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客席放浪記

娼年

2016年8月30日
東京芸術劇場プレイハウス

 劇場に入って、物凄く違和感があった。これは石田衣良原作だが、脚本・演出は三浦大輔だ。三浦大輔といえば、ポツドールの芝居を観たくて、[シアタートップス]に入ったときの、あの暗く狭い客席を思い出す。なんなのだ、この比較的明るく、やたらと広い劇場は。ポツドールの公演を観るということは、やや罪悪感を持って、こっそりと席に座って開演を待つという事だった。開演前には、隠微な音楽が大音量で流れていた。今日は荘厳なクラシック音楽。客席を見渡すと、圧倒的に女性客が多い。主演が松坂桃季とあれば、当然と言えば当然なのだが、ここに集まった女性たちは、これから始まるであろう三浦大輔の芝居をどこまで知ってのことで観に来たのだろう。あのころのポツドールの芝居ときたら、客席は男ばかり。しかも全員、周りを憚るように、まるでストリップショーでも観に来たような心境で座っていたものだ。

 三浦大輔の芝居に登場する人物は、ほとんどダメな人間ばかり。その生態をこっそりのぞき見するというような、なにかイケナイものを観ているような気にさせられていたものだ。この芝居の主人公リョウも、大学の授業には出ずにアルバイトばかりしているダメな奴。ところが、いままでの三浦大輔の芝居のようなグズみたいな人間に見えないところに違和感を覚える。そりゃそうだろう。女性ファンがわんさかいる、イケメンの松坂桃季なんだから。

 女とセックスするなんて退屈だと語るリョウに、高岡早紀の男娼クラブのオーナーが男娼の仕事をしないかと持ち掛けてくる。男娼になったリョウは、様々な女性を相手にしてセックスをする。舞台前方に突き出した部分が、そのセックスを繰り広げるスペースとなっていて、これはまさにストリップ劇場のデベソと言われる部分を思わせる。3時間もの上演時間のうち、ほとんどがここでの、いろいろな女性とリョウとのセックス場面。しかしなんなんだろう。ポツドールの芝居を観ていた時のような、観てはいけないものを観ているといった感じにはならない。売春という背徳的なものが、やけにリアルに繰り広げられているのに、いやらしさがない。

 ポツドールの芝居では、最後に破滅が待ち受けていた。この芝居もそんな方向に向かって行くのかと思っていたが、なんとハッピーエンドというのも、どうなのよ、これ。

 セックスは男の欲望のはけ口といった一方的な捉え方ではなくて、女性もセックスを求めているという切り口。リョウはもう10年もセックスをしていない女性や、70歳になってもセックスを求めている女性ともセックスをする。彼は金儲けではなく、すべての女性を幸せにするためにセックスをする。そして作品全体に最後に見えてくるのは、女性賛美。これはもうね、男としてはこの場に居ずらいものがある。ポツドールでは決して無かったカーテンコール。それも何度も何度もに、私は再びなんだか居ずらい気持ちを押さえきれなかった。

 これが三浦大輔の新しい展開なのか。以前のポツドールの世界をまた観たいと思う私は、もう置いていかれているのだろうか。

8月31日記

静かなお喋り 8月30日

静かなお喋り

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