September.27,2000 ありがとうございました

        本日、明治座千秋楽。今月は松平健座長公演『木曽義仲と三人の女』(吉川英治『新・平家物語』)でした。松平健様、大山克巳様、遠藤太津朗様、園田裕久様、五代高之様他の皆様から注文をいただき楽屋まで出前をお届いたしました。ありがとうございました。


September.26,2000 地震体験

        3D映画が終わって、1階に移動。さあ、次のアトラクションは[地震体験コーナー]だ。人気のライドだから、1時間待ちかと思ったら、あっさりと入れた。

        よく地震体験カーという、クルマに乗せて回っているのがあるが、あれよりも本格的だ。あちらは、前後左右の揺れしか体験できないが、こちらは上下の揺れまで加わる。ガイドの女性の説明を聞きながら、地震体験ライドに挑戦。

        地震を感じたら、テーブルの上に置いてある防災頭巾を被って行動するのが基本なのだが、まあ、まず実際には、そんなものを被っている暇などない。だから、最初から被っていてくれと言われる。こんなもの被った事などない人が多いから、みんな被り方がわからず、オロオロしている。

        そんなわけで、防災頭巾を被って地震が来るのを待つ。ぐらっときたら、「地震! 火を消せ!」と怒鳴り、ガスコンロ(2つ)の火を消し、湯沸し機のスイッチを切り、コンロの上のヤカンを流しに移し、ドアを開け椅子を挟む。地震の影響でドアが開かなくなって、閉じ込められる場合があるからだ。そして、テーブルの下にもぐり込む。

        最初は震度5弱から。これは子供用。たいしたことはなさそう。その次が震度5強。これはお年寄りが参加。このあと、震度6弱、震度6強、震度7と上がっていくのだが、私はもちろん震度7を狙っていた。どうせ乗るならスリルある方がいいじゃん。

        「はい、それでは最後、震度7です。どなたか希望者はいらっしゃいますか?」「はーい、はーい! 私乗りまーす!」「あのね、遊園地じゃないんですから、乗りますじゃなくて、体験しますなんですよ」「震度7はチケット何枚分渡せばいいの?」「だからあ、遊園地の乗り物じゃありませんったら!」

        頭巾を被る。ワクワク。「来い、来い、地震よ来ーい! ねえちゃん、早く動かしてよお!」。ガイドのお姉さんの顔色がムッとした途端に来た。グラッ。よおし、ガスの栓を止めようとガスコンロに近づこうとした時だ。ドーンと、いきなりの縦揺れ。私は両膝から前のめりに倒されていた。そのまま、這ってガスコンロに向かう。栓を捻ろうとすると、上の食器棚の戸が開いてスポンジがバラバラと降ってくる。湯沸し機とヤカン、ドアに椅子は、他の人がやってくれたのを確認して、テーブルの下へ。

        「いいですか。上から落ちてきたスポンジは食器の代わりなんですからね。実際の地震の際には、本物の食器が落ちてくると思ってください。それとですね、震度7以上の大きな地震のときは、いきなり動いて火を消そうとしないで、揺れが少し治まってから動くようにしてください。火は初期消化ならば、大丈夫ですから。まずは、テーブルの下にもぐり込み、揺れが治まったら行動する。いいですか、そうしないとケガしますからね」

        私の膝は、倒れたときの衝撃で痛く、しかもなんと出血していた。


September.23,2000 本所防災館

        マンション管理組合理事会で副理事長になってしまった話を過去2回ほど書いた。こんな話、読まされる方はつまらないだろうと思っていたのだが、案外、あれからどうなったのだという声をもらった。その後のことを書こうと何回も思ったのだが、とても面白くなる話ではない。

        理事会の最近の議題の中心になっているのは、駐輪場問題。60戸もの入居者に対して、なんと駐輪設備が28台分しかないので、マンションの敷地内にコチャゴチャと勝手に置いている自転車がたくさんあり、住民の一部から苦情がきているというのだ。普通、マンションの駐輪場は、1戸につき一台置けるようにしているのがほとんどだというのだが、私の入居したマンションはなぜか駐輪場が小さすぎるのだ。

        どうも、私の推理によると、駐輪場の隣に作られた身体障害者用の駐車場というのがクセモノだったような気がするのだ。どうやら最近になってマンションを作るには、必ず身体障害者用の駐車場を確保しなければならないというような法律ができたらしい。設計が進んだ段階で、この法律が出来たので、仕方なく駐輪場のスペースを削り、身体障害者用の駐車場にしたらしいのだ。ここには、現在一台駐車しているクルマがいるのだが、別に身体障害者ではない。将来、身障者が現れて使いたいと申し入れたら、すぐに明渡すという契約になっている。

        だからといって、そういうことだったとして、どうなるものでもない。現状は、小さな駐輪スペース、多くの駐輪希望者。これをどうするかということである。頭が痛い問題だが、毎回、理事が頭を抱えて話し合っているのだが、いい考えが浮かばない。こんな話をHPに書いたって面白くも何ともないでしょ?

        副理事長としての、もうひとつの仕事、町会担当の方はというと、7月の[こども会]は、大阪一泊旅行とかち合ってしまって不参加。これは、道路を通行止めにして、町会のこどもに金魚すくいやら、射的といったゲームをさせて遊ばせるというもの。模擬店のようなものも出し、ヤキソバやかき氷なども作ったりする。前日までに参加券を配ったりする仕事だけこなして、勘弁させてもらった。

        只今、交通安全週間なので、本来はテントを張って交差点で旗を振り、交通安全指導をしなければいけないのだが、これまたいつもの交差点が下水道工事中で、旗振っている作業員が2人もいる。今年の秋は、わが町会はやらないというので、交差点の旗振りもやらなくていいと言う。

        9月は防災訓練があるので、参加しましょうと言うと、定員が15名で、もうメンバーがそろっちゃったのでいいと言う。別の日に町会で、本所にある防災館に体験見学に行くから、そちらの方に参加して欲しいと言うので、そちらだけに参加することになった。

        当日、都バスを一台借り切って出発。総勢31名。そう、都バスなのである。普通に都内を走っているやつ。前に入口、後ろの方に出口がついているやつ。バスで行くという話を聞いたとき、てっきり観光バスかと思いこんでいたから、集合場所で、こいつを見たときには、冗談だと思った。「あ、あの、これ、都バスですよね」「ええ、そうですよ」「乗るときに200円入れればいいんですか?」「まさか!」「で、でも、これ都バスじゃないですか」「いいから、いいから、訳わからないこと言ってないで乗って! 乗って!」

        京葉道路を走って、錦糸町で左折。あっという間に、本日の目的地本所防災館に到着。これから3時間ほどかけて、体験しながら防災を学ぼうというのである。ここ以外にも都内にこういった設備が池袋と立川にあるという。4階建ての立派な建物である。これは来てみてよかったです。なんとなくお堅いイメージだったのですが、どうして、どうして、楽しみながら防災の意識を高めようという工夫がしてある。不謹慎かもしれないが、エンターテイメント・テーマ・パークのようなものなのである。

        とりあえず、4階の3D映画が始まるまで時間があるので、3階の防災ライブラリーで時間を潰す。ここは、防災関係の図書が置いてある他、防災ビテオが見られる。5分程度のものから数十分かかるもの、ドキュメンタリーもの、ハウツーもの、アニメものなど、モニターの前に座って、見たいビデオを数十本の中から選べる。

        そのあと、自然災害の歴史を大型モニターで順追って見せてくれるコーナーを体験したところで、いよいよ3D映画が上映時間がせまり、4階へ移動したのだが、その3D映画の話は、『風雲電影院』の方で。


September.20,2000 ワンマンバス運転手

        「はい、出発しますよ。JR日光駅行きです。あっ、整理券はいいんですよ。ここは始発ですからね。皆さんは持ってなくていいの。あとから乗ってくる人が持ってないと、始発のバス停からの料金を請求されちゃうけど、皆さんは、始発駅から乗ったんだからいらないわけね。途中でこっそり整理券取ったりしちゃだめですよ。いいですね。途中、下車されたい方は停車ボタンでお早めにお知らせください。では、日光湯元温泉、発車しまーす

        「はい、光徳入口です。あっ、降りる人が先ですよ。乗る人はちょっと待ってください。はい、ありがとうございます。整理券とお金は、そのベルト・コンベアーの中に入れてください。はい、ありがとうございました。はい、お乗りの方、どうぞ。整理券を取ってください。えっ、光徳温泉ですか? このバスは光徳温泉には寄らないんですよ。光徳へ寄るのは、このあとのバスですからね。はい、よろしいですか? 発車しまーす」

        「はい、滝上到着です。竜頭の滝に行かれたい方は、こちらで降りてくださいね。はい、ありがとうございました。ええ、そうです。その道をまっすぐ行ってくださいね」

        「中禅寺湖が見えてまいりました。この先のカーブになるところが、一番、中禅寺湖がきれいに見えるところなんですよ。どうやら後続車もないようなので、ちょっと止まってみましょうか。はい、ここです。どうです、雑誌などで見たことありません? このアングル。ここから撮った写真が、よく載るんですよ。はい、では発車しまーす」

        「はい、中善寺金谷ホテル前です。お降りの方、いらっしゃらないんですか? ああ、あなたですね。はい、急いでください。乗る人も待ってますよ。サイフはあらかじめ、下車するバス停の近くになったら用意しておいてくださいよ。バッグの奥の方に入っちゃっててて、出せないの? 困ったねえ。はい、急いでね。はい、ありがとうございました。お乗りの方、どうぞ」

        「ちょっと、ちょっとお客さん。走行中は車内を歩かないでください。えっ、サイフを忘れた? どこに? さっきのバス停? ああ、あそこは、ちょっとした雨避けの小屋があったよねえ。あそこに置いてきちゃったの? 困ったなあ。いや、しょうがないから、このバス料金はただにしてあげるけれど、どうする? ここで、降ろしてあげてもいいけど、あのバス停までは歩いたら30分はかかるよ。中善寺温泉までこのまま行ってタクシー使って、戻るか。でも、バス停に着いても、もうそのサイフ盗られちゃってないかもしれないよ。そうしたら、どうする? そのタクシー代も払えないことになっちゃうよなあ」

        「さあ、中善寺温泉が見えてまいりました。あの、湖の反対側に、ちょっと変わった建物のホテルが見えるでしょう。あれが『失楽園』のロケに使われたホテルです。はは、いいですなあ。私も失楽園したいもんですなあ。無理か。かみさん、おっかねえもんな」

        「はい、中善寺温泉到着です。はい、ありがとうございました。ありがとうございました。あ、あなたね、あそこがタクシー乗り場だから。あれ、一台もいないよ。お盆シーズンで、みんな出払ってるのかなあ。えっ、携帯電話が通じない? 無理だよ、ここは山の中だもの。携帯は圏外だよ。そこの公衆電話使ってね。サイフ見つかるといいね」

        「そこの、赤いクルマ! 足立ナンバーの赤いクルマ! もう少し前に出てください! バスが出られないじやないですか! 華厳の滝の駐車場の順番待ちのクルマなんですよ。シーズン中は、ここで必ず渋滞します」

        「はい、それではこれから第一いろは坂に入ってまいります。この第一いろは坂は下りの一方通行。上りは第一いろは坂ということになっております。交通量の増加にともない、第二いろは坂を建設。只今では、このように、上り下りを分けて交通するようになっております。

        「この下りの第一いろは坂は、カーブが大変きつく、大型バス泣かせとなっております。観光シーズンともなりますと、他県の大型バスがやってまいりまして、カーブの回り方に難儀して、よく交通渋滞いたしますが、なあに、私などは馴れたものでございますから、どうってことございません」

        「さあて、いよいよ、この先の3っつのカーブを抜けると、いろは坂は終了です。しかし、この最後の3っつのカーブこそ、一番の難所。気が抜けません。外輪、内輪差考えて回らないと抜けられません。さあ、いきますよ!」

        「えっ、見ていて疲れたって? 私はまったく疲れませんよ。ははははは」

        「バスは市内へと入ってまいりました。渋滞していますね。お盆の時期と、紅葉の時期は、こうして渋滞がおこります」

        「はい、西参道到着です。あっ、外国の方ですか。整理番号はお持ちですか? ええっと、これだと950円ですね。ああっ!、千円札を、そのベルトの方に入れちゃだめですよ。これじゃあ、おつりが出せない。両替の方に入れてくれないと。すいませんねえ、50円のおつり、出せないんですよ。どなたか、通訳できないかなあ。はい、東照宮は、ここ、まっすぐに行ってください」

        「困ったなあ、ここあたりで、渋滞がなくなるはずなんだけど。13:36発の東武浅草行きスペーシアに乗る方、いらっしゃいますか? ああ、いらっしゃるか。困ったなあ、間に合うかなあ


September.17,2000 日光山温泉寺

        翌朝は、きれーに晴れた。太陽は照りつけているものの、風は爽やか。そんなに暑くない。いかにも避暑地という感じになってきた。ここで、もう何日か、ぼんやりしていたいが、そうもいかない。今回は一泊だけで帰らなくてはならない事情がある。

        ロビーでコーヒーを飲み、早めにチェック・アウトする。バス停まで行き、時間潰しに近所を散策することにした。バス停から、少し歩いたところにお寺があった。

        

        [日光山温泉寺]、最初何かの冗談だろうと思った。しかし、立て看板の文章を読むと何やら古くからの由緒ある寺なのだという。詳細は忘れた。どうだっていいんだもんね、そんなこと。あんまり興味ないんだ、そういったこと。ただね、面白いのは、この寺の裏手に本当に温泉設備があって、金を払えば入れるということ。ただね、あくまでお寺の温泉ですから、贅沢は言えない。風呂場は狭いし、もちろん露天風呂があるわけではないということです。

        宿泊もできるというけれど、もうこの歳になっちゃ、どうも・・・。泊まってもいいけれど、すっかり贅沢が身についちゃって、至れり尽せりのリゾート・ホテルの方が良くなってしまった。若いころなら、喜んで泊まったろうになあ。


September.13,2000 メゾネット樹林2階

        [メゾネット樹林]は、ひと部屋が2フロア構造になっていることを先日書いたが、さて、いよいよその2階の話である。1階は和室だったが、2階は洋室になっている。

        どうよ、これ。天井が高いでしょ! 5m20cmあるんだって。

        そこにセミダブルのベッドがふたつ。ほかにソファ・ベッドがふたつあるから、ここで4人までは寝られる。1階の和室ももちろん寝ようとすれば3人は布団を引いて寝られる。昼間っからだって、このベッドにいつだって横になれるのがうれしい。というのも、ホテルの従業員はまず2階には上がってこないから。マクラの上には、きれいな千代紙で折られた鶴と共に、「ごゆっくりお休みくださいませ」の一文が添えられていた。いいなあ、こういう心遣い。

        それとね、びっくりしたのは上の写真の左下に写っているんだけれど、何とラジカセが置いてあるのだよ。しかもボーズ社製だよ! さらにその隣にはソニーのCDウォークマンを接続してあって、CDだって聴けるになっているのだ。そう、以前から、宿泊先でオーディオが楽しめたらいいなと思っていたのだよ。さっそく持参のエリック・クラプトンのCDを入れましてと・・・。快適快適。リゾートホテルの条件をすっかり満たしてくれている。

        さあて、寝る前に風呂だ。昼間は大浴場に入ったけれど、寝る前は、この2階に付いている風呂に入ることにした。

        どうです、これ。アメリカ、コーラー社のバスタブ。この風呂場、カメラに広角がついてないので、全体を写せなかったのが残念ですが、かなりの広さです。このバスタブにお湯をはって横になる。天井はガラス張りだから、空が見える。その空は満天の星。昼間の雨がウソのよう。明日はきっといい天気だな。

        メゾネット樹林、10室のみです。行楽シーズンは混雑が予想されます。申し込みは、お早めに。絶対のお薦めです。


September.9,2000 湯ノ湖

        日光湯元温泉に来たのは初めてではない。中学生の頃、正月にスキーをやりに来た事がある。私は自分で言うのもナンだが、一度来た場所はたいてい憶えている。しかし、この日光湯元温泉に関しては、さっぱり記憶がない。バス停からホテルまで歩いている時に、どうしてもこの土地を思い出さない自分が不思議でならなかった。

        夕食まで時間があったので、散歩に出た。以前泊まったのは、[南間ホテル]だったというのはわかっている。その[南間ホテル]の前まで行ってみる。だめだ、まったく記憶がない。なんせ昔の話だ。建物も建替えられてしまっているのだろう。それにだ、あのときは冬。一面の雪景色だった。スキー場に行ってみる。雪こそないが、おお、何となくこの場所だけは記憶がある。

        日光湯元温泉は、[湯ノ湖]という湖のほとりにある。時間はまだある。この湖を一周してみることにした。幸い、一周するための道は整備されていてた。看板の案内どおり湖を左(時計と反対)回りで歩くことにした。というのも、この一周道路は、下の写真のようなクイズが所々にあり、これを第一問から一問づつ読みながら、のんびり回ろうと思ったからだ。

        問題は、地学、動植物学。考えながらのんびりと回る。約1時間後、元のところに戻る。まとめて、これらの答えが書いてある看板があった。ちなみに上の問題の答えはA2の35ヘクタール。

        父が「ほら、この湖で一緒にボートに乗ったじゃないか」と言うのだが、ダメだ、さっぱり記憶がない。悔しいなあ。


September.5,2000 メゾネット樹林

        東武日光駅を降りると雨だったし、[翠園]で食事中も雨、バスでいろは坂を登っているときも雨。中禅寺湖でも雨。それが、あらま、目的地の日光湯元温泉に着いてみれば、ぴったりと雨が止んでいた。

        そう、今回の目的の宿は、日光の最奥、湯元温泉のホテルだ。その名も[日光グランドホテル リゾート・アネックス メゾネット樹林]。日光グランドホテルの別館といった趣だ。

        部屋へ通される。もちろん仲居さんは、着物姿。まだ20代と思える女性だ。「ウェルカム・ドリンクをお出しいたしますが、コーヒー、紅茶、抹茶のどれがよろしいでしょうか?」と聞かれる。コーヒーにしてもらう。このウェルカム・ドリンクは、ホテルの庭内に涌き出る清水で供される。その名も[龍神の水]。あとで飲んでみたが、なるほど旨い水だ! コーヒーも文句無し! お茶菓子はホテル特製のチーズケーキ。これがまた旨い!

        部屋には活花が飾られていて、落ちついた雰囲気のいい空間だ。クーラーは付いていない。窓を開けると自然の涼しい風が入ってくる。

        テレビは29型の大画面。さらには、驚くなよ、なんとS−VHS仕様のビデオまで付いているのだ。私、今までで、ビデオデッキ付きの部屋なんて泊まったことがない。フロントへ行くと無料で貸してくれるビデオテープが百本近く用意されていた。今回、一泊だけなので見ないで帰ってしまったが、連泊していたら、何本か見ていたろうな、きっと。

        「まずは風呂だ!」とコーヒーのあとで大浴場へ。うーん、総檜作り。さすが! 一方の壁は上から下までの総ガラス張り。外の景色ときたら、草原。ちょっと先に森が見える。よく見ようと隣接の露天風呂に入る。木々に囲まれた中、ぽっかり空いた草原に、これまたポツンとある露天風呂といった感じで、いやあ、いい気持ちなんですよ、これが。のんびりといつまでも入っていられる。

        風呂から帰って、冷蔵庫からビールを取り出す。湯上りにビール、これぞ温泉旅行の醍醐味。いやあ、たまりませんな。生きていてよかった。えっ? 旅館のビールは高い? あんがー、あんがー。何と、1階の冷蔵庫の飲み物は、すべて無料なのだよ。ビール3本、日本酒2本、ソフトドリンク5本。飲み放題なのだあ。どうだ、参ったか! あっ、これを読んで行く気になっちゃった人ごめんなさい。このフリードリンク・サービスは、近く廃止になるそうです。

        おい、ちょっと待て、上の文章の「1階の冷蔵庫」って何?と気づかれた方、鋭いですな。そう、このメゾネット樹林は何と2フロア構造になっておるのですよ。1階は和室でありますが、2階は洋室のベッドルーム。ここにも、冷蔵庫があり、これはカラッポ。好きなものを自由に持ち込んで下さいとのことでした。

        おっと、今朝はもう打っている時間がなくなってきた。2階の話は、また後日。


September.3,2000 一周年

        もう、本一冊分くらいは書いちゃったんじゃないだろうか?

        思い起こせば、去年の9月4日から始まったんだから、今日でちょうど1年。365日。いや、今年はうるう年だから、366日、くる日もくる日も、この日記形式のホームページを作り続けたことになる。自慢じゃないが、私は日記などというものを書き続けられたことは無い。何回か日記を書こうとしたことはあるが、ほとんど3日坊主。最長でも1ヶ月しか続かなかった。まあ、もっとも私が今やっているのは、あくまで[日記形式]であり、日記そのものではないのだが・・・。

        どうも、あらためて自分のホームページのことを書いたり、一周年の挨拶を書くといったことが苦手で、さっきからどうしようか頭を痛めている。人が書く打ち明け話とか、本のあとがきの類は大好きで喜んで読むくせに、自分でとなると何を書いていいのかわからなくなる。昔、『SRマンスリー』の編集をやっていたときも、編集後記が苦手だった。

        そう、これでも20年前は仕事や趣味で文章を書くということを日常にしていた。それが家業の蕎麦屋を継いだ途端、文章を書くという作業をピタッと止めてしまったのである。以来20年間、ほとんど何も書いていない。このホームページを作り始めた時に心配だったのが、はたして人に読ませる文章を今の自分が書けるのだろうかということ。これは今でも気になっていることだ。もっとも、昔書いていたのとは違って、自分で何を書いてもいいとなると頭の中が爆発してしまい、次々と珍妙な文章が浮かんできて、読まされる方も、そうとう迷惑しただろうと思われる。ごめんなさい。

        去年の9月4日。今日と同じように暑い日だった。ホームページの作り方などさっぱりわからない私は、近所の書店で買った『カバでも出来るホームページ』(うそうそ、そんなタイトルの本はない)を広げ、最初のページをつくり始めた。このホームページは何度も書いているように、FrontPage Expressという無料ソフトを使っている。凝ったレイアウトは出来ないが、簡単に作るにはこんな便利なものはない。もともとデザイナーの才能はないので、これも私らしいかなと、今では思っている。市販のソフトを使えば、もっときれいなレイアウトが可能だが、今更面倒なので「これでいいや」と開き直っている。

        当初、最初のアップロードは10月中旬を予定していた。最初のアップロードで文章があまりに少ないと、読みに来てくれた人ががっかりするといけないから、1ヶ月分くらいは前もって作っておこうというのが9月から始めた理由。それが根がカバなものだから、思うように作業が進まず、結局最初のアップロードは11月9日になってしまった。

        以来、毎朝このページを作り続けてきた。何も毎日更新なんてしなくてもよかったのだと思うのだが、長崎くんが最初に見てくれたときに電話をくれて、「更新を頻繁にしてください」というので、調子に乗って「うん、毎日更新するよ」と口走ってしまったのが、運の尽きだった。引っ込みがつかなくなってしまった。毎日更新]をやめるキッカケがつかなくなってしまった。生嶋には何回か相談した。すると、いつも「もうこの際だから、ずーっとやってたら」という答えが返ってくる。おいおい。

        と言う訳で、あまり書きたくない1年のくぎりの文章を書いたのは、毎日更新という枷をはずすためである。これで自由になれる。

        明日からどうしよう。こうなると、もう更新なんて1ヶ月に一度でいいやという気になってしまうこともありそうだし、でも、まだまだ書くもんねという傍迷惑な感情もある。何せふたご座生まれのAB型。典型的な分裂質だ。

        末筆ながら、私ごときのぶっ壊れ文章を、今まで付き合いで読んでくれていた人達に御礼申し上げます。

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