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客席放浪記

扉座
郵便屋さんちょっと2016


2016年7月3日
座・高円寺1

 三年前に観た扉座の『つか版忠臣蔵』は、つかこうへいの戯曲に大幅に手を入れて、あたかも、つかこうへいがまだ生きていて、『つか版忠臣蔵』を今上演したら、こんな感じになるだろうという芝居だった。その扉座が『つか版忠臣蔵』の再演に続いて取り組んだのが『郵便屋さんちょっと2016』。『郵便屋さんちょっと』は、つかこうへいの初期の作品で、これを観た人は、ほとんどいないだろう。私ももちろん観ていない。扉座の横内謙介は、『郵便屋さんちょっと』の資料を基に、オリジナル脚本を書き上げて上演にこぎつけた。

 私らの世代で若い時に、つかこうへいの芝居に接した者は、ほとんどみんなその魅力に取りつかれていた。劇場で配られた印刷物によると、横内謙介も40年前につかこうへいの芝居と出会い、途端につかこうへいの真似をした芝居を作るようになったとのこと。この気持ちよくわかる。ただ、やはりつかこうへいはつかこうへい。真似したところで自分の芝居にはならないと気づき、封印したらしい。それが、つかこうへいの死により、つかこうへいの芝居を物真似ではなく、知られていない作品の再構築ということに取り組んだようだ。

 扉座の『つか版忠臣蔵』も面白かったが、『郵便屋さんちょっと2016』の方は、ほぼオリジナル。郵政民営化後のある郵便局を舞台に、郵便局長と妹、そこで働く局員。警察、新興郵便業者らの集団劇。あまりにいろいろなことが盛り込んであるので、頭の切り替えが必要で、そのうちよくわからないことも出てきた。それがつかこうへい風の目くらましなのか、こっちが単について行けずに置いてけぼりを食ったのか不明。もう一度観ないとよくわからない。今日が千秋楽だが、どうやら一年後に再演する意志があるらしい。そうしたらもう一度観に行こうか。

 そういった、話のよくわからなさも含めて、つかこうへいの世界を作り出している。台詞も、あたかもつかこうへいが乗り移ったかのようなものがバンバン出てくる。設定も、今まで観てきたつかこうへい作品のどれかに似ているものが多く、あっこれは『熱海殺人事件』だ。これは『初級革命講座・飛龍伝』だ。これは『鎌田行進曲』だという具合。なんだか、つかこうへいクローン作品を観ているような感じ。つかこうへいが亡くなったとき、「これでもうつかこうへいの新作が観られない」とがっかりしたものだが、横内謙介がいる限り、私たちはまだ、いかにもつかこうへいの新作そのものような芝居を観られることができそうだ。

7月4日記

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