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客席放浪記

2012年2月18日『rakugoオルタナティブvol.13少年時代』昼の部(草月ホール)

 開口一番は立川こしら『時そば』。「ダシおごってるな。カツブシかい? イリコかい?」「ダシ、入ってません」 入って無いのかよ!

 三遊亭白鳥は、師匠円丈の『悲しみは埼玉に向けて』を、自伝的に改作してまったく別物にしてしまった『悲しみは日本海に向けて』
 落語家になる夢を捨てて故郷に帰ろうとする男。「16時42分発直江津行の電車のベルはまだ鳴らない」の詩情を感じさせる台詞は師匠の名作ゆずり。
 きのう聴いた橘家文左衛門の『竹の水仙』で、「黒紋付を持っているからといって落語家がみんな金を持っているとは限らない」というクスグリがあったが、12800円で買った黒紋付が風に舞うラストはイメージが鮮やかに目に浮かんでくる。

 立川談笑『子別れ』の改作。昭和高度成長期バージョンとでもいうものだろうか? おとうさんは高層ビルを作る下請け会社の経営者という設定。愛人を作って別居してしてしまったが、愛人とは別れ家庭に戻りたがっている。息子の亀ちゃんとの会話の中で、王と長島、ドリフターズなどの固有名詞が出て来て、気分は『三丁目の夕日』世界。
 リアルだなあと思ったのが、「鰻、好きか?」と言う父親の言葉に、「好き、だと思う。食べたことないから」と答える息子。古典落語の世界ではいざ知らず、高度成長期の少年は鰻なんて食べさせてもらったことがなかった。鰻なんてガキの食うものじゃなかったもの。私も鰻を食べて、「おいしいなあ」と思ったのは青年期になってからだった。自分で金を払って食べるようになったのは社会人になってから。鰻屋で家族連れが来ていて子供がうな丼を食べているのを見るにつけ、世の中変わったなあと思う。
 談笑の『子別れ』は息子の亀ちゃんの方が、一枚も二枚も上。サゲもこの世代の人間ならグッとくるはず。

 仲入り後は、林家彦いち『愛宕山』。こちらも古典落語を大きく書き換えたもので、愛宕山行きをカナダのユーコン川、カヌー川下りに変えてある。ユーコン川を下りながら、原住民の墓の前を通るところでは、カナダのガイドに『Shall We Gather at the River ?』を歌わされる。「これは、日本でも日本語で歌われていますよ。♪たんたんたぬきの・・・ぶーらぶら」「これ最初に日本語にしたのはどんな人?」

 少年時代という括りをつけると三遊亭歌之介くらい自由自在な人はいないだろう。自分の少年時代の思い出を中心に、喋りたいことを自由に喋る。ネタは『かあちゃんのあんか』ということになったが、これも、たまたまその話題が入ったから、この演目に落ち着いたといった感じ。
 「自分の出た学校は母校です。母という字が入っています。父だったらどうでしょう。父校(不幸)になってしまいます」
 「とうちゃん、オナラの一番臭い動物は何か知ってる?」 「かあちゃんか?」 「かあちゃんじゃなくて、動物」 「スカンクだろ」 「違うよ、サルだよ。サルのはくせい(猿の惑星)」
 こういうのを、いつまでも演ってる。昔っから、このパターンなんだけど可笑しいんだよなあ。

 クロージングは出演者一同のトーク。少年時代、みんな貧乏だったけど楽しかったという話題で盛り上がる。まさに高度経済成長期に育った四人。私も含めて、あのころは貧しかったけれど、今思い出しても楽しかった。参加自由のウチアゲでもあったら、混ぜてもらいたかったくらい。

2月19日記

静かなお喋り 2月18日

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