December.27,2001 益田ミリさん、ありがとうございました

        ここしばらく、電話でウチの店の問い合わせが続いたのでどうしたのかと思ったら、なんと知らないうちにウチの店のことがタウン誌に載っていたのだ。月間『日本橋』という古くから出ているタウン誌。一応定価がついているが、商店の店先などで無料で置かれている。お客さんに聞かされて慌てて手に入れてみると、その12月号の最後に『益田ミリの人形町で一句』という連載があり、そこに載っていた。



        エッセイが載っていて、それに因んだ川柳が一句。さらにその上にイラストがあり、ウチの[ねぎせいろ]のことが載っている。ちょっと読みにくいと思うので書き出してみよう。

人形町2丁目 おそば屋さん『翁庵』 前に来て、場所を忘れて探してた店。ここの「ねぎせいろ」は幸せの味。
あつあつのつゆにつけて食べる。イカのかきあげがホントにうまい!!

        益田ミリ様、月間『日本橋』様、どうもありがとうございました。

        益田ミリという名前、川柳、そして可愛いイラストとエッセイ。あれ? どっかで見たぞと思ったら、毎号買っている『ダカーポ』に『つぶやき川柳』という連載を持っている人だということを思い出した。この連載は読者から川柳を募集し、優秀作を選んで益田ミリさんがコメントとイラストを添えるコーナー。毎号必ず目を通している。またネットでも益田ミリさんは連載を持っている。『益田ミリの熱々! 怒(いか)りング』。こちらもそのタイトルどおりの、ミリさんが最近怒っていることを軽いタッチで描いたエッセイと川柳で構成されている。ぜひご一読あれ。


December.23,2001 東武ワールドスクェア

        さして興味もなかったのだが、鬼怒川で泊まったホテルの真ん前が[東武ワールドスクェア]だったので、行ってみる気になった。ここは、世界の遺跡やら建築物を全て1/25スケールで再現してみせたテーマパーク。いやあ、バカにしてかかっていたのだが、一歩中に入ったらすっかり夢中になってしまった。順路に従って歩くと、まず目に入ってくるのは現代日本ゾーン。東京駅の周辺がミニチュアで再現されている。新幹線も中央線も模型の電車が本当に動いているし、アナウンスまで聞こえる。そして何よりも驚くのが街路樹の類。盆栽化してこれまた1/25スケールにして植えられているのだ。これが広大な敷地全てこの調子だから、この手入れだけでもたいへんな労力であろう。

        横浜港をイメージした池の先に見えるのは、アメリカ・ゾーン。そしてそこにはマンハッタンの自由の女神やエンパイア・ステート・ビルに加えて、かのワールド・トレード・センターも!



        おお! 今年の9月にテロにあって崩壊したワールド・トレード・センターは、まだここでは残っていた。そしてその下にはこんな立て札が立てられていた。



        さらには義捐金を募る貯金箱まで置かれているといった状態。うーん。ここ、東武ワールドスクェアではいつまでもこのワールド・トレード・センターを残しておいて欲しいなあ。

        とは言っても、エジプト・ゾーンを廻ってヨーロッパ・ゾーンへ抜けて先ほどのアメリカ・ゾーンを見ると、手前がヴェルサイユ宮殿で、その先にワールド・トレード・センターがそびえ立ち、さらにその向こうはまだ紅葉の残った鬼怒川の山々というのは、摩訶不思議な光景ではないか!



        30分もあれば見尽くしてしまうと思っていた予想は大きくはずれ、あっという間に1時間以上が経過してしまった。「いかん、いかん、もう帰らなければ」とアジア・ゾーンを早足で通り抜けていると、ちょうど開催中のアートパフォーマンス・ショウに遭遇してしまった。全身白塗りで白いコスチュームを着た男女が歩いている。



        顔は無表情で、どちらかというとかなり不気味。このふたり何を思ったのか突然に走り出した。びっくりして逃げ惑うお客さんたち。そりゃ逃げるよ。さらには逃げ遅れた乳母車の幼児とお母さんのところに行くと、幼児の頭をナデナデ。凍りつく親子。幼児はあまりのことに声も出ない。ポカーンと口を開けていた。これがトラウマにならなければいいのだけれど・・・。


December.20,2001 ありがとうございました

        本日、明治座千秋楽。今月は梅沢武生劇団公演でした。梅沢登美男様、前川清様より注文をいただき、楽屋まで出前させていただきました。ありがとうございました。

        今月は連日の超満員。私の知人も多く見に行きまして、口々に面白かった、大笑いしたと、たいへんに評判のいい公演でした。来年は私も是非拝見させていただきたいと思っております。


December.4,2001 初めての鬼怒川温泉

        鬼怒川温泉に行ってきた。東武線沿線の日光や川治温泉には何回も行っているのだが、考えてみたら鬼怒川にはまだ行ったことがなかったのだ。東武浅草駅に付随している松屋デパートの食品売り場で弁当を買ってからスペーシアに乗ろうと思っていたのだが、お目当ての[大増]も[常盤軒]もほとんど売り切れ。なーんにも在庫がない。そ、そんなバカなあ。まだ昼の12時をちょこっと回ったばかりの時間だというのにどうしたこと? 今度はいつ入荷するのかと尋ねたら「2時半ごろになります」との答。昼時に弁当の在庫がないというのは、どうしたわけか。仕方なくひとつだけ残っていた[松茸弁当]を買って車中の人となる。

        弁当を食べ、缶のお茶を飲んで、さあて鬼怒川までは寝ていこうと思っていたら、通路を挟んだ隣の席が40代の女性の四人組。座席を向かい合わせにしてビールを飲み、雑談に夢中だ。学生時代の同級生同士らしい。ペチャクチャペチャクチャその喧しいこと。話題は自分たちの小学生の子供のことが中心だ。給食のオカズがどうだのこうだのという話題で盛り上がっている。車内での携帯電話の使用を注意するくらいなら、眠って移動していたい人のことを考えて、「車内では他の人の迷惑にならぬよう、お静かに願います」となぜ放送できない。もっとも、そんなことを放送したところで素直に従う連中ではないのだが。

        鬼怒川温泉駅到着後、駅前をブラブラするがなーんにもなし。お土産屋が数軒とコンビニがあるだけ。あとはみーんなホテルと旅館。チェックインの時間にはまだ早いのだが、タクシーに乗ってこの夜の宿泊先[ホテルハーヴェスト鬼怒川]へ。東武の息がかかっている鬼怒川だが、鬼怒川でも外れの方に位置するこのホテルは東急系だ。隣に建っているリゾートマンションと一体になっていて、リゾートマンションの住人もこのホテルの設備である風呂やプールを利用しているらしい。

        日が暮れるまではまだ間があったので、ブラリと散歩に出ることにする。「鬼怒川の川を見たいのだが」とフロントマンに尋ねると、「萬年橋から眺めるといいでしょう」と行き方を教えてくれた。のんびりと歩きながら言われた方向へ歩いていくと、お年寄りの女性とすれ違った。「どこから来なさった?」 「東京です」 「私も若いころは浅草へ髪結床の修行に行ってたんですよ。修行を終えて、こちらに戻ってきた翌日に東京は大空襲にあって、あのとき東京に残っていたら死んでいたかもしれない」と長々と身の上話を聞かされてしまった。まあいいか、急ぐ旅でもなし。のんびりしよう。

        お年寄りと別れて道を下っていくとフロントマンが言っていた萬年橋に出た。自動車がようやくすれ違える位の狭い橋だ。そこから川を眺める。深い谷の底に川が見える。山の木々はまだ紅葉が残っていた。



        しばらく眺めていたら、寒くなってきた。ホテルへ引返すことにした。途中、小学生位の女の子が犬を散歩させながらこっちに駆けて来る。見ず知らずの私に「こんにちわー!」と声をかけてくれた。私もうれしくなって「こんにちわー!」と言葉を返す。元気で明るい女の子に逢えたことでますます気分がよくなり、ホテルへ帰る足取りも軽い。

        プールへ行ってみたが、さすがに家族づれが多いらしく、プールは子供でいっぱい。とても泳ぐといった余地はなさそうだ。風呂に入ってのんびりすることにした。ここの風呂はジャグジーやら、打たせ湯やら、寝湯やら、露天風呂やらいろいろとあって飽きがこない。風呂でボンヤリとして、部屋に帰って本を読み出した途端にウトウト。日ごろの疲れが取れていくようないい休暇になった。


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