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客席放浪記

ONEOR8
さようならば、いざ


2016年11月22日

 芝居を観に行くというのは、ほとんど賭けみたいなもので、それなりの高い料金を払って観に行って、つまらなかったりすることが続くと、もう芝居を観に行くのは止めようかと思ってしまう。逆にこの『さようならば、いざ』のような力作に遭遇すると、なんだか得した気になる。芝居というものは、限られた期間、限られた場所でしか観ることができない。これを観ることができた興奮を誰かに伝えたい気持ちで一杯なのに、もうその芝居は終わってしまっているって、なんと悔しく、もったいなく思えるものなんだろう。この芝居は、私が今年観た芝居のなかでベストと言っていいだろう。

 ONEOR8 の芝居は何年か前に再演で『ゴールデンアワー』というのを観たことがあって、あれは衝撃的だった記憶がある。『客席放浪記』にも書いたのが残っているが、詳しい内容はもうだいぶ忘れてしまっている。トシはとりたくないね〜。

 伊佐夫(中村蒼)の父が山形の刑務所で、病気で亡くなったというところから芝居が始まる。父は獄中から伊佐夫に手紙を送っていたようだが、伊佐夫は忙しかったこともあって滅多に手紙を出さなかったようだ。
 親族が葬式と墓をどうするか相談しに集まってくる。伊佐夫は独身だが、実の姉とその夫がいて、さらに父の妹にあたる叔母夫婦が二組。とりあえず相談する前に腹ごしらえしようということになるが、ステーキハウスにするかとんかつ屋にするか寿司屋にするかイタリアンにするか、はたまた出前を取るかで意見がまとまらない。この場面が長々と続いて、不幸の真っただ中というのに、やたら可笑しい。
 ただ父は、刑務所で亡くなっていることもあるし、借金問題も抱えていたらしく、親族はみんな複雑な心境にあるようだ。なぜ刑務所に入っていたのか、どうゆう借金問題があったのかなどは、この時点では、物語の進行上伏せられていて、わからない。
 当面、遺骨を山形まで誰が引き取りに行くか、もしくは郵送してもらうのかが話し合われるのだが、父と一番関係が深そうな伊佐夫は、なぜか山形に行きたがらない。
 結局実の姉夫婦が引き取ってきて、葬式が始まると、以前、父の会社で働いていた男も巻き込み、いよいよ全体が見えてくることになる。

 芝居が始まったばかりの時点では、父のことを思う伊佐夫と、相続をめぐって自分の都合のいいように運ぼうとする親族という構図かと思っていたものが、伊佐夫のこれまでのことから、むしろ虫のいいのは伊佐夫の方なんじゃないかと思えてくる。都合いい相手と見下して女と付き合っているというエピソードとも絡んで、観ている側は、伊佐夫にどんどん不信感が募っていくことになるのだが、クライマックスで様々なことが明らかになったとき、もうひと回転する。さらにラストには、それすらさらにひっくり返す真相が明らかになってしまう・・・。

 まあ、見事にやられたって感じですね。人間って、一部の人間を除くと、誰でも自分の都合よいようにしか立ち回らない。普通の顔をして、それが当然というようにふるまう。自分勝手だなんて思わない。そういうものかもしれないよなぁ。

11月23日記

静かなお喋り 11月22日

静かなお喋り

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