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客席放浪記

第8回よみらくご

2016年11月7日
よみうり大手町ホール

 前売で、「柳家小三治スペシャル」と言っていたから、以前鈴本演芸場での余一会でやっていたような小三治の特別企画ものかなと思っていたが、来てみたら、小三治がどこでもやっている独演会と同じ形式。小三治が二席演って、その前に小三治の弟子が一席。ちょっと肩透かしを食った感じ。それでも小三治をこんなに近くで観られるのは久しぶり。

 前に上がったのは、柳家はん治。「お馴染みのお笑いを」と言いながら『妻の旅行』。桂文枝の新作落語を東京に持ってくるということで、東京でも貴重な存在だが、文枝の落語を上手く自分の口調に合わせることに成功しているから、文枝で聴くのとはまた別の味わいがある。

 あら、はん治がサゲを言って頭を下げ、自分で座布団を返した。袖に消えたと思ったら湯飲み茶碗を持って再び出てきて、座布団の横に置く。めくりの横に座って、お客さんが落ち着くのを待ってめくりを返す。真打が高座返しをする姿、初めてみた。

 柳家小三治一席目。マクラで相撲の話を始めて、国技館のことになる。一席目を『茶の湯』にするつもりで、蔵前の大店の旦那に持って行くつもりで相撲→国技館と繋げたらしいのだが、途中まで、両国国技館というべきところを蔵前国技館と言い間違えていて、途中で自分の間違いに気が付く。最近物忘れが多くなって心配になってMRIを撮ってもらったという話に脱線していく。そのMRIという言葉も出てこなかったりで、聴いていて大丈夫なのかと心配になる。小三治、来月77歳。喜寿である。私より一回り以上も年上。私がすでにして固有名詞が、なかなか出てこなくて苦しんでいるのだから、喜寿になろうとしている人はそれ以上だろう。それでも喋ることを職業にしているだけ、私らなんかよりは脳はまだ衰えていないはずなのだが、やはりトシには勝てないのか。
 噺に入っても、人の名前が出てこなかったり、なんとか誤魔化し誤魔化し進めていく。もともと先代桂文楽みたいな一字一句違えずに落語を演る芸風とは違うから、これでもいいようなもの。それでもやはりさすがにトシを感じてしまうなぁ。

 二席目は、すっかり秋らしくなったということから、以前、永六輔らとやっていた句会で作った俳句を思い出したいう話。小三治が詠んだのは、「永さんが 舞い降りてくる 枯葉かな」。銀杏の葉が永六輔の顔に似ているということらしい。これは愉快。そのあとフランク永井の『公園の手品師』を二番まで歌ってみせ、いい歌詞だと語る。ここで歌われている手品師とは公園の銀杏の木。そう、特に二番の歌詞「・・・口上は云わないけれど なれた手つきで ラララン ラララン ラララン カードを撒くよ 秋が行くんだ 冬が来る」は今の季節ぴったり。銀杏の枯葉が散る様をカードを撒く手品師に例えている。曲もどこかシャンソン風。いい曲だなぁ。
 これをキッカケに気を取り直したのか、次の『宗論』は、ほとんど、つっかえるることなく絶好調の高座。
 これからも無理することなく高座を続けて行ってほしい。小三治の芸はまだ冬じゃない。

11月8日記

静かなお喋り 11月7日

静かなお喋り

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