愛山・喬太郎二人会 2016年12月17日 お江戸両国亭 開口一番前座さんは、三遊亭けん玉で『八九升』。へ〜、三遊亭っていまだに『八九升』を教わるんだ。前座修業頑張ってね。 神田春陽は、落語でもよくやる『荒大名の茶の湯』。どっちにしても汚い噺。 「正月って大嫌いなんです。みんな晴れやかな顔しちゃって、絞殺したくなる。そこいくと年の瀬って好きです」。神田愛山のこんな気持ち、わからなくもないなぁ。 一席目はこれもお馴染み『寛政力士伝 谷風の情相撲』。八百長とは薄々知りながらも、佐野山が勝った瞬間、見物席から祝儀やら着物やら帯やらが土俵に投げ入れられる。「帯などは持ち主に返し、代わりに祝儀を貰うんです」。なるほど、そういうシステムなのか。「これは相撲に限ったことではありません。どうか楽屋の方に・・・」。アハハハハ。 柳家喬太郎の一席目は『粗忽の使者』。地武太治部右衛門、使者として出かけるところからして大騒ぎ。「将棋じゃ」「将棋?」「角じゃ・・・いや角ではない。斜めに行くのではない」「香車ですか?」「落語研究会でない」(香車のことをきょうすと言うことがあって、それを落語評論家の京須偕充とひっかけた、落語ファンしかわからないシャレ)。「あっ飛車だ」(ひしゃが江戸言葉だと、ししゃになる)に爆笑。この場所ならではの笑いだなぁ。 仲入り後。喬太郎の二席目は、今年亡くなった柳家喜多八らと行った、落語教育委員会の東北ツアーのことなどをマクラに、『宴会屋以前』。「宴会部長」と綽名される、宴会の時だけ目立つ、定年間際の課長。若い部下を、安い居酒屋チェーンに誘い、昔懐かしいテレビの演芸番組のことを話し出す。『大正テレビ寄席』、『末廣演芸会』、『笑点』。日曜日は演芸番組を観るのが楽しみだった。私もこの課長さんと同世代だからよくわかる。あのころのテレビは面白かったなぁ・・・と言っても、今の人には伝わらない。無理矢理話を聞かされる若い人はかわいそうだ。嫌なオヤジだけど、私にはいちいちツボ。ドンキーカルテットがいて、荒井注がいたころのドリフターズがいて、てんぷくトリオがいて・・・。 本当は芸人になりたかった課長さん。最後は、この課長さんの出戻りの娘さんも登場して、なんとも言えない気持ちにさせられるエンディング。あのころ芸人になりたくて、夢を果たせなかった人はたくさんいるだろう。今みたいに「お笑い芸人」なんていう言葉もなかった時代。現在、お笑い芸人を目指して頑張っている若い人たちって、かなりの数にのぼる。彼らに「がんばれよ」と言いたくなると同時に、自分の若かった頃を、ふと思い出した。帰り道、余韻に浸れた、いい噺だたなぁ。 愛山、トリの噺は、岡本綺堂原作の『利根の渡』。利根の渡しに佇み、船から降りてくる人に声をかけて、尋ね人をしている三十前後のひとりの座頭。毎日毎日やってきては同じことを繰り返している。渡し小屋に住む老人が見かねて、一緒に住むようになるが、座頭は目的を明かさない。やがて座頭は病の床についてしまう。そのとき初めて座頭が明かした目的とは・・・。怪談噺の一席だが、怖いと言うよりも座頭の過去が明かされるくだりには夢中にさせられた。 12月18日記 静かなお喋り 12月17日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |