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週末日記







2011年3月18日から22日

18日(金)
 父の遺産相続、ようやくメインバンクとの手続きが開始される。いやあ、大変だった。いったい、ここに漕ぎつけるのにいくつの役所を回ったことか。

 仕事を終えて、父が取引していたあと四行の金融機関のひとつに電話。ここは書類を郵送してくれとのことで、その書類を用意する作業。

 夕食は母を連れ出して浜町亭。日本酒を燗してもらいツマミはホッケなど。母、おいしそうに食べる。

19日(土)
 母をデイサービスに送り出し、溜まってしまったテレビ番組などをHDDレコーダーで観て過ごす。

 午後、地下鉄で三の輪まで出て、サンパール荒川までは歩く。『たい平喬太郎二人会』。

『悋気の独楽』一左
『明鴉』たい平
『文七元結』喬太郎

 終演後、たい平と喬太郎が今回の地震の義捐金を募る箱を持ってロビーに立っている。50両という金を困っている人にくれてやる『文七元結』を聞かされちゃあ、「江戸っ子でえ」と募金せざるを得ない。喬太郎、粋なことするじゃないの。募金のための行列が出来る。私も行列に入り、喬太郎の募金箱に義捐金を入れる。喬太郎、私に気が付いてくれて、「あっ、大将、また今度」と言葉を返してくれる。喬太郎の気配りがうれしい。

 帰宅すると、母はデイサービスから帰ってきてそのまま寝込んでしまったらしい。用意しておいた夕食を食べていない。母のために台所で夕食をレンジで暖めているところで、母がリビングで椅子から立ち上がろうとしてバランスを崩して倒れてしまう。

 物凄く痛がっているので救急車を呼び、救急病院へ。レントゲンを撮った結果、股関節が骨折しているという。その場で母は入院。私が帰宅したのが23時。

 夕食を食べてなかったので母の為に用意した煮物をサカナに一杯飲んで、午前をかなり回ったころ就寝。

20日(日)
 昨夜が遅かったので、遅くまで寝ている。

 母が入院した病院に必要な物を届けに行く。交通の便が以前に入院していた病院よりは不便。でも、病院の人も親切だし、大きな病院よりもシステムが簡略化されていて、ある意味親切かも。

 母は痛そうにしていたが、意識ははっきりしている。院長先生に面会して話を聞く。手術の必要があると言われる。「90代だと、もうここを骨折すると寝たきりになってしまうけど、80代なら大丈夫。またこのくらいの歳の人がよく骨折する箇所なんだよ」 「よろしくお願いします」と挨拶して病院を出る。

 今日は、マチネとソワレの芝居のチケットを買い込んでいたのだが、きのうの具合で全てパーかと思っていたのだが、これなら行って来れそう。一旦家に戻り、チケットを持って出かける。

 マチネは、シアター・コクーンで『日本人のへそ』。井上ひさしの作品。この作品が初演されたころは、まだ金の無かったころで、芝居を観に行くことはできなかったが、戯曲は読んだ。駄洒落を織り込んだ歌詞のミュージカル・シーンは、いったいどうやるんだろうと、想像していただけだが、二幕目のどんでん返しが続くところは、「さすが井上ひさしだ」と感心していたものだった。だから、あれからずいぶん経つがストーリーは憶えていた。約3時間。まさに初期井上ワールド。

 マチネのために高円寺へ移動。時間があるので高円寺の街をウロウロと歩きまわる。食事をしようとステーキハウスに入って食べている所に、病院から携帯に電話がかかってくる。母の手術は22日火曜13時30分になったとのこと。高齢なので手術中は家族は待機してくれという。

 座・高円寺。ラッパ屋『凄い金魚』。開演前に、もし開演中に地震が起こったらの長いマエセツがある。芝居は、ある一家のおじいさんが死んで、その葬式と遺産相続の話。昨年、私の家族の身にも降りかかってきたことなので身近に感じる。ウチの場合そんなに複雑な家庭事情はないけれどね。

 帰宅して、即寝る。

21日(月・春分の日)
 店の物干しが老朽化して危ない。今は乾燥機で乾かしたり、部屋干しをしているので、物干しはいらないようなので撤去作業を頼んでいた。ところがきょうは朝から雨。中止となる。

 予定を入れておかなかったので、手持無沙汰。とりあえず昼に母を見舞う。集中治療室に行ったら、母は熟睡している。揺り起したのだが、まったく起きようとしない。諦めて帰宅。

 外は雨。放射能が混じっているかもしれない雨となると外出する気になれない。HDDレコーダーに録っておいたテレビ番組を観たり、書類仕事をしたりで一日が過ぎていく。

22日(火)
 臨時休業。9時まで寝ている。いくつか関連個所に電話。臨時休業の紙を貼り、病院へ。

 正午には来ていてくれというので、12時ぴったりに到着。入院手続き。その後、手術の承諾書にサイン、印鑑。

 13時30分からの手術が14時にずれ込む。14時ちょっと前に集中治療室から出てきた母に声をかける。なにか意味不明の言葉を呟きながら手術室に消える。

 1時間で終わるといわれた手術は、結局16時10分までかかって、2時間以上で終了。「無事終了だったとのこと」って、そうなの? 母は麻酔が醒めきれてない様子。

 店に帰って、翌日の仕込み。

 スーパーマーケットで惣菜を買って食べ、早めに就寝。

3月24日記

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