May.27,2001 ありがとうございました

        本日、明治座千秋楽。今月は、石川さゆり座長公演『千年の恋』(上田秋成『雨月物語』より)でした。花柳錦之輔様、西川啓光様よりご注文をいただき、楽屋まで出前をお届いたしました。ありがとうございました。それにしても、今月は注文してくださる方が少なくて、ちょっと寂しかった。♪つがるかいきょー、ふゆげーしき〜。


May.18,2001 妙立寺

        朝の金沢散歩から戻ると、源ちゃんと生嶋がロビーで待っていた。「これから、どうしようか?」と話しかけると、「うん、今朝また雨ノ森さんのとこに電話した。今日は何処を案内してくれるんですかってね」 まったくもう、ひとりでは予定も立てられないのだ、この連中は! 「で、何だって?」 「旦那は仕事だって。ハルカさんは10時にこっちに来るってさ」

        10時ジャスト、ハルカさん到着。「で、何処行きたいの?」 ちょっとケンのある表情で、へたばってソファーに座りこんでいるこちらを睨みつける。「何処でもいいや、歩かなくて済むところなら」と源ちゃん。ハルカさん、両手を腰に当てて下を向いて首を横に振っていたと思うと、「こいつら、どうしようもない連中だ」というように大きな溜息をひとつ。

「ねえ、あんたたち、忍者寺に行く気ある?」
「忍者寺ってなあに?」
「・・・・・・・・・・・アミューズメント・パークみたいなものよ!」
「歩くの?」
「・・・・・・・・・・・中は少しね」
「ボクもう限界。足が痛くて」
「・・・・・・・・・・・若くてキレイなお姉ちゃんが案内してくれるんだけどなあ」
「行きます、行きます! 絶対に行きます」
「足が痛いんじゃなかったの?」
「えっ、そんなこと誰が言いました?」
「言ったじゃないの、さっき!」
「足が痛いなんて言わないよお。足が・・・アッシが・・・そう、アッシが行きたいって言ったの」
「もう! ちょっと携帯貸しなさいよ!」

        源ちゃんが携帯電話を素早くハルカさんに渡す。ハルカさん携帯電話のキーを叩く。「あのー、予約お願いしたいんですけど・・・ええ、3人です・・・10時半ですか・・・はい、タクシーですぐ行きますから」 「あのー、ボクら3人だから、ハルカさん入れて4人じゃないの?」 「アタシはいいの! もう2回も見ちゃったんだから!」

        タクシーで忍者寺へ。正しくは忍者寺ではない。正式名称[妙立寺](みょうりゅうじ)。ところどころに仕掛けがほどこされているという古い寺だ。拝観料ひとり700円也を払い、本堂に入る。どうも30分刻みで入場を受け入れているらしい。10時半の回の入場者は、50人くらいの団体も入ったためか、全部で約100名。まず正面の本堂でテープが流れ、この寺のあらましが語られる。前田利家が建立したという、寺全体に外敵から護るための仕掛けがほどこされた、からくり寺。別に忍者が住んでいたというわけではないが、まるで忍者屋敷のような作りだという。

        10分ほどのテープを聴き終わると、いよいよ寺の中の見学だ。こんな大人数の見学者をどうやってさばくのだろうと思っていたら、15〜6人のグループ6つに分け、そのグループにひとり案内の女性がついてくれる。6つの出発点から同時に出発して、グルリと回るという、実に合理的なシステムが確立されていた。う〜ん、感心。それにしても前田利家は偉い。ちゃんと観光名所を残すんだもの。大河ドラマが放映される来年はもっと混雑しそう。

        詳しくはホームページを見てもらいたいのだが、残念ながらこれでは、このからくり寺の面白さがほとんど伝わってこない。まあ、あんまりホームページで面白く紹介してしまっては、興味半減なのだろうが・・・。落とし穴、二重扉、隠し階段など、実際に見れば、なるほど良く出来ているとびっくりするのだが。ここはまさにアミューズメント・パーク。実際に外敵に襲われたことはなかったみたいなので、けっこう血生臭い仕掛けなのだが、どこかホッとするところもある。

        一番興味を持ったのが、[自決の間]。敵に攻め込まれて、もう覚悟を決めた武士が自害するために設けられたという、隠し部屋だ。これは巧妙に組み込まれていて、寺の見取り図でもなければ分らない位置にある。窓もない四畳の部屋だ。元来、日本では四畳というのは死に繋がると言って、わざわざ4畳半にしたものだそうだ。それがここはもう死を覚悟した者が入るところということで、わざわざ四畳。なんだか、浅原彰晃が隠れていた第〇サティアンみたい。もっとも彼は、自害する気はなかったみたいだけれど。


May.13,2001 金沢、朝のお散歩

        午前4時半にホテルで目が醒めてしまうと、あとはやることがない。思いきってベッドから出て、散歩に行くことにした。カメラと金沢の地図を持って外に出る。

        とりあえずJR金沢駅を振り出しに、きのう行った近江町市場方向に歩いてみることにした。さすがに人通りが少ない。歩道を歩いていると、500円玉をひとつ発見! ほおら、早起きは500円の得!

        道の路地を入ったり出たりしているうちに、香林坊へ出た。前日に雨ノ森夫妻のあとをついていっただけでは分らなかった地理感覚が、ようやく理解できるようになってきた。香林坊の裏手の呑み屋街をうろつく。カラスの姿がだいぶ目につく。映画館が2軒あった。上映中の作品は、『ハンニバル』と『リトルダンサー』。日本の看板描き職人が描いた『ハンニバル』のアンソニー・ホプキンスのアップは、オリジナルよりも不気味。

        まだ店もほとんど開いていない。これからどうしよう。地図を眺めているうちに、金沢には、前日行った[ひがし茶屋街]とは別に[にし茶屋街]なるものもあるらしい。香林坊からはそんなに遠くない。歩いて行ってみるか。犀川を渡り、角を曲がってしばらく行くと、[にし茶屋街]に出た。

        こうやって写真で見ると、[ひがし茶屋街]と同じ、趣のある街並が続いているがごとく錯覚してしまうのだが、正直言って、これがもう[にし茶屋街]の全部と言っていい。[ひがし茶屋街]に較べると、拍子抜けするくらいに小さい。資料館もあったが、朝早すぎてまだやっていない。

        そのままフラフラと奥まで歩いていく。料亭らしき建物がいくつかある。突然、[野町]という鉄道の駅に出る。これは北陸鉄道石川線というものらしい。これに乗ってどこだが分らないところに行ってしまいたいという誘惑にかられる。そういうわけにもいかないか。

        道を引きかえして道路を渡り、今度は寺町をブラブラ歩く。[にし茶屋街]付近もそうだったのだが、このへん一帯は建物と道路の間にドブが流れている。道のあちこちで人が出てドブ掃除をしている。

        「このへんでは、毎週日曜の朝になると町会総出でドブ掃除なんですよ」という。お寺の前ではお坊さんがドブ掃除していたし、葬儀屋の前では黒のスーツを着た社員らしき人たちがドブ掃除をしていた。街の景観を護るためにわざと下水道を作らないのだろうか? ご苦労さまです。

        香林坊へ戻る。地図に従って裏の道を進んだら大野庄用水に出た。けっこう水の量が多い。特に[あめの俵屋]付近では流れが激しい。

        長町(ながまち)武家屋敷街へ出る。

        金沢という街は面白い。香林坊という最大の繁華街のすぐ裏に、こういった街並が残っている。観光タクシーに案内されてやってきたカップル。中国人の団体客。・・・んっ? この人たちは、どうやら台湾からの人たちのようだが、金沢あたりまで団体旅行が来るものなのかなあ。普通、日本観光なんて、東京、京都、奈良あたりがメジャーなとこでしょ。続いて富士山とか日光かなあ。金沢にまで足を延ばすなんて、もう日本観光をし尽くした人たちのツアーなんじゃないかなあ。

        なんてことを考えていたら、時間ももう9時を回っていた。街が動きだしている。源ちゃんたちも、もうさすがに起きたろう。ホテルへ戻りますか。


May.9,2001 アパホテル金沢駅前

        [たかむら]で食事してから、雨ノ森夫妻は「もう一軒行きましょうよ」と言い出す。もうお腹は一杯だったし、疲労の方も限界に来ていた。しかももう時間は9時。いいかげんでホテルにチェック・インしないと、もう来ないと見なされて部屋が無くなってしまうかも知れない。丁重にお断りして、ホテルへ行くことにした。「雨も止んだみたいだし、ホテルまで歩いて行こうかなあ!」と三人。「酔っ払っているんだからタクシーにしなさい!」と叫ぶハルカ。へへえんだ。こちとら最初っからタクシーにするつもり。いい気持ちで酔っ払ったように見せていたが、内心はもう疲労困憊。一刻も早くベッドの中に入りたい気分だった。

        タクシーの座席にヨロヨロと這うようにして乗り込む。雨ノ森夫妻も別のタクシーを止め、反対方向へ去って行った。源ちゃんは金沢は三回目。以前に来た時も、やはり市内を徒歩で引き摺り回されたそうで、「いやあ、田舎の人は足が丈夫だなあ。ボクみたいなひ弱な都会人には着いていけないね」。ほほお、岡山の半農半デザイナーがねえ。どうしても私は、源ちゃんに麦藁帽子を被せるとカール叔父さんをそっくりだと思うんだけどね。足、丈夫そう。

        雨ノ森夫妻は、金沢城址公園近くの白鳥路ホテルかKKRホテルを薦めてくださったのだが、こっちは近畿日本ツーリストの格安プラン[ザ・ビジネス]1泊2日往復飛行機代+ホテル1泊21300円で来ているのだ。ホテルを選ぶことは出来ない。私たちが泊まることになっていたホテルは、JR金沢駅徒歩1分の[アパホテル金沢駅前]

        ホテルにチェック・インして重かった荷物をベッドの上に放り投げると、まずは風呂だ風呂だ! 部屋のユニット・バスもいいけれど、なんだか侘しくていけない。幸い[アパホテル金沢駅前]には大浴場がある。エレベーターで最上階へ。あったあった、ありました。三人で浴槽に飛び込む。いやあ、いい気持ちだあ。旅の疲れが取れていくようだ。

        しかもこの大浴場、露天風呂付き。空を見上げりゃ、満天の星・・・という訳にはいかないか。なにせ、さっきまで雨が降っていたんだもんね。ひょいと見るとさらに上へ行く階段が見える。こういうの見ると、どうしても好奇心が沸いちゃうんだよね、私。トントントンと階段を上がると、そこは屋上。そこに、ひとり用の露天風呂が三つ。へへへへへ、いいねえ、いいねえ。これに、お銚子の一本でもあったら最高だね。湯船の上に立って塀から伸びあがるようにして見たら、JR金沢駅が見える。金沢駅を見下ろして、こっちはスッポンポンのハダカンボウ。

        大浴場に戻ったら、生嶋はもう疲れたから寝ると言って部屋へ帰ってしまった。私と源ちゃんは、人のいなくなった浴槽で、「トドだあ!」 「カバだあ!」と泳いで遊ぶ。いい年した中年男のやることじゃないね。


May.3,2001 雨ノ森夫妻の逆襲

        和菓子の[村上]で休憩をとったので、ビールの酔いは少し醒めてきた。雨ノ森夫妻の案内で、市内の見所を案内してもらうことになる。と、[村上]を出たところで。東京から持参の折りたたみ傘を取り出す。天気予報はやはり当たった。この日、全国的に晴れだったのだが、北陸地方だけが雨。日ごろの行いは良い方・・・悪い方なのかなあ、やっぱり。

        近江町市場をぬけて、尾張町へ。古美術、骨董、民芸品の店が目につく。残念ながら、この手のものにはあまり興味がないので、裏の路地の方へ。古い家並みが続いている。趣のある建物が見える。雨ノ森旦那の解説によると、これは[寿屋]という有名な料理屋だそうだ。築100年を越えているという。うわあ、こんな店で食事したいなあと思ったら、「ここの会席料理は8000円〜12000円するそうです」とのこと。う〜ん。高い! 「入ったことあります?」 「いや、こちらに赴任してきてから一度も。ランチは4200円だそうですがね」と付け加える旦那。おーい、ハルカぁ、転勤するまでに一度、旦那に連れてってもらいな!

        [寿屋]からちょっと歩いたところに、200万石の藩士だったという野坂邸が見えてくる。中は見せてもらえないそうだが、塀や門を見ているだけで時代劇の中に入っていってしまいそう。

        狭い路地をクネクネと抜けると、突如、川のほとりに出た。これが浅野川。

        そして、このへん一帯が主計町(かずえまち)だ。

        とても今が21世紀とは思えない風景がここにはあった。[木津屋旅館]という古い旅館が見える。こんなところに泊まってみたいなあと一瞬思ったが、やはり考え直した。老朽化していて、ちょっと怖い。

        主計町から、ひがし茶屋街へ。どういうことだ、これはもう映画撮影所の野外セットのようではないか!? 江戸時代から幕末にかけての映画が一本撮れるくらいのたたずまい。つかこうへいの『幕末純情伝』をここでライヴで見たーい!

        旅行者の勝手な言い分としては、ここで生活している人は、是非とも着物姿で生活していて欲しい。電気もガスもなし。メシは薪で竈で炊いて欲しい! 電灯はロウソク! 洗濯は洗濯板!・・・・・・・・無理だろうなあ。

        ひがし茶屋街をあとにして、雨ノ森夫妻は歩く歩く。どうやら、毎日のように市内を歩き回っているらしく、裏の道まで良く知っている。ところどころに古い民家が見え、それを眺めながら歩くだけでも、結構楽しい。雨は降ったり止んだりを繰り返している。こういう降り方が一番やっかいだ。降るならドーッとふりゃあいいものを。「金沢の雨って、こんな降り方が多いんですよ」と旦那。

        やがて、少々足が痛くなってきた。ハルカさんにはメールで「私は足には自信があります。どんなに歩いても平気です」と書いたのがアダとなってしまった。あとからタクシーの運転手と話したら、「金沢は気が付かないんですが、これでけっこうアップダウンが多いんです。それが歩いていて疲れるんでしょうね」とのこと。

        どこをどう歩いたのか、気が付くと兼六園に出ていた。兼六園の坂を登る。生嶋が私に囁く「いつまで歩かせるんだろうね。実はオレ、靴の中に雨が入ってきてしまって、さっきから気持ち悪いんだ」。源ちゃんが私に囁く「オレ、今年になって歩いた総歩数よりも今日は歩いている」。う〜ん、私もけっこうきつくなってきた。もう夕方である。当初の予定では、もうこの時間はホテルに入って風呂でもあびて、のんびりとベッドにひっくりかえっているはずであった。それがまだチェック・インすらしておらず、重い荷物を持ちながら、さらには傘までさしている。どうなっているのだ。これはどうも、連絡をすっぽかしていたことに対する雨ノ森夫妻の復讐なのではないかという気がしてくる。

        「ねえ、雨ノ森さんは、このまま私たちにチェック・インもさせずに夜遅くまで、金沢の街を引きずりまわすということなのだろうか?」と源ちゃんに訊ねる。源ちゃんも泣きそうな顔をしている。「うん、どうもそういうことみたい。とりあえず、ホテルには3時にチェック・インしますって言ってあるから、訂正して夜遅くなるむね、電話しなくちゃ」と言って携帯電話をプッシュしている。

        雨の兼六園は、それなりに趣があっていいのだが、私たちの疲労は限界に達しつつあった。しかも雨。重い荷物。ハルカさんをジッと見つめる。「あのう、いつまで歩き回らせるんでしょうか?」という思いを込めて。ハルカさんはニヤッと笑うだけ。お、鬼だこの人は! 「何言ってんのよ! このくらいでへこたれてどうすんの! さあ歩け歩け! 足に自信があるんじゃそうじゃないの! 金沢の生活を身にしみて教えてやろうじゃないの!」と目が語っている。

        兼六園をあとにして、金沢一の繁華街[香林坊]へぬける。道では[桜まつり]イベントの一環として、ステージが設けられ、知らない歌手が歌っている。テントで日本酒とさくら湯が無料で配られていた。こんなときには酒よりもさくら湯の方がいい。雨に濡れた体が少し暖まってきた。これに砂糖を少し入れてくれていたら、もっと疲れが取れたんだろうになあ。そんな情けない私たちの姿を察したのか、ハルカさんがついに許してくださった。ビルの地下の書店に隣接した喫茶店に案内してくれた。椅子にへたり込む。みんなはコーヒー。私だけはアイスクリーム。こう疲れちゃうと、私にとっては大好物のアイスクリームを食べるしかない。ここのアイスクリーム旨かった。疲れが少しづつ取れてきた。

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