり前の方だったというのに、なぜか舞台と客席が離れすぎているように感じる。三浦大輔の芝居はもっと舞台と客席が近い印象を与えるものだったと思うのだが。 主要キャストは全員裸になるし、セックスをする場面もある。だからみんな身体を見事にシェイプアップしている。ヒロイン役の寺島しのぶも、おっぱいを出す。娼婦という設定で、自慢は胸だという台詞があるが、これは仕方ないことではあるが、ビジュアルからはそれほど自慢とは感じられないこと。しかも彼女もうアラフォー。ちょっとイタいと感じてしまうのは残酷だろうか。 一番興味があったのが、はたして外国の芝居を三浦大輔がどう料理するかということ。三浦大輔といえば、自分の書く脚本で、現代若者言葉を、そのままリアルに盛り込む人。それをどうするのか。なんと、普通に翻訳調の台詞をそのままに、いわゆる洋物芝居そのままの台詞回しでやっていた。これはもう私には違和感だけ。変に声を張り上げちゃったりして、これでは三浦大輔流のリアルさが封印されてしまった感じ。登場人物は基本的にいつもの三浦大輔の芝居に出てくるようなダメな人間ばかりなのだが、そんな芝居のようでいて、いつもの感じにならない。 カトリック信仰崩壊のドラマなのかもしれないが、もともとそういう世界に興味も無い人間としては、どうでもいい話のように思えるし。どうでもよくないのは寺島しのぶの演じるヒロイン。胸にシコリがあって、これは乳癌で自分はやがて死ぬんだなんて言ってないで、早く病院に行きなさい! 4月23日記 静かなお喋り 4月22日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |