第二十一回東西笑いの喬演 2016年10月15日 国立演芸場 開口一番、森乃石松は松竹芸能のサイトに書かれたプロフィールによると、身長166cm。体重85kgだそうだが、以前はもっと太っていたのだとか。一日6時間プールに通って、五ヶ月で20kg痩せたと話す。凄いね。噺は『動物園』。 笑福亭三喬は来秋、師匠だった松喬の名前を継ぐことになったそうだ。一席目は得意の泥棒噺。泥棒の小噺をいくつかやって『月に群雲』。これでこの噺を聴くのは三回目。いつも腹を抱えて笑ってしまう。勿体つけて言う合言葉が実はバレバレとか、七面観音、六福神、九百九十七手観音の可笑しさは、これはやはり上方落語ならではだろうな。 いつになくマクラが長い柳家喬太郎。飛行機に乗り遅れそうになった話やら、『週刊文春』の川柳のこと、果てはボブ・ディランがノーベル文学賞を取ったことから、それならノーベル演芸賞があってもいいんじゃないかといったことまで。なんでも持ち時間40分で、ネタ出ししてある噺が12分ほどの尺なので長くなっているんだとか。それでも飽きさせないのはさすがの話術。 こうして始まった『ついたて娘』は小泉八雲の原作を落語にしたもののようだ。衝立に描かれた女性が抜け出てくるというのは、喬太郎の持ちネタにもある『抜け雀』や、その改作ともいえる『抜けガヴァドン』とも共通しているが、何しろ小泉八雲の世界。かなり暗い。それでも抜け出てきた女性がどこか現代的だったりするのが喬太郎らしいかな。 仲入り後、喬太郎の二席目は『家見舞い』。汚い噺なので私はあまり好きな噺ではないのだが、喬太郎のカラッと明るい語り口だとあまり汚さが気にならない。道具屋に遠回しに、「ただの瓶じゃないんだ」と説明されて、なかなか理解できない弟分が可笑しい。 トリは三喬の『質屋蔵』。最初に質屋の質料(利息)の計算方法を説明してくれた。これが現在の金貸しのシステムと大きく違うのでびっくり。なるほど江戸時代文化って、月末というものの意味が今とは違って、より大切なものだったということが理解できた思い。これは収穫だった。 この噺は上方ではよくかけられているようだが、東京では演り手が少ないこともあって滅多に聴けない。長い割にバカバカしいので東京には向かないのだろうか。三喬にかかると、このバカバカしい可笑しさが自然に伝わってくる。やはり上方ならではの噺なのかもしれない。 10月16日記 静かなお喋り 10月15日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |