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客席放浪記

2012年2月20日落語立川流・立川談志追悼公演(平成中村座)

 「生前、談志は『芸人の弔いで、泣いている奴がいるかい』と言ってましたので、陽気にいきたいと思います」と、最初に出てきた立川談笑の一言で、客席が明るくなる。落語を暗い気持ちで聴いても面白くない。ネタは『金明竹』。談笑の『金明竹』は津軽弁で話す使いが来る。首をかしげているおかみさんに、メモを取れと言うが、それでも理解できない。「(メモを取ろうとしても)あの〜、ひらがながありません」

 立川志らくを談志が気に入っていたというのは、その志らくの口調からわかる気がする。ダーっと噺が脱線していって、スッと戻ってくるところなんかも談志好みだったのかもなあ。『疝気の虫』には、そば好きの虫が出てくるが、そばからうどんの話に脱線したかと思うと、さらにラーメンの話に飛躍して、いったいどこまで行っちゃうんだろうと思っていると、ちゃんと戻ってくる。一気に持ち時間を駆け抜けて行った。

 仲入り後は、立川生志。ANAの機内放送で自分の落語が流れた時期にANAに乗って、ちょうど自分の落語が流れているときに、『翼の王国』に乗っている自分の写真をCAに見せ「これ、ぼく」って言ったら、オーバーに驚いてくれたというエピソードから『反対俥』。大きな身体を使って、動きの多い噺をダイナミックに。息が切れてない。弱気も出ない。まだまだ若いんだねえ。

 立川談春は、客電を落として『白井権八』。談志ゆずりの、浪曲が元になっているらしい噺。幡随院長兵衛と白井権八が出会う、鈴が森のくだりを描く、ある意味、地味といえば地味な噺で、笑いは無いし大きな展開というのもあまり無い。それでも、こういう場所でかける噺としては、これ以上のものもなく、静かに師匠への哀悼の意を込めたような高座になった。

 一旦閉まった幕がまた開いて、四人の出演者に、中村勘三郎、高田文夫が加わって座談。明るく追悼しようということで、生前の談志のエピソードを、六人で大いに話す、話す。とはいえ、とてもインターネットに書ける内容ではない。その場にいたお客さんだけで笑って、消えていくだけでいい。笑って、浅草の夜空に飛んで行け。

2月21日記

静かなお喋り 2月20日

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