March.31,2001 煮汁

        昔飼った最初の猫は他所から貰ってきたものだが、あとの3匹は全てウチに迷い込んで来てしまった捨て猫だった。なんでウチにやって来てしまったというと、おそらく鰹節の匂いに誘われてやって来たのだと思う。

        2匹目の黒猫クロは、不思議なことに蕎麦が好きだった。長い蕎麦をつまんで口まで持っていってやるとチュルチュルと食べた。ひょっとすると蕎麦ッ食いの猫で、蕎麦の香りにつられてやって来たのかもしれない。

        チェリーは絶対に蕎麦は食べなかったが、蕎麦汁は好きだった。食べ残しの天ぷら蕎麦の汁などをあげると喜んで飲んだ。だいたいこの猫は固形物を食べるのがヘタクソだった。見ていると実に不器用に食べる。20年近く生きていても食べ方は上達しなかった。

        そんなこともあるからだろうか、煮ものは大好きだった。煮魚などを与えても、まず煮汁を全て飲んでしまう。そして気が向くと魚を食べ始める。まあ、旨みなんて汁にみんな出てしまうのかもしれないのだが・・・。そしてですね、そんな煮汁の中で一番好きだったのが、肉じゃが。ウチで肉じゃがを作る時に汁をたっぷりで作るのは、そんなわけもあったんです。人間も汁がたっぷりなのが好きだったけれど、チェリー用に煮汁が必要だったというわけ。


March.22,2001 翼の生えたチェリー

        猫というやつは、ときどきチョコンと座って、どこを見るともなくボンヤリしているときがある。何か考え事をしているのかなあとも思うが、おそらく何も考えてないのだろう。せいぜい、夏なら涼しいところ、冬なら暖かいところはどこだろうかと思案しているくらいか。チェリーもよくボンヤリと座りこんでいるときがあった。「チェリー、どうしたい? 何考えてるんだよ」と声をかけても反応なし。そして長時間座っていると突然、プルプルッ、プルプルッと、顔の筋肉を震わせるクセがあった。

        下の写真は、ウチの店で夏になると軒先に吊るす猫型風鈴だ。これは2年前に買ったもの。ちょうどひとつ前のグレーの猫型風鈴が割れてしまったので新しいものを捜していたら、チェリーと同じ三毛猫のが見つかり、2シーズン吊り下げてきた。よく鳴る風鈴で、「おしゃべりなチェリーそっくりだね」とウチの者達は笑っていた。表情も別に媚びを売るようなものでないのが気に入っている。猫って基本的に無愛想だもんね。よく笑っている猫の人形があるけれど、あれは猫らしくない。

        今は冬だから、この風鈴は私の部屋に置いてある。ちょうど布団を敷く位置の右側の壁に画鋲を刺し、そこにぶら下げている。チェリーがいなくなったある日の朝、私は目覚まし時計を止め、電気を点けた。そしてハッとした。風鈴はいつも部屋の電気のスイッチの横に吊るしていたのである。その風鈴が見えない。「あれ? 猫型風鈴がないぞ」 不思議に思いながら着替えをしている最中に風鈴が目に飛び込んできた。いつも吊り下げている壁とは反対の位置。本棚のラジカセの隣に、猫型風鈴がチョコンと置いてあった。また寝ぼけてそんなことをしたのだろうか? さっぱりそんな記憶はない。風鈴を見つめながら考えていると、チョコンと座った猫型風鈴の上についているビニール製のヒモが、プルプルッ、プルプルッと揺れた。チェリーのクセ、そっくりそのままに。

        「おい、お前、チェリーが乗り移っているのかい? ひょっとして挨拶に来たのかい?」 ちょうどチェリー初七日の朝の出来事だった。もっと不思議なことがある。その風鈴の下に鳥の羽が一枚落ちていたのだ。おそらく雀のものだと思う。おそらくは、私が外で服にくっつけてきて部屋で脱ぐ時に落としたのだろうけれど、こんな経験は初めてのことだった。よりによって、こんな日に・・・!

        おい、チェリー。お前、神様から翼を貰ったのかい? それで天国に行ったのかい? 猫のことになるとガラにもなく、そんなメルヘンチックなことを考えてしまう。さよなら、チェリー、天国で幸せにな!


March.15,2001 チェリーがやってきた日

        チェリーがやって来たのは、[べったら市]の晩だった。その日のことは昨日のことのように憶えている。私の叔母(つまり私の母の妹)が[べったら市]を見たくて人形町にやってきた。母と叔母は夕方の[べったら市]をぶらつき、帰ってきた。[べったら市]に行ったといのに、べったら漬けは買わず、なぜかガリガリに痩せた三毛猫を連れて。

「どうしたの、その猫」
「今、裏の道でこの子に逢ったの。『おいで、おいで』と言ったら、ここまでついてきちゃったのよ」
「どこかの飼い猫じゃないの? 道に迷っちゃったんじゃないの?」
「こんなに痩せているところをみると、捨て猫だと思うのだけど」

        とりあえず、ミルクを飲ませてやり、鰹節の削ったものを与えてあげた。猫は夢中で飲み、食べた。閉店後、この猫がうろついていたという裏の道に抱えていき、「どこの猫だか知らないけれど、きっとご主人さんは心配しているよ。早く帰りな」と言って離した。

        翌朝店を開けると、昨日の猫が飛びこんできた。やっぱり、捨て猫だったらしい。子猫というには、もうかなり大きかった。ざっと生後半年は経っているに違いない。「おいおい、ダメだったら。ウチはお前を飼う気はないよ

        それまでにウチの歴史では合計3匹の猫を飼った経験があった。最初のは私が小学校のころでほとんど記憶がないのだが、妹が大の動物恐怖症で、動物園に行っただけで泣き出してしまうという有様だったので、母がどこかで貰ってきた猫だった。最初こわごわと接していた妹だったが、やがて猫に夢中になってしまい、常に抱いていないといられなくなり、自分がトイレへ行くときも連れていくほどにまでなってしまった。その後、この猫は家出してしまった。

        2匹目の猫は、捨て猫。全身真っ黒なやつで、一年ほどいたが交通事故で死んでしまった。3匹目はキジ猫。これも捨て猫だった。こいつは、とんでもない不良で、やはり一年ほどで家出。これらの猫については、いずれ書くつもりだ。チェリーがやってきたのは、3匹目の不良猫がいなくなって一年くらい経ってからだった。もうウチでは猫を飼うのはコリゴリだという気になっていた。衛生上から言っても、飲食店に猫がいるというのは好ましくない。

        私は猫を捨てるという飼主の神経がわからない。これ以上猫を飼えないというのなら、メス猫に避妊手術をするのは当然のこと。処置をしないで子猫が生まれてきてしまったら、責任を持って飼うか、他の飼主を捜してあげるのが当然だろう。それが出来ないで捨ててしまうなんて、そんなやつは猫好きなんて絶対に言わせない。

        とにかく、もうウチでは飼えない。可哀想だから、またミルクと鰹節を与え、外へ出した。ところが、隙があるとまた家に入ってきてしまう。「悪いけれども、お前を飼う気はないんだよ」。その夜、私はこの猫を紙袋に入れ、自転車の前についている買い物篭に入れて、浜町公園に連れていくことにした。あそこには野良猫がたくさんいて、猫好きのオバサンが毎日エサを与えにやってきている。あそこならエサにも困らないだろうし、仲間もたくさんいるではないか。自転車をこぎだして浜町公園の近くまで来たときだった。猫が突然に袋の中から立ち上がり、走っている自転車から飛び降りたのだ。浜町公園までは行けなかったが、しょうがないか。と思い、帰宅した。

        それから3日後のこと、「ニャー」という声と共に裏の窓から、捨てに行った猫が顔を出した。「おいおい、お前を飼うわけにはいかないんだって!」。とにかく懐っこい猫だった。家族中の人間にスリスリと顔を摺り寄せて回る。「ねえ、お願いだから、飼ってちょうだいよ」。この作戦に負けてしまった。「よおし、3日がかりで帰ってきたその根性に免じて、お前を飼ってやろう」。こうして、チェリーは我家に居ついてしまうことになるのだが、今まで飼った猫が全て一年程度でいなくなってしまったことから、どうせ長くても5年程度とふんでいた。それがまさか20年近くもの付合いになるとは、家中の者、誰も考えてもみなかった。


March.7,2001 枕元に・・・。

        その前の日の晩、私はいつも通りに9時半に仕事を終えた。自分の部屋に帰り、考え事を始めた。そして、ある決断に達した。その瞬間からウイスキーのボトルを取り出して飲み出した。飲まずにはいられなかった。

        推定年齢19歳の私の飼い猫チェリーが、今年に入ってからめっきり衰弱してきた。足腰がすっかり衰えてしまって、やっと歩いているといった具合。階段を昇るのにいたっては、休み休みでなければ昇れない。身体を触ってみると、すっかり肉が落ちてしまい骨と皮だけといった有様である。2月に入ってからは食欲も落ち、毎日一個のキャットフードの缶詰もほとんど口にしなくなった。それでも水だけは飲むから、かろうじて生きているといった状態。トイレに行こうとしても、あらぬ方向へ行ってしまう。どうやら、もうよく目が見えないらしい。目を覗きこんでみたら、きれいだった黄緑色の目は幕がかかったように、濁ってしまっている。

        そしてついには、オシッコは垂れ流し状態にまでなってしまった。今の猫は昔に較べると長生きになったそうで、平均16年〜20年生きるという。18年前にウチに迷いこんできて居付いてしまったときに生後6ヵ月と計算して、19歳と3ヶ月。もう老衰なのだろう。垂れ流しのオシッコやウンコをそのたびに拭いていたのだが、オシッコはそれほど臭くないのだが、ウンコが臭い。畳の上にされると拭き取るのが大変な苦労だ。もっとも、あまり食べなくなってからは、オシッコのようなウンコをする。家中がなんとなく臭い。消臭剤をまいてみたりするのだが、畳は汚れ放題になってしまった。

        「チェリー、どうする? オシメをして、もう数ヶ月生きるか? そんなになっても、まだ生きるか?」 私は長いこと考えていた。そして決断した。「チェリー、もう幕を引こう。お前のそんな姿にはとても耐えられない。苦しまないで安楽死させてもらおうじゃないか。いいだろう?」 氷をグラスに入れ、ウイスキーを注ぎ、水で割って飲み始めた。さっぱり酔わなかった。いつしか、水割りは単なるオン・ザ・ロックとなっていった。

        翌日、チェリーを築地に買いだしに行く時に使う籠に入れた。いつも病院に連れていくときは、籠から脱け出さないように洗濯ネットに包んで入れるのだが、もうさすがに飛び出せるほどの元気は残っていない。大丈夫だろう。それに、最後までそんな状態で連れていかれるのは可哀想ではないか。家族の者ひとりひとりにチェリーを見せて、最後の別れの挨拶をさせる。「さよなら、チェリー。楽しかったよ、お前と過ごした日々・・・」

        チェリーの入った籠を片手に、自転車で動物病院に向かう。チェリーは籠の中で横たわっていたが、むっくりと起き上がると籠の中で座り、前方をジッと見つめていた。もうこのところ、すっかり外にも出なくなっていたから、外の景色が珍しかったのかも知れない。

        動物病院の先生に事情を話し、埋葬の手続きをしてもらう。さあ、これでお別れだ。チェリーは弱々しく鳴いていた。「ごめんな、チェリー、最後の最後まで看取ってあげられなくて」 涙を拭きながら家へ帰った。

        実は不思議なことがあった。最近私の周りで起きている心霊現象なのだが、そのほとんどが夜中に起こって朝に気がつくものだから、「寝ぼけたんたよ」で済まされてしまうのだが、今回もまたあったのだ。この日の朝、目が覚めると、私の枕元にキャットフードの缶詰がひとつ置いてあったのだ。「おい、チェリー。これは、お前が置いたのか? これはどういう意味なんだ? まだ生きたい、まだ食べたいということなのかい? 昨夜あげた分だって、一口も食べてないじゃないか。それとも、こういうことかい? もういらなくなったから、替わりに食べてくれとでも言うのかい? よせやい、オレはキャットフードなんて食べないぜ」 ちきしょう、また涙が出てきやがった。

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