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客席放浪記

あのっ、先輩・・・ちょっとお話が・・・ダメ! だってこんなのって・・・迷惑ですよね?

2014年4月17日
座・高円寺1

 シベリア少女鉄道の芝居を観始めたのは2005年の『アパートの窓割ります』からだから、もう10年。おそらく欠かさず観ているはずだ。この劇団の特徴は、芝居自体に大きな仕掛けがほどこされていることで、その仕掛けに全力でエネルギーを注いでいるようなところがある。大抵、その仕掛けがわかってみると、「くだらねえなぁ」という類のものなのだが、そのくだらなさが面白くて、観に行っているようなところがある。演劇というもので、いかに遊べるかという、もうね、演劇というものを舐めきっているような態度が快感なんですわ。

 そのくだらないといえばくだらない仕掛けがわかるのは、割と芝居が始まって早い段階だったり、終わる寸前だったりするのだが、今回のは、始まって30分くらいしてからかな。突然、会場から笑いが起こり、あとは仕掛けがわかったお客さんから、爆笑が続いていく。

 今回は、アフタートークならぬビフォアトークというものがあって、これが後から考えると「?」な内容だったのだけれど、実はこの段階から芝居が始まっていたのだと、あとから気が付くことになった。もう、「やられた」という、悔しいと言うか、騙されたことによる快感というか、これがシベリア少女鉄道なんだよなぁ。

 お話の方は、ある高校のクラスの生徒たちの恋愛だとか、クラブ活動だとか、新任教師の私生活だとか、なんとなくありきたりな内容なのだけど、それがいつものシベリア少女鉄道の手で、そんなのはどうでもいいのね。むしろそういうありきたりな話に、大きな仕掛けが乗りやすいようになっている。

 この、変なタイトルにも仕掛けがあって、観ているうちに、何をやりたかったのかわかった途端に、このタイトルの意味がわかるという手の込みよう。フライヤーの絵だって、ミスリードさせる意図を感じるのだけど、実際にそういうシーンもあるんだから、観終ったあとに再びフライヤーの絵を見て、アハハハハとなる。

 なにしろ、とんでもない仕掛けだけが、シベリア少女鉄道の芝居の要になるところだから、詳しいことは何も書けない。

 帰りに、台本の一部を超縮小版にしたものと、フライヤーの絵をクリアファイルにしたものを貰った。うれしいけど、台本は縮小がきつくて読めない。

 こういうバカバカしいことに夢中になってる劇団って貴重なんだよなぁ。

4月18日記

静かなお喋り 4月17日

静かなお喋り

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