毎日新聞落語会 渋谷に福来たるSpecial 2013 〜落語フエスティバル的な〜 小朝 Presents 圓朝噺の会 2013年3月23日 渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール 開口一番の前座さん無しで、いきなり隅田川馬石から。おっ、『大仏餅』。先代桂文楽で、むかーし聴いたけれども、それから聴いてないなぁ。地味な噺だから演じ手も少ないんだろうけれども、そういえばこんな噺あったよなぁ。これ、圓朝なんだね。 クライマックスで、目の不自由な乞食が餅を喉に詰まらせて目を剥くところの、馬石の目が真ん丸になる。迫力あるな。これからもたまには聴きたい演目のひとつ。 客電が暗くなる。春風亭小朝が出てきてマクラで笑わせてから入ったのが『死神』。ああ、それで客電を落としたんだ。今日はこの『死神』に尽きたと言っていい。小朝が企画したというだけあって、この『死神』は凄かった。あとからインターネットで検索してみたら、どうやらこれ、京極夏彦が脚色したらしい。今までの『死神』とかなり変わっている。 自殺しようとしている男に向って、死神は「人間何のために生きていると思う?」と問いかける。これは究極の問いであり、誰もがわからないまま生きているというのが本音だろう。これに対して死神はひとつの回答を提示する。「最後に笑って死ぬためさ」 なるほど、それはひとつの答えかもしれない。生まれて来たこの世界は、いい事ばかりではない。嫌な事だってたくさんある。それが人生というもの。しかし、最終的に「いい人生だったな」と笑って死ねれば、生きたという目的は達成できたと言えるのではないだろうか? 病人のそばにいる死神が見える首から下げる数珠と、死神を消す呪文を教えてもらった男は、その後大儲けする筋はそのまま。 そしてクライマックスの蝋燭の場だ。客電はさらに一段落ちる。死に直面して男は、どうせ死ぬならここで燃えている蝋燭をみんな吹き消して道連れにしてやろうと考える。これも新機軸。 そして死神は言う。「幸せとは何か」と。「人は無欲になって、人のために役に立ちたいと思った時が、一番幸せになれるんだ」 おおっ、かなり宗教的になってきたぞ。そして、ここで男は死ぬことなく、別の道を歩き始める。 な、なんなんだ、これ。 まだ私の中で、この小朝版の『死神』は整理がつかないでいる。しかし、この噺の見方がいままでと変わってしまったのと、「何のために生きているのか」という問いに対するヒントを貰ったような気がする。 仲入り後は、もう正直、どうでもよくなってきていた。柳亭市馬は『黄金餅』。上野から麻布へ早桶を担いで歩く言い立て。地名が上がっていくところはいつ聴いても気持ちがいい。貧乏長屋の住人が、裸足に近いような粗末な履物で歩き通したんだから、そりゃ、疲れるだろう。 トリは柳家小満んの『鰍沢』。これも、クライマックスが突如アクション映画のようなスピーディな展開になるところが、ほかの落語にはあまり見られない面白さがあって好きだ。 でもそれにしても、小朝の『死神』にはやられたな。 3月24日記 静かなお喋り 3月23日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |