わが闇 2013年6月22日 本多劇場 ナイロン100℃代表作の再演。15分の休憩を含めて約3時間半。 純文学の作家とその三人の娘の物語を軸にして描かれるのだが、そこに取り巻く編集者やら、ドキュメンタリー映画を撮ろうとしている人たちやらが絡んでくる。その誰に焦点が合わされているわけでもなく、話は淡々と進んで行く。修羅場があったりするが、ギャグもところどころに散りばめてあって退屈しない。 群像劇の割には、全部がまとまってどこかへ突き進むというわけでもない。様々なエピソードが語られていき、この芝居はどこに向かっているのだろうかと思っていると、一応の収束点に達し、終わったなという感じで終演を迎える。登場人物のひとりが最後に、このあと一人一人がどうなったかは語る必要はないだろうというモノローグを観客に向ける。人の人生なんてそういうものかもしれない。 『わが闇』というタイトルはどういう風にも意味が取れるが、直接的に感じられるのは三人姉妹の長女立子(犬山イヌ子)の終盤の展開が、それを意味しているように思える。突然降りかかった災厄の事態に、案外本人は冷静だったりするもので、周りの方がオドオドしてしまうというのは私にも経験がある。しょうがないじゃないかという開き直り。 開き直りといえば、大鍋(大倉孝二)の自分の事しか考えていない開き直りというのが可笑しい。 ようするに、人間って自分の事しか考えていないものだが、事、家族のことになると急に変わってしまう。そこがおそらく動物との違いで、子供を産んである程度成長したら、親離れ、子離れが始まるのとは違い、いつまで経っても家族として心配したり行動したりするのが人間というもののようだ。 ラスト、父親が亡くなり何の遺言も残さなかったというのが心残りになっているのだが、それが本当に素敵な遺言を残していたのだとわかるところの、なんとも言えない余韻は気持ちがいい。 最近『あまちゃん』を観ていると、子の親離れ、親の子離れという事の大切さも思うし、それでいて家族ってやはり繋がっているんだよなぁという感慨も思う私だった。 6月23日記 静かなお喋り 6月22日 静かなお喋り このコーナーの表紙に戻る |