立川談志一周忌特別公演 立川流追善落語会三日目夜の部 2012年11月23日 よみうりホール 開演時間を間違えてしまい、入場したときにはすでに口上が終わっていた。 高座では立川談修が『宮戸川』の熱演中。ぐっすり眠りこんでいるばあさんの寝顔を見てがっかりした霊岸島のおじさんが「おくりびと」でも呼ぼうかと思っている。「こんなことなら、慌てて貰うこともなかったなあ。すごい鼾だねぇ。おかげでうちには一匹もネズミがいない」 一方、半七とお花ちゃん。何か面白い話をしてほしいと言われた半七「矢倉囲いで来るなら、こちらは四間飛車」って、あくまで将棋好きなんだね。 談修の高座が終わったところで、指定席に座る。ここからは、平林と談慶によるリレー踊りなる企画。リレーといってもふたりがそれぞれ踊りを披露するということなのだが。 声が出なくなった談志が「見舞いに来るな」と言ったとかの命令を、これは逆に見舞いに来いという意味だと勝手に解釈した立川平林が、談志に安木節を見せに行ったら、祝儀をくれたというエピソードを披露してから、その安木節を踊る。もっとも家族が指を一本出した所を、談志が首を振って片手を広げてみせたというジェスチャー。どうやら一万円から五千円に値切られたらしい。 一方、立川談慶はカツサンドに関するケチな談志話。こういうケチ話は談志が生きているときから弟子たちによって語られてきたが、そういうことを何とも思っていなかったようなところが談志にはあった。つくづく変わった人物だったよなぁ。踊りは、かっぽれ。 立川雲水。上方落語を演る立川流という変わり種で、噺は『ん廻し』。なんか凄い、ん廻しだね。♪ボンボンバカボンバカボンボン(天才バカボン)とか、♪ババンババンバンバン、ババンババンバンバン(ザ・ドリフターズのいい湯だな)とか、♪どんどんぱんぱんどんぱんぱん(ドンパン節)とか、これって歌ばっかじゃん! 危ないオチも立川流か。 立川生志は『初天神』。言う事を聴かない子供に、「危ないとこに連れてっちゃうぞ」「危ないとこってどこ? ガザ地区?」「何、足立区?」「同じようなものだ」 そうかよ。 続いて野末陳平を呼んで、談志との交友を聞こうという企画。談志って案外、ああいう性格だから友達が少なかったんではないか。特に同業者ではほとんどいなかったろうなぁ。そんな中でも野末陳平は後年までの友人と考えられていた。ところがこうやって話を聞いてみると喧嘩もあったみたいで、絶交状態の間に野末陳平の家まで、わざわざ出向いて行った形跡もあったらしいとか。野末陳平宅は呼び鈴の電源を切っていたから、訪問に気が付かなかったらしい。ふたりでテレビ番組を持っていたときは、弁当や食べ物をたくさん持ってきてくれていたとか、心温まるエピソードを語っているところで、お約束で高田文夫登場。せっかくの交友話を引っ掻き回しす。これも可笑しかったが、高田文夫は談志のイメージを壊したくなかったのでは。談志は談志なんだと。 立川談笑は『粗忽長屋』だけど、この人のこと、まともには演らない。行き倒れしている男を長屋の熊さんと勘違いして、熊さん当人を連れてくるが、熊さんはどうも納得しない。「歯がないよね?」「片目しかないよね?」、果ては「黒人だよね」 江戸時代に黒人がいただけで違うとわかりそうなものだけど。ブラックな笑いは立川流らしい。 仲入り後は松本ヒロ。「デモ大好き。デモできるなら中国にでも行きたい」というデモ好きだそうで、原発反対のデモによく参加するとのこと。昔のデモと今のデモのやり方を実演してくれる。昔のデモは今思っても思想まずありきみたいなものだったよなぁ。一般人は参加しにくかったもの。原発に関する、かなり危ないネタも、信念あってのもの。こういう人の言葉には強みがある。 「談志十八番ではなく、先代小さん十八番を演ります」と立川志らくが始めたのは『饅頭こわい』。そういえば晩年はこういう噺はやらなくなっていたなぁ。饅頭こわいというより、「饅頭がこわい」と言った本人の方が饅頭を前にすると怖くなる。まるで『エクソシスト』の悪魔に取り付かれた人。 トリが立川談春。「私も談志十八番ではなく、先代小さんの十八番を演ります」と、『棒鱈』。そういえば談志で『棒鱈』って聴いてないかもしれない。 談志十八番を演るという企画だったようだが、誰が考えたのかは知らないが、これは無理があったと思う。談志そのものをコピーしたって誰も喜ばないだろうし、変えて演って上手くいっても、失敗しても、これまた誰も喜ばない。 これを機に、立川流は早く談志の呪縛(?)から抜け出して独自の道を歩き出してほしい。死んでしまった落語家をいつまでも追善することがいい事だとは私にはどうしても思えないのだ。 11月27日記 静かなお喋り 11月23日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |