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客席放浪記

月刊「根本宗子」第15号
紛れもなく、私が真ん中の日


2018年5月2日
浅草九劇

 去年の『スーパーストライク』が面白かったので、根本宗子を追いかけている。作、演出、出演をすべて自分でこなし、劇団名も、月刊根本宗子とするくらいの自己主張の激しい(?)人だから、『紛れもなく、私が真ん中の日』というタイトルは、まさにストレートだろう。

 劇場に入ると、開演前だというのに、もう舞台には何人もの若い女性がいて芝居は始まっていた。どこかの家のリビング。何人かでゲームをしている女の子や、何事か熱心に話している女の子たち。ほとんどの子が可愛くて、アイドルの子たちの部屋をのぞき見している感覚。客席も男性客が多く、「私、こんなところにいていいんだろうか?」という気持ちになってきて、ちょっと居心地が悪い。そして開演時間になり芝居が始まった。

 今回、根本宗子は作・演出のみに回り、出演者はすべてオーデションで選ばれた女性ばかり21人。おそらく出演者を決めた時点から、ひとりひとりに当て振りで脚本を書き始めたのではないだろうか。しかしよく21人もの役を一時間半の芝居のなかで、うまく女優の個性を過不足なく引き出す本が書けたものだと感心してしまった。

 話はある金持ちの家の高校生の誕生日会。女子高のクラスメイト全員に招待状を出し、それに応じて集まった者だけで誕生日会を開いているという設定。なるほどタイトルの意味がこれでわかった。

 私が男であるということもあるのだろうが、私にはクラスメイトの誕生日会に行ったという経験がない。男でも誕生日会をやるという人もいるのかもしれないが、誕生日会って女子特有のもののような気かする。男は小学生ならともかく、まず照れてしまってやらないだろう。だから基本的にわからないけれど、女の子だけで何やってんだろうという興味がないわけでもない。

 『スーパーストライク』のときもそうだったが、女性ばかり集まった社会で何が起こっているんだろうという、のぞき見的興味はある。なにかいけないものを見てしまっているような。ちょうどブス会*の芝居を観ているときに感じるものと共通するような感情。

 そして案の定、始まってしまう。女性同士って表面上仲がよさそうで、その実、裏がある。言っていることと思っていることにギャップがあって、それがあるとき突然爆発する。それを「始まった、始まった。やってる、やってる」と客席から面白がって見ている私がいる。現実にその場にいたら巻き込まれてしまいそうな状況の中、まったくの部外者として観察している私がいる。

 いやね、ほんと辟易としてくるんだけど、自分と関係ないと面白いんだよな〜。これね、男同士が集まってもこんなこじれた状況になるなんて、まずありえないから。

 泣いたり叫んだりの修羅場が続き、そしてやがてふわ〜っと終息していくのも根本宗子らしい。

 しかし、まだ終わってないだろ。まだ火種は転がっていて、いつ燃え広がるかわかったもんじゃねえや、と思うのも私が男だからかもしれない。

 それにしても女性同士の社会はたいへんだ。女に生まれなくてよかったとつくづく思いますね。

5月3日記

静かなお喋り 5月2日

静かなお喋り

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