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客席放浪記

第十七回東西笑いの喬演

2014年10月4日
国立演芸場

 桂佐ん吉のマクラが楽しい。師匠と向かい合って稽古をしていると、師匠から扇子が飛んでくるようになる。そしてついには匙が投げられると落として、『稽古屋』に入った。この流れ、きれいでいい。
 『稽古屋』は、はめものもある噺で、東京でも上方でも演じられる。私は橘家円太郎のが好き。あの怖い顔で、歌や踊りの女性のお師匠さんを演るのがなんとも可笑しい。最近円太郎のこの噺に出逢わないのがちょっと寂しい。
 小さな女の子が踊るところがあるのだが、女の子が踊るところは見せないでお師匠さんの表情と台詞だけで見せるこの噺、結構難しそう。佐ん吉は、お師匠さんの色っぽさが出ていていいね。

 笑福亭三喬の一席目『借家怪談』は、東京だと『おばけ長屋』。マクラで幽霊とお化けの違いについて語る三喬が可笑しい。正しい女性の幽霊の条件五箇条。美人であること、色白であること、お喋りでないこと、足が小さいこと、痩せていること。そりゃそうだ。アハハハハハハ。
 二番目にやって来る男が、河内弁のおっさん。相手を指す「われ」と、自分を指す「われ」がごっちゃになるところが、やけに可笑しい。やっぱり三喬はこういう噺をさせると、なんともいえない恍けた可笑しさがある。そしてこのサゲは初めて聴いたが、まさに驚天動地。ちゃんとさりげなく最初の方で伏線も貼ってあったのだけどね。

 柳家喬太郎は、三遊亭白鳥の『任侠流山動物園』。この噺を演るのを後悔する素振りを見せたりするのは以前からの事だが、今日あたりは、そう言いながらも、実は楽しかったりすることを告白してみせたり。いや、本当は案外、喬太郎自身もこれ、好きなんではないだろうか。ほとんど動物しか出てこないこの噺を演るのって、今までとまったく違う落語のアプローチがいる。白鳥だとスピードと情念で突っ走るが、喬太郎は一匹一匹の擬人化した動物に成りきって、芝居のようにして見せていく。「モノの気持ちに成りきる」という柳家の落語の方法論を、うまくこの噺に生かしていると思う。

 仲入り後、柳家喬太郎の噺は『宗漢』。去年あたりからネタに加えたらしい。私は初めて聴いた。貧乏ではあるが名医であるらしい宗漢という医者が遠く離れたところまで往診に行く。共のものを連れて行きたいが誰もいないので、自分の奥さんを男装させて連れて行く。と、いざ帰ろうとしたら天候の具合で戻れなくなり、この往診先で一晩明かすことになるが・・・という噺。短めの噺で、サゲはいわゆるバレ噺になっている。こういうのをサラッと演って楽屋に下がるっていうのをやりたいんだろう。それにしてもこういう珍品をよくぞ捜しだしてくるものだ。

 トリは笑福亭三喬『お文さん』。初めて聴いた。いかにもな上方噺。旦那とごりょんさん(おかみさん)とお妾さんの世界。嘘をつくと血を吐いて死ぬ毒を盛ったとごりょんさんに言われて本気にしてしまう定吉がかわいい。男が当たり前のように二号さんを作っていたころの話だから女性は堪ったものじゃないが、これも喬太郎の『宗漢』とも通じる、ちょっとしたバレ噺風で終わる。ちょっと長いが、古い時代の上方の商家の世界に浸ることができた。上方でもあまり演らない噺らしいが、東京でこれをやろうとする人がいないのも、なんとなくわかる気がする。

10月5日記

静かなお喋り 10月4日

静かなお喋り

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