April.30,2000 さらば[ジャンジャン]

        渋谷[ジャンジャン]が閉館した。渋谷の教会の地下にある、キャパシティー150程度の小さな劇場だったが、そのプログラムの組み方ときたら実によく考えられていて、時間さえあれば、毎日でものぞいてみたい気にさせられたものだ。芝居、音楽(クラシック、民謡、フォーク、ロックなんでもありだった)、落語、トーク、ジャンルをとわず、なんでもかかっていた。客席が建物の関係で、かなり変形したものである上、ステージも菱形という、やる側としても使い難かった劇場だったが、そんなハンデを、ものともしない熱気が、この空間には存在した。

        思えば、私もこの小さな劇場によく見に行ったものだ。特に利用したのが、夜の10時劇場。仕事を9時30分に終えると、オートバイを飛ばして渋谷まで行って見た。おすぎのシネマトーク、マルセ太郎の芸の数々、芝居『太平洋ベルトライン』の面白さ。

        中でも得をしたと思ったのが、清水ミチコのデビュー・ステージ。ふらっと入った、ある日の[ジャンジャン]夜の10時劇場。そこに登場したのが、これが人前で演じる初めてのステージだという清水ミチコだった。いやあ、初めてだというのに、彼女、実に堂々としていましたっけ。矢野顕子の物真似なんて演る人は、当時誰もいなかった。今もいないか。これはもうタモリを継ぐ、女性の密室芸の誕生だと興奮して、その夜は眠れなかったのを憶えている。その後、普通の公演で3回ほど見に行ったが、それ以降は、とても人気が出てしまってチケットが手に入らなくなってしまった。

        正月には、恒例の『実験落語会』によく行った。落語家さんたちも、正月は他の寄席が忙しいはずの上、師匠への挨拶まわりなどがあるはずなのだが、よくこんなところに出ていたものだ。それも自分の本当に演りたい落語を演りたいという熱意だけで、出演していたと思われる。毎年酔っ払って現れて、ヘロヘロの高座になってしまう川柳川柳。この人、もう最近は『ガーコン』1本しか演らなくなってしまったが、以前はエロネタの落語など、よく演っていたものだ。教会の下でよく演るよな、こんなネタ。

        遠藤賢司もなぎら健壱も、ここで見たことがある。なぎら健壱は、火を吹いて、それ以降出させてもらえなかったはずだ。天井に火が走った。そういえば、何かの芝居を見ていたら、ステージの上をネズミが通過したことがあった。観客の目がそっちに方に行って、客席がザワザワとしてしまい、役者がやり難そうにしていたっけ。

        さらば[ジャンジャン]!


April.26,2000 ありがとうございました

        本日、明治座千秋楽。今月は松方弘樹座長公演『遠山の金さん――新しい門出――』でした。出演者の皆様、スタッフの皆様お疲れさまでした。松方弘樹様、二宮さよ子様、水野久美様、丘さとみ様、東千晃様、花紀京様、亀石征一郎様、伊藤敏八様、中田博久様、睦五郎様、松井涼子様、大林菜穂子様、藤原眞奈美様、木島多美子様、京町健様、大塚一俊様他の皆様よりご注文をいただき、楽屋まで、蕎麦の出前をいたしました。ありがとうございました。

        松方弘樹様、カレー南蛮がお好きのようですね。また、ご出演のおりには、よろしくお願いいたします。


April.22,2000 自転車交通マナー

        歩道を歩いていたら、前方から猛烈なスピードで走ってくる自転車があった。狭い歩道である。とっさに右か左にどかなければ、ぶつかってしまう。私は右に体を移した。するとタイミングが悪いもので、自転車も同じ方向に移ってくる。慌てて左に体を移せば、今度は自転車も同じ方向に移る。「危ない、ぶつかる!」と体を横にしたら、相手は急ブレーキをかけたものの、私はタイヤを足にぶつけられた。「痛いなあ」と相手を見ると20代の若い男。男は謝るのかと思ったら、一言、「邪魔なんだよ!」と私を睨み付けるようにして言うと、また猛スピードで去っていった。

        私は、びっくりして何も言えず、その場に立ち尽くしてしまった。歩道はあくまで歩行者のための道路である。東京では、交通事情のために、自転車が歩道を走ってもいいことになっている。しかし、これはあくまでも、「歩道を走ってもいい」であり、本来は自転車は車道を走るべきものなのである。「すいません、歩行者には迷惑でしょうが、歩道を走らせてください」という立場にあるのである。その歩道を、歩行者にぶつかりそうになっても止れないスピードで走行するのは非常識だ。

        また、道を歩いていると後方から、自転車のベルをチリンチリン鳴らしっぱなしで走ってくる人がいる。「どけどけどけどけ!」という感じである。あわてて、後ろを振り向き、右か左に道を避ける。こういうベルを鳴らしっぱなしで走ってくるのは、お年寄りに多い。これも腹の立つことだ。なんだと思っているのだ。自転車に乗っているのが、そんなに偉いのか?!

        ウチの店では、出前を自転車でやっている。都心部では、バイクなどより小回りの効く自転車の方が圧倒的に便利だ。しかも、自転車の後ろに出前器を付けると、やはり走り難いので、古くからの蕎麦屋の出前方式、大きなお膳に品物を乗せ、肩に担いで自転車に片手運転で乗る出前方を採用している。最近では、この方法は珍しいらしく、セイロを高く積み上げて走っていたりすると、感心した目で見られる。なにか、曲芸でもしているように見えるらしい。このときは、なんとなく、路上パフォーマーのような気がして、ちょっといい気分だ。

        出前がたて込んでくると、出前先に届けると、大急ぎで店に帰らなければならない。このときばかりは、私も競輪の選手よろしく自転車のペダルを、思いっきり踏んで、素っ飛んで走る。こういうときは、歩道は極力使わないようにしている。しかし、車道も怖い。路上駐車している車も多いし、突然横道から飛び出してくる車もいる。よく今まで無事にいられたと思うことがある。近所の蕎麦屋の出前持ちが、車とぶつかって入院したという話もたまに聞く。

        私は、絶対に自転車のベルは鳴らさないことにしている。歩行者に失礼だと思うからだ。前方がふさがっていれば、気づいてくれるまで待つ。追い抜きできる広さの道路になるまで待つ。それがマナーだと思うからだ。ましてや、自転車に乗った出前持ちなど、歩行者にとっては迷惑な存在に違いない。一番立場が弱いものだと解釈している。歩道を「すいませんねえ」と言いながら通行させてもらっているようなものである。

        以前、車道と歩道の区別がない道路を歩いていて、やはり自転車にぶつけられたことがある。このときは、ダイエットをする前で私もけっこう、どすこい体型だった。自転車に乗っていたのは、ひょろりとした中年の男性で、ぶつけられた私はなんでもなかったが、相手は転倒してしまった。自転車を引き起こしてあげ、「大丈夫ですか?」と尋ねると、痛そうに腰をさすりながら、「大丈夫です」と言って去っていった。自転車は、もともと不安定な乗り物である。気を付けて乗って欲しいものだ。今度前方から自転車が突っ込んできたら、張り手をくらわしてやろう。今から稽古だ。摺り足摺り足、張り手張り手!


April.17,2000 老医師

        毎度おなじみ小川歯科ですが、この歯医者に落ちつくまで、何軒かの歯医者を転々とした。その中で、もう潰れてしまったのだが、かなり高齢の先生が出てきたことがある。診療台の椅子に座って口をあけて治療してもらっていると、よく見えないのか、顔をくっ付けんばかりに近づけてくる。ドリルを握りながら、「ハアハア」と息をしている。ドリルを使ったあと「はい、口をゆすいでください」と言うと、ドテッと近くの椅子に座りこんでしまう。口をゆすぎ終わって待っていると、よっこいしょと立ち上がり、またドリルを握って治療を再開する。また「ハアハア」、ギュ―――――ン、「口をゆすいで」、椅子にドサッ。怖くなって1日で逃げ出した。

        先週、妹にオデキができ、それが悪化してしまった。通いつけの皮膚科に行ったら臨時休業。初めて行く病院だったのだが、Y医院という内科と皮膚科をやっているという病院に駆け込んだそうだ。他に患者さんもおらず、すぐに治療室に通された。中には、かなり高齢な先生がひとりに看護婦がひとり。

        「あんた、この辺に住んでいる人?」と老医師。「あ、あのー、翁庵という蕎麦屋なんですけど」「ふわっ! 何だって!」。看護婦がツカツカと先生に近づくと、耳元で大きな声で言った。「NTTの前のー、ほら、ガソリン・スタンドのとなりにあるー、お蕎麦屋さんですよー!」。この先生、相当耳が遠いらしいのです。「なんだ、君、知ってるのか。それであんたどうしたの?」。「あ、オデキが出来てしまいまして、痛くてたまらないんです」。「ふわっ! 何だってー!」。そうすると看護婦がまた耳元で、「せんせえー! オデキですよ、オ・デ・キー!」。「それで、いつごろからオデキができたんだ」。「ええっと、2日前でしたね」。「ふわっ! なんだってえ!」。「ふつかまえー! せんせい、ふつかまえですよー!」

        腕は確かで、患部をメスで切開してくれて、痛みはスーッと消えたそうだが、治療を受ける方がヘトヘトになってしまったそうだ。治療を終えてから、治療費の計算を側にあったパソコンでやりはじめたのだそうだが、顔をモニターにくっつけんばかりにして、「あれ、こうじゃないな。こうか? ええっと、ここをこうやってと」と治療よりはるかに時間をかけてパソコンと格闘していたそうだ。


April.11,2000 マンション管理組合理事会

        その日、その場所に集められた6人は、みんな当惑した顔をしていた。

        ウチの店のすぐ裏に総戸数60戸のマンションが建設され、去年の9月に完成、10月より入居が開始された。私も、いままでの部屋が狭く、ちょっとした書斎が欲しいと思っていたこともあって、ローンを組んで入居した。購入の際の説明会で、管理組合を作ってもらうという規約があったのは憶えているが、自分がその理事になるのは、できるだけ避けたいと思っていた。私だけじゃないだろう。そんなボランティアみたいなことやりたい人間は少ないはずだ。今年に入って、理事会を開く旨の[お知らせ]が届いた。委任状に署名して出しちゃえばいいやと思って、署名しようとしたら、最後のところに、6人の名前が書かれているのが、目に入った。その中には何と私の名前も含まれていた。「んっ?! 何だって! 理事候補者?!」

        管理会社の社員2人を前にして、30代、40代の男6人が顔を揃えた。
「どうして私達が選ばれたのか説明していただけませんでしょうか?」
「今回集まっていただいた皆さんは、入居が決まったのが早かった6人の方です。とりあえず1回目の理事をお任せ願いました」
「1回目というと、理事は定期的に代わるんですか?」
「はい、規約を読んでいただければ、お解りになると思いますが、任期は1年です」
「とすると60戸あるんだから、単純計算で、10年に一度回ってくるというわけか」
「そういうことになりますね」

        10年に一度のことだ。やらざるを得ない。理事の6人の構成は、理事長1名。副理事長1名。会計担当理事1名。書記担当理事2名。監事1名。顔を合わせた6人が、それぞれ、どれかの役につかなくてはならない。各理事の内容を聞いてみることにした。

理事長  一番上の役で、全てのことは、この人の名前で行われ、最高責任者である。議事の進行役も仕事のひとつ。
副理事長  理事長がいないときの代理。
会計担当理事  管理会社から提出される現金出納帖、貸借対照表などのチェック。
書記担当理事  議事録の作成。
監事  任期1年終了時に、管理会社から提出される分厚い書類のチェック。

        「どなたか、理事長をやりたいという方はいらっしゃいませんか?」と管理会社の社員。みんな目をそむけている。「それでは、私はこの役ならやってもいいという方は、いらっしゃいませんか?」 Aさんがポツリと呟いた。「私、監事っていうやつがいいな。1年に一回だけ頑張ればいいんだから」。なるほどなあと、みんな監事の役をやりたそうな空気が流れる。

        私は、理事長はとにかく嫌だと思った。そんな責任のある役はごめんだ。数字には恐ろしく弱くて、貸借対照表を見せられるのはごめんだから会計も嫌だ。書記はめんどう。監事も一見良さそうに思えるが、つまんない書類を読まされるのはうんざりだ。どれかやらなくてはならないならと、密かに狙っていたのが、副理事長。これなら、理事長さえいれば、なんにもしなくてすむ。

        「少々乱暴ですが、いっそのこと、アミダクジで決めちゃったらどうですか? 恨みっこなしだし、手っ取り早いでしょ。どうせ、みんな何かの役にはつかなくちゃならないんだし」。Mさんが大胆なことを言う。「そうしちゃいましょうか」と、あっという間に、何とアミダクジ決着になってしまった。さっそく管理会社の社員がアミダクジを作る。順番に好きな位置に自分の名前を書きこんでいき、さあて発表。

        監事は、やりたいと言い出したAさんが、見事引き当て、みんなから笑いが起こる。それぞれの役が発表され、それぞれが「仕方ないか」と納得していく。それでね、私の役、何だったと思いますか? 見事、副理事長を引き当てました。


April.7,2000 日本中がホームレスになる季節

        いよいよ東京の桜も満開だ。一昨日の夜なんて、雨上がりの近所の小さな公園で盛りあがっているグループが結構いたし、昨夜ときたら、もう超満員で、歩いて通りぬけることもできない有様。私の住んでいる人形町はオフィス街なので、平日の夜は会社が終わったあとの会社員が公園に繰り出して花見をやっている。ウチが昨夜ヒマだったのはこのせいだろうか。今夜は金曜ということもあって、もっとすごいことになるだろう。週末は各町内会が一斉に昼間っから花見大会。

        それにしても、この花見という習慣、外国人が見たらばどう思うのだろう。国によっては、屋外でアルコールを飲むと犯罪になるところもある。日本だって、屋外でアルコールを飲んではいけないという法律はないが、けっしていいことだとは思われない行為だ。ビールの自動販売機が乱立しているから、ときどき昼間から自動販売機の前で立ち飲みをしているサラリーマンの姿を目撃することもあるが、そんな人は道路に背を向け、気まずそうに飲んでいる。

        まして、公園に座りこみ、どこから手に入れてきたのか、ツマミまで用意して焼酎を飲んでいるホームレスの姿など、みんな見苦しいと思いながら、見て見ぬ振りをして通りすぎる。それが、なんと桜の咲くこの1年でもほんの短い期間だけは、無礼講となってしまうのだから、日本って面白い。桜なんて見ている人なんていやしない。「花より団子」なんていうけれど、団子持って花見なんていやしない。花より酒じゃあー!

        以前、吉祥寺の井の頭公園の近くに、仲間の水野哲也氏がお住まいになっていた関係で、水野氏の音頭取りで毎年花見をやりましたっけねえ。あの時は、水野さん本当にご苦労様でした。朝早くからの場所取り。ダンボールとビニール・シートでの宴会所の設営。酒と料理の用意。余興のギター演奏。暗くなってからの後始末。まだ飲み足りない連中を自宅で、さらに面倒みてくれて、至れり尽せりの幹事でした。そんな苦労を、水野さんひとりに押しつけちゃって、ごめんなさい。そして、どうもありがとうございました。

        そういえば一番おかしかったのが、当日土砂降りだったことがあって、中止しようかという声の中、後藤さんが「何を言ってるんだ、テントを張ってそこでやればいいじやないか」とムチャクチャなことを言い出して、急遽即製のテントをこしらえて、強行したことがあったっけね。テレビが取材に来ちゃって、ニュース番組で放送されちゃった。テントの中だから、当然桜なんて見えやしない。トイレに行く時は傘さして行ってた。ダンボールの上にビニールひいてても、ジクジクと水が染み出してきちゃって、よくあんな状態でやったよね。もう、どっから見たってホームレス。楽しかったけどね。


April.4,2000 猫の爪切り

        すでに何回か書いたが、我が家には強引に住みついてしまった捨て猫がいる。もう18年位前にやってきた猫で、来た当時、推定で生後6ヵ月といったところだった。人形町に移り住んでから、すでに2匹、迷い込んできた猫を飼った経験があった。1匹目のオスの黒猫は、飼って1年で交通事故で死んでしまった。2匹目のオスのキジ猫は、これまた飼って1年でグレて家出してしまった。もう猫を飼うのはよそうと思っていたのだが、ある日、3匹目の捨て猫が、強引にウチに入ってきた。自転車で浜町公園まで連れていって置いてきたのだが、3日後、どうやって探し当てたのだろう、また戻ってきてしまった。その根性に負けて飼ってやることにした。

        名前をチェリーとつけてやったこの猫は、メスの三毛猫だ。さっそく避妊手術をして飼いだした。前の2匹が、それぞれ1年しかいなかったので、今度のも長くて2〜3年と思っていたのだが、なんと18年も居ついている。猫は最初の1年で、人間の歳に換算すると、20歳になり、以降、人間の1年は、猫にとっては5年にあたるという。とすると、チェリーはもう百歳を越えていることになるだろう。高い所に飛び上がることは出来なくなったし、動くものにも興味をなくしてしまって、1日寝ている。興味は、ただ食べることのみになってしまい、人の顔を見ると1日中食べ物を要求する。要求に応じてエサを与え続けると、すぐにゲリをする。

        去年ひどいゲリで、家中にゲリ便を垂れ流すので、医者に連れていった。そのとき、獣医さんが、「爪が出っ放しになっていますね」と言う。猫は爪を出したり引っ込めたり出来るようになっているのだが、歳を取ると出っ放しになってしまうらしい。しかも、爪を研がなくなってしまった。我が家の柱の為には、結構なことなのだが、チェリーがタオルケットなどの上を歩くと、爪の先がタオルケットにひっかかり、取れなくなってしまう光景を目にしていた。獣医さんによると、猫が爪に引っかかった物を取れなくなって、強引に引っ張ると、爪が抜けてしまって大怪我の恐れがあるという。「爪切っときましょう」と言って、爪の先をペンチに似たハサミで切ってくれた。

        今年また爪が伸びてきたので、また動物病院へ。また短くしてもらってきた。それでは、チェリーの爪がどうなったか、写真に撮ってお見せすることにしよう。

        「チェリー、おいで。おいでったら。ちょっと爪の写真撮るだけだからさ。写真撮ってホームページに載せるんだから、ちょっと協力しろよ。ほら、捕まえた。ジッとしてろよ。何嫌がってるんだよ。写真撮るだけだって。あっ、痛てっ! 引っ掻いたな! 嘘だよーん。爪の先がないから、引っ掻かれても痛くないもんねえ。痛え―――っ!! 畜生! 噛みつきやがんの! こら、ちょっと待て、待てってば。おい、逃げることないだろう。逃げることは。ちよっと待てってば。写真撮ったらシラス干しあげるからさあ。・・・


April.1,2000 小説もどきを書いてしまった

構想1時間、パソコンの前に座ること、のべ4時間。

ディレクターズ・カット超短縮版小説

激 突 !

(Deburu対戦)

井上恵司

        この作品は、原作リチャード・マシスン、監督スティーヴン・スピルバーグ『激突!』(Duel決闘)。筒井康隆『走る取的』。京極夏彦『どすこい(仮)』とは、まったく関係なく―――はないか。

  地響きがする――と思って戴きたい。

  山道を、ひとりの相撲取りが登って行く。浴衣姿に登山靴という、どう見ても不釣合いな格好である。背中には大きなリュックを背負っている。

  私は正直のところ疲れていた。朝早くから登山を開始したものの、登山標識の読み間違いで、間違った道に迷い込んでしまった。道を間違えたと気づいたのは、その道に入りこんでから2時間もたってからだった。元の道に戻りつくのに、往復4時間のロスを抱えてしまったのである。本来なら今ごろは、当初の目的地である、秘湯の温泉宿で地酒を飲みながら温泉に浸かっているはずの時間である。

  相撲取りは、のんびりと坂を登って行く。道幅は狭く、大きな相撲取りが前にいると、横を相撲取りに触れずに通りぬけることは不可能だった。私の疲れた体と、早く宿に着きたいという気持ちをよそに、相撲取りは、いっかなスピードを上げようとしない。

  このままでは、らちがあかない。少々、強引ではあったが、相撲取りの右脇から体を横にするようにしてすり抜けて前へ出た。くるりと後ろを振り返って相撲取りを見る。膨らんだ頬、それに挟まるようにして鎮座している団子っ鼻、落ち窪んだ小さな目の上にゲジゲジの眉が乗っかっている。なんの気の迷いだったのだろうか、疲れた頭と体のなせる技だったのだろうか、思わず「ぷっ」と笑いがこぼれた。私は相撲取りに背を向け、少し歩を速くして、宿へ向かって坂を再び登りだした。

  地響きがする――と思って戴きたい。今度は以前のより大きい。後方からドスドスドスという音が響いた。「んっ? 何だ?」と思ってすぐ、先ほどの相撲取りだと気がついた。くるりと振り返ると、目の前に相撲取りがいた。何か私に言いたいことがあるのか、睨みつけるように立っている。

  「あの、何か・・・」

  と言った瞬間に、相撲取りが黙って私の胸を片手で突いた。私は即座にバランスを崩し、尻餅をついてしまった。痛つっ! 尻に激痛が走る。すると、相撲取りは私を助け起こすこともなく「ふっ!」と小馬鹿にしたように笑うと、私をまたいで、坂を登りだしていってしまった。

  幸いに大した怪我にはならなかった。尻が痛い他には、手をちょっとすりむいた位だった。しかし何だというのだろう。確かに断りもなく横をすり抜けた私の態度は無作法だったかもしれない。笑いを浮かべてしまったのも失礼にあたったのかもしれない。しかし、だからといって、追いかけて来て何の言葉もなく、いきなり突き飛ばすというのは無いではないか。しかも向こうは相撲取り。一般人が相撲取りの突きをくらったら怪我をしかねないということが、解らないでもないだろうに。

  とにかく早く宿にたどりつかねば。気を取り直して、また坂を登りだすことにした。しばらく行くと、またもやゆったりとしたペースで登っていく相撲取りの姿が見えてきた。「勘弁しろよ」。小さく呟きがもれる。

  そういえば思い出したことがある。この地方に相撲部屋があるという話だ。現役時代に、その無茶ともいえる強引な相撲で一世を風靡した相撲取りが引退後に親方になって、この辺に部屋を持ったというのだ。確か、鬼熊親方といったはずだ。鬼熊は東京に部屋を持つことを嫌い、この地に移り住んだ。

  他に相撲部屋なんて近くにないから、当然、出稽古なんて出来ない。なんでも、最初のうちは牛を相手に相撲をとっていたそうである。倒した牛は、牛ちゃんこ鍋にして食べていた。ところが、自分のところで飼っていた牛は瞬く間に食べ尽くしてしまい、近隣の家畜農家の牛にまで手を出し始めたものだから、農家の怒りを買い、「今度、牛に手を出したら出て行け!」とまで言われてしまった。

  それで次に相撲の相手にされたのが、山に住む熊である。相撲取り達は熊を相手に稽古を始めた。当然、死んでしまった熊は、熊ちゃんこ鍋として食べられる。これには、農家の人々も喜んだ。畑や家畜を荒らしに来る熊を退治してくれるのである。これが嬉しくないわけがない。なんでも、熊ちゃんこ鍋をこの地方の名物として売りだし、観光客を集めようという計画もあるという。

  前を登っているのは、その鬼熊部屋の相撲取りに違いない。私が、すぐ後ろに付いてきているのを知らないわけがない。それでも、ゆったりしたペースを崩さずに登っている。道をゆずろうという気もさらさらないようだ。私は、すっかり疲れ果て、無性に腹が減っていた。どうせ昼までには宿に着けると思っていたこともあって、弁当を持ってきていなかったのだ。それに先ほど相撲取りに突かれた胸が痛み出していた。私は思いきって相撲取りに声をかけた。

  「お相撲さん。ちょっと先に行かせてくれませんか? いや、さっきは本当にすまないことをしました。ひとこと声をかけてから、追い抜けばよかったんです。私が悪かったです。あやまります。私、疲れていまして、早く宿に着いて休みたいのです。どうか、ちょっと脇にどいて戴けませんでしょうか?」

  相撲取りは、クルリと回って私の方を見ると、「ふっ」と笑っただけで、また前に向き直って坂を登り出してしまった。どういう意味なのだろう。勝手に追いぬけというのだろうか。それとも追いぬきは許さんというのだろうか。道は狭く、相撲取りひとりがやっと。どうしたって脇を通りぬけることはできない。何を考えているのか解らないのが不気味だ。イジワルして楽しんでいるのだろう。側まで行っても、どいてくれる気配はない。

  道はやがて、少々広くなった。なんとか相撲取りの脇を通りぬけることが出来そうなくらいの幅がある。ただ問題なのは、右側は切り立った岩盤が聳え立っている。これでは相撲取りに押しつぶされてしまう。左側はもっとまずい。崖なのだ。草木も生えてない崖が谷底に向かって急斜面に落ちている。足を滑らしたら最後、遥か下の谷底へ一直線だ。

  どうしようか迷っているうちに、相撲取りが右にどいた。前を向いたまま左手を前後に振っている。どうも左側を通り抜けて行けという合図のようだ。助かった。今までの道は狭いから、この広くなった道まで待てということだったに違いない。

  「失礼します」と声をかけ、相撲取りの左側を急ぎ足で通りすぎようとした。相撲取りの脇に並んだ時である。いきなり相撲取りが私の脇を突いた。頭が真っ白になった。「死ぬ」。体が左に傾く。体重が何もない谷底へ向かって傾く。手に掴む物も何も無い。「駄目だ、落ちる!」。体はほとんど水平になっていた。と、私の右手が掴まれた。相撲取りが私の手をがっちりと握っていた。相撲取りは私を引き上げ、引き寄せるようにして顔をよせると、さも「危ないよ」とでもいう表情で私を見つめ、ニヤリと笑った。

  こいつは本気だ。本気で嫌がらせをしている。しかし、嫌がらせとはいえ、度を越しているではないか。あやうく、こっちの命が無くなるところだった。冗談ではない。登山家のルール以前の問題である。再び先を行く相撲取りに声をかけた。

  「ちょっと、どういうつもりなんですか? 危ないじゃないですか。冗談にもほどがある。ちょっとあんた聞いてるんですか」

  相撲取りは、聞いてか聞かずか、また黙々と先を行く。

  「何が気に入らないの解んないけれど、黙って追い越したことは謝ったじゃないですか。いったい、どうしろと言うんですか」

  答えは無かった。そしてゆったりと歩き続けている。そのあと、何を話しかけても無駄だった。相撲取りは頑なに黙りつづけ、絶対に前にはいかさんという態度を後姿に表しつつ、マイペースで歩きつづける。

  時刻はだいぶ経ち、日も暮れかかろうとしていた。なんとか暗くなるまでには宿に着きたい。しかし、このままのペースでは宿に着く頃には、真っ暗になってしまうだろう。私はあきらめてトボトボと相撲取りのあとを付いて行くしかなかった。

  突然に相撲取りが立ち止まり、しゃがみこんだ。どうやら登山靴の紐がほどけたので結びなおしているらしい。そのとき、ある計略が私の頭に浮かんだ。しゃがみこんだ相撲取りの頭上をジャンプして、相撲取りの前に降り立つというアイデアである。

  太い指で紐をほどいて結び直すのには時間がかかるらしい。長いことしゃがみこんでいる。「よおし、やってやろうじゃないか」。私は少し後ろに下がり、助走をつけると相撲取りの手前でジャンプした。しめた!相撲取りを飛び越したぞ!

  「やったやった!、ざまあみろ!」

  私は口に出して叫び、歩き出そうとした。そのとき、右の足首に激痛が走った。どうやら着地の瞬間に捻挫をしてしまったようだ。相撲取りがびっくりしたようにこちらを見つめ、やがて形相が一変した。まずい。追いかけてくるぞ!足首が痛い。しかし、まったく歩けないと言う訳でもない。私は右足を庇いながら走った。

  案の定、相撲取りが走って追いかけてきた。殺される! 必死で逃げたものの、負傷した足首では相撲取りにはかなわなかった。背中に衝撃がきた。相撲取りの強烈なぶちかましだった。私は前のめりに倒れ、胸を地面に強打し、やがて意識がなくなっていった。

 

  地響きがする――と思って戴きたい。その音で私は目を覚ました。岩盤のような地面に寝ていた。まず目に飛び込んで来たのは、俵型の小石だった。俵型の小石が並んでいる。俵型の小石が並んで円を描いていた。なんだ、これは! 視線を上に上げると、相撲取りがいた。相撲取りは裸になりマワシを締め、四股を踏んでいた。地響きは、この相撲取りの四股のたてる音だったのである。すると、この俵型の小石で出来た円は、土俵のつもりだとでもいうのだろうか。      

  辺りには、他に誰もいない。どうやら、この相撲取りは、私と相撲を取ろうという気らしい。冗談ではない。相手は鬼熊部屋の力士である。素人の私が立ち向かったとこで、敵うわけがないではないか。

  「止しましょうよ。今までのことは、全てあやまります。このとおりです」 私は、土下座をして額を硬い地面にこすりつけて、相撲取りに頼んだ。頭を上げてみると、相撲取りが笑って立っていた。

  「助かった。許してくれるのですね」 私は痛む体を起こし、立ちあがって、相撲取りに背を向けて歩いて行こうとした。どっちの方向かもわからない。しかし、今は一刻も早く、相撲取りから離れることが先決だった。

  胸、尻、足首が同時に悲鳴をあげた。ひょっとして骨が折れているところがあるのかも知れない。ふっ、と前に大きな影が塞がった。相撲取りが前を塞いでいた。見上げると、相撲取りは鬼のような形相で私を睨み付けていた。私の顔をまじまじと見ると、相撲取りは視線を小石で作った土俵の方に振った。どうしても、私に相撲の相手をさせるつもりらしい。

  相撲取りは、土俵に立ち、右手を斜め上に高々と上げると、右足を一旦左足につけ、すぐにまた右足を高々と振り上げて、地面に下ろした。「ずしーん」と地響きがする。相撲取りは、私を見据え、「やってみろ」というように目で合図した。私にも四股を踏めというらしい。

  駄目だ。どうしても私に相撲を取らせるつもりなのだ。泣きたくなってきた。私は生まれてから今まで、相撲なんて取ったことがない。相手は、これを職業にしている、いわばプロだ。しかも、今や、私は空腹の上、胸、尻、右足首を負傷し、体は長時間の登山で疲れ果てていた。とても、相撲なんて、無理である。

  それに、この土俵ときたらなんだ。土ではない。岩盤である。もし、倒されて打ち所が悪ければ、大怪我をしてしまう。

  相撲取りは、相変わらず四股を踏んでいる。一度四股を踏むと、何のつもりか土俵の外へ出て、塩をつかむ仕種をすると、土俵に戻り、塩を蒔くような仕種をしてみせる。そして私にも四股を踏むように目で合図を送ってくるのである。

  仕方ない。どうも、相撲を取らなくては離してくれそうにない。私は、見よう見真似で四股を踏みだした。やってみて解ったことは、素人には相撲取りのように高々と足を振り上げることなんて出来ないという事だ。これは鍛錬がいる。とても一般人が簡単に出来ることではないのである。右足を下ろす時が一番辛い。捻挫した足首に激痛が走る。

  どうしたらいいのだろうか。勝つなんていうことは問題外だ。一番いいのは、相手に組まれる前に、よろけるように、こちらから倒れてしまう。あるいは、土俵の外に出てしまう。これで相撲は終わりだ。しかし、それだけでゆるしてくれるだろうか。納得がいくまで、何番も取らされるということだって考えられる。

  私も四股を踏みだしたら、相撲取りは満面に笑みをたたえだした。なにせ、熊を素手で殺してしまう相手である。ひょっとして私の命も終わりかもしれない。相撲取りは愉快そうに右足を高々とあげ、地面に叩きつけるように下ろした。振動でパラパラパラと頭上から、小石が降ってきた。

  相撲取りは、次に左足を高々と上げ、満身の力で振り下ろした。ズシーン! パラパラパラ。と、そのとき頭上よりKONISHIKIほどもありそうな岩が落ちてきて、相撲取りの頭に激突――って

  これは、それだけの話なのである。

  だから――怒らないで貰いたい。

 

 

  あとがきのようなエピローグ

  「井上、何なんだよこれ。最初の文章と最後の文章は京極夏彦の『どすこい(仮)』そのままじゃないか。それにだよ、[激突]は最後のオチで解ったよ。くだらないけどな。まあ、[対戦]もいいとしてもだ、[Deburu]をどうするんだよ」

  「ふふふふふ」

  「何笑ってんだよ。ちゃんと説明しろよ」

  「まだ解らないのかい?」

  「何がだよ」

  「ほら、活字がデブになっている」

  「うわーっ!!」

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