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客席放浪記

文左衛門・喬太郎二人会

2015年5月31日
新宿末廣亭

 末廣亭余一会。前売りの日に早くから並んだおかげで最前列。

 開口一番、前座さんは橘家かな文。なんと『五目講釈』! 前座の『五目講釈』なんて初めて聴いた。今年一月に楽屋入りしたばかりらしいが、すでにして堂々としている。二階席まで開いた末廣亭の高座でまったく臆することなく演ってみせた。最近の前座さんは上手い人が多い。前座修業頑張ってね。

 三遊亭粋歌は白鳥作の『恋するヘビ女』。前にも一度聴いているが、白鳥よりゆったりした話し方でヘビ女とされる女性像が、うまく浮き上がってくる。由紀さおりの『夜明けのスキャット』も丁寧にスキャットで歌い上げるから落語の世界にゆったりと浸れる。話自体、前ふりを回収していく良く出来た構成で、もともと良く出来ている噺。さらにはヘビ女のおばちゃんに、主人公が好きになる少女と、女性の登場する部分が多いから、女流の落語家には向いている噺なんだね。

 柳家喬太郎の一席目は、マクラ20分。持ち時間が多いのでマクラで繋いでいるのだが、今日は文左衛門と喬太郎の会だから、そういう客層を意識しての内輪話。最近の仕事であったことなどを、愚痴とも打ち明け話とも取れそうな話を、面白く聴かせてくれた。これも才能だろうね。まさにどうでもない日常を話術で聴かせてしまう。来た仕事は多少無理なスケジュールでも、「そこをなんとか」と言われてしまうと引き受けてしまう。とくにここ数日は、今日も含めて過密スケジュールだったらしく、だいぶ喉をやられている感じ。20分後に始まったのは『短命』。器量のいいお嬢さんのところに婿養子に入った男が、なぜ短命なのか説明するくだり、「たとえば夏だったとすると・・・」と、汗が顔を伝わり、髪のほつれ毛が頬に貼りついたり、浴衣の襟足の色っぽさを強調してみせたりの描写、風鈴に手をかける仕種の色っぽさ。喬太郎、うまいなぁ。よそってもらった御飯茶碗を受け取るときに手と手が触れるところの細かな仕種も、喬太郎で観ると、やけにエロチック。サゲの「オレは長生きだ」も、ご飯を食べながら、しみじみ呟いてみせる。見事な『短命』だ。

 橘家文左衛門の一席目は『らくだ』。文左衛門自身がこわもてキャラで売っているから、まさに打って付けの噺。だからなんとなく予想がついてしまうとは言える。この噺、いささか長いということもあって、演者によっては、聴いていて途中で疲れてしまう。噺が弾けるのが、焼き場のくだりになってから。ここで一気に解放感があるので私はここまで聴きたい。文左衛門は、くずやが酔っぱらうところでサゲてしまった。この人の焼き場の部分はさぞかし面白いだろうと推測が付くから、この後までやってほしかったなぁ。

 仲入り後は、橘家文左衛門『馬のす』から。馬の尻尾を抜くと大変なことが起こるという話を引っ張って、茹でたての枝豆と、おいしい酒を夢中で摂取しながら語る、小噺やら、快進撃が止まらないベイスターズの話やら、昨夜の大地震は電車の中だった話やら、マクラのような時間が過ぎていく。これがやけに可笑しい。文左衛門は『らくだ』のような大ネタを演るよりも、こういうネタの方が面白いと思う。

 津軽三味線の大道芸ユニット、セ三味ストリート。ベンチャーズの『パイプライン』から始めて、二人でアクロバットのような三味線パフォーマンス。凄い人たちがいたものだ。最後の『津軽じょんがら節』を圧倒的な迫力で聴かせてくれた。基本的に大道芸人らしくて、どこへ行けば見られるかわからないみたいだけれど、また機会があったら観たい人たちだなぁ。

 柳家喬太郎のトリのネタは(『任侠・おせつ徳三郎』。任侠と付くから何かと思ったら、『刀屋』のくだりまでは、ほぼ普通の『おせつ徳三郎』。そのあとが任侠映画的な展開になる。刀屋の主、番頭、定吉が突然に任侠の世界の人物に変身する様はあっけにとられるが、妙にカタルシスを覚える。笑いを堪えながらも、この意外(タイトルを知っていると、そうでもないか)な展開にワクワクしてくる。『十戒』のごとく、大川に道が出来て去って行くおせつと徳三郎は、なんともバカバカしく思えるが、このバカバカしい結末にしたのが、「これはパロディなんですよ」という喬太郎の思いが感じられて、楽しく聴くことができた。

6月1日記

静かなお喋り 5月31日

静かなお喋り

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