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客席放浪記

第8回遊雀式

2013年9月12日
日暮里サニーホール

 開口一番の三遊亭遊かりは、遊雀の弟子だということは知っていたが、女性だから、てっきり、ゆかりと読むのだと思い込んでいた。ゆうかりなんだね。今日がネタ下ろしだという『牛ほめ』。前座修業頑張ってね。

 次に上がったのが、先月二ツ目に昇進した、小曲改め三遊亭遊里『出来心』。若々しい気持ちいい落語をやる人だなぁ。

 若いと思ったら、三遊亭遊雀が、彼はまだ21歳だと話し始めた。なんと高校を中退して落語家になったらしい。「みなさんね、21のとき何してました? あたしね、21で初めて落語聴きましたから」
 最近出演した落語会の事などを話しながら『寝床』へ。遊雀の落語の登場人物の自由さは、この数年ますます増してきたような気がする。この噺の中では、実際には旦那と茂蔵のふたりくらいしか登場しないのだが、他の人たちも茂蔵の話の中で実に生き生きとしてくる噺なわけで、もともとが良く出来た噺。それにつけても遊雀にかかると前半部での、旦那と茂蔵とのやり取り。後半部で、へそを曲げた旦那と、それを取り成す番頭と旦那の駆け引きの面白さはなんと形容したらいいのだろうというくらい面白い。これこそが落語本来の可笑しさなんだろうけど、それがもっと自由な形になっている。
 ボロを出した茂蔵が逆ギレして、「私ひとりが死にゃあ、みんな助かるんだ。語れー!」と叫ぶ可笑しさは遊雀ならでは。これには旦那がさらに逆ギレ。長屋は店立て、奉公人には暇を出す、茂蔵にも「クビだ!」
 かと思うと、それでもブツブツ言っている茂蔵に「何か言いたいことがあるならハッキリ言いなさい・・・なに・・・節が付くだけ情けない? よく言った! この落語の名台詞中の名台詞だ。六代目円生も、お喜びだろう」とくる。

 仲入り後の『三方一両損』も、喧嘩ッ早い、ふたりの江戸っ子が出てくる噺だか、やり方によっちゃあ、ただ嫌味な江戸っ子が出てくるだけの噺になってしまいがちなところ、遊雀にかかると、このふたり、どこかとぼけたところがあって、偏屈なだけではない。あまり嫌味は無く、どこかカワイイ。

 遊雀の落語を聴いていると、なんだか世の中の人間関係って、深刻な事って何もないような気がしてくる。そんな、根がすっ飛んでる人物ばかりが往来しているような気になって来るんだなぁ。まさに遊雀式。

9月13日記

静かなお喋り 9月12日

静かなお喋り

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