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客席放浪記

マーブル

2014年1月26日
下北沢・小劇場 楽園

 松尾貴史と松永玲子の新ユニットπ*π(パイパイ)公演の二人芝居。お二人とも落語が得意で、毎年、落語好きの役者が集まって行っている『ごらく亭』のレギュラー。

 この劇場は、ほんとに小さくて、どの席からも役者さんの顔がよく見える。やはり芝居というものは役者さんの顔もよく見えないような大きなところで観るよりも、こういうところの方がいい。役者さんの顔の演技が見えないと面白さって半減してしまうから。松尾貴史は眼鏡を外して芝居をしていた。眼鏡なしの松尾貴史の顔って、初めて観たかも。

 1968年、新宿ゴールデン街のバーが舞台。新宿争乱を取材していたカメラマンの松尾貴史が、学生に追われてこのバーに逃げ込んできたことから物語が始まる。そのバーのママが松永玲子。ふたりだけの芝居だから、いつもバーにはお客さんが、ほかにいない。

 1968年というと、私はまだ未成年だし、ゴールデン街すら知らなかった。私が初めてゴールデン街に行ったのは、1973年あたり。でも、そのころと今とを較べてみても、このあたりはまるで変わっていない。おそらく1968年という年も、同じようだったのではないか。ただ、新宿はあのころ妙に熱い年になっていた。新宿争乱があったし、翌年には新宿西口フォーク集会なんてものをやっていた。また文化の街でもあったことから、ゴールデン街は、ちょっとした知識人なんかの溜まり場にもなっていて、喧嘩なんか日常茶飯事だったと聞いている。私が行った頃は、どのバーも煙草の煙で溢れていた。

 松尾は松永の協力を得て、フリーのカメラマン、流しのカメラマンとして写真を撮って生活していく。そして松尾はやがて松永を愛するようになるのだが、松永には秘密があった。

 もう、ほとんど最初のシーンでネタを割ってしまっているようなもので、観ている方も「そういうことなんだろうな」と思って観ているから、それほど意外性のある展開ではない。しかし、あのころの、どこか危うい時代を思い出すと、観ていて懐かしい気になってくる。

 私がバーに行くようになった時代って、ウイスキーの水割り一辺倒だったような気がする。この芝居では、ママさんは鹿児島生まれで芋焼酎の水割りを飲んでいるし、松尾のカメラマンは宝焼酎の水割り。あのころ私らは焼酎なんて飲むものではないと思っていた。焼酎がブームになるのは1980年代になってからだと思うのだが。60年代からバーで焼酎を飲む人っていたとは思わなかった。

 松尾貴史、1960年生まれ
 松永玲子、1969年生まれ
 そして、作・演出のきたむらけんじは1973年生まれ。
 こう言っては何だけど、1968年当時は生まれてもいなかった人までいる芝居なんだよなぁ、これ。

1月27日記

静かなお喋り 1月26日

静かなお喋り

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