November.29,2004 ありがとうございます

        本日、明治座千秋楽。今月は藤田まこと座長公演『夫婦善哉』でした。藤田まこと様、中村玉緒様、正司花江様、穂積隆信様、雁龍太郎様、田中綾子様他の皆様から出前の注文をいただき、楽屋までお届けいたしました。ありがとうございます。


November.19,2004 脳のMRI検査

        3年前に緑内障という病気をやって以来、半年に一回のペースで大きな病院に出かける生活を続けている。今年に入って、私の担当医が自分で街に眼科病院を開業したので、別の先生が担当になった。新しい先生も親身に診察をしてくださる方で、この先生ならお任せできるだろうと安心した。

        この一年で私の視力は格段に落ちてしまった。軽い近視であったのだが、それがかなり悪化している。普段はメガネをかけないでも、それほど不自由を感じなかった。街を歩いていても看板の文字はちゃんと読めたから駅の案内板などはメガネ無しで見ていた。ところが、最近は前から歩いてくる人の顔がよく見えない。向こうで私の姿を識別して挨拶をしているようなのだが、私には前から近づいてくる人が誰なのか相当目の前まで近づかないとわからない。

        それでも、そんなに気にしなかったのだが、今まで使っていたメガネをかけて芝居を観ていると役者の顔がはっきりとは見えないのに気がついた。眼科で視力検査をしてもらって愕然としたのは、視力検査のボードの一番大きな文字がすでに見えなくなっていることなのだ。「えっ!? 一番上の文字が見えないんですか?」と言う看護士さんの言葉に何と答えていいかわからない。それほど私の視力は悪くなっていたのだ。

        その結果に担当の先生は気がついて、「随分と視力が落ちていますね・・・・・脳の病気が関係していることもありますので、一応、脳のMRI検査を受けてくれますか」と言う。実はここ数年、妙な頭痛がしたりしていたので脳の検査はしたいと思っていたので、これはいいチャンスだと思った。それでも脳腫瘍などあったらどうしようという不安が湧いてくる。

        予約を入れてくださいとのことなので、午後4時からの予約を入れた。この時間帯は私にとってはいつも昼寝をしている時間なのだ。MRI検査とは横になったままトンネルのようなものの中に入れられて、あとはジッとしていればいいらしい。昼寝に来たつもりで横になっていよう。きっと眠っているうちに検査は終わってしまうに違いない・・・・・と思ってたのだが・・・・・。

        当日、昼の仕事を終えた私は病院に向かった。総合受付を済ませ、検査室への長い廊下を歩く。検査室受付で書類を渡すと、隣の更衣室に案内された。ここで服を脱ぎ、検査着と呼ばれる、頭からスッポリ被る白い服を着る。持ち物は全てロッカーに入れ、MRI検査室の前に移動。ここの廊下で予約の時間まで待たされることになる。廊下にはベンチがあり、雑誌が数冊置かれていた。どれを読もうかと物色してみたのだが、なぜか女性誌しか置いてないのだ。どうやら看護婦さんがボランティアで自分が読んだ雑誌を置いておいてくれているらしいのだが、「夏の日焼けからお肌を守る三原則」やら、「今年流行の春のファッション」などといった記事にはまったく関心が湧いて来ない。唯一、女性向けではあるが週間の情報誌があったので、映画欄などを読んでみようと思ったら、もう一年も前の雑誌だった。

        時間が来て、検査室に通される。耳栓を渡され、「それを耳に入れてください」と言われた。「MRIの機械の中は騒音がしますからね・・・・・まあ、耳栓をしても聞こえちゃいますけど」 どうも熟睡するわけにはいかないようだ。

        ベッドの上に仰向けに横になり、頭を所定の位置に固定する。するとさらに目の前には仮面のようなものがスライドして固定され、さらには頭が動かないようにと布のようなものを詰められた。「このあと目の検査もありますから、目は瞑っていてください。では20分ほど辛抱してくださいね」 目を瞑るとベッドはトンネルのような箱に入れられていくのがわかる。

        「さあ、寝るか」と眠る体勢に入った。私は少々の騒音など物ともしないで眠れるのだが、これはさすがに眠れなかった。これはまさに騒音の世界。最初はそのうるささに辟易していたのだが、そのうちにこの音が面白くなってきた。道路工事のような音がしたり、なにやら近代音楽のような、不規則なリズムが聞こえてきたりする。このあとどんな展開があるのだろうかと面白くてしょーがない。

        20分間は、それこそ「あっ」という間に過ぎていった。「お疲れ様でした」と言う看護婦さんに、「いやあ、面白かったですよ」と答えると、笑っていた。

        二週間後、検査の発表。眼科の部屋の前で待っていると、私の順番の前に担当医が電話をしているのが聞こえてきた。脳神経内科がどうたらこうたらという言葉が入っているので耳を澄ませていたのだが、専門用語が多くてなんのことやらわからない。やがて名前を呼ばれたので部屋に入った。パソコン上の検査結果をしばらく眺めていた先生、「異常ないですね」

        こうして、私は無罪放免となった。頭痛は単なるストレスらしいし、物忘れが激しくなったのも歳のせい、視力が落ちたのも歳のせい。そしてバカは死ななきゃ治らないということらしい。


November.6,2004 街のチラシ配り

        街角でチラシ配りをしている人の姿をよくみかける。私の住む街は今、マンション建築ラッシュで、駅前ではいつも新築マンションの広告チラシを配っている。そんなものにはまったく興味ないので受け取らないで通り過ぎてしまっていた。中にはポケット・ティッシュ付きで配っているのもあるが、花粉症の時期以外には、ポケット・ティッシュくらいでは受け取る気にもならなかった。

        私も街角に立って、チラシ配りをやったことがある。店の広告チラシを駅前で、通勤してくるサラリーマンに手渡すのである。当事は今のように受け取りを拒否する人も少なく、用意しておいたチラシは、あっという間に無くなった。その後も何回かチラシ配りをやったが、年々受け取ってくれる人の割合は減っていったような気がする。

        受け取る側からすると、興味のないチラシは単なるゴミになり、捨て場所にも困るといった迷惑千万なものである。学生時代にはキャンパスに入ると、校門で学生運動の連中がアジビラを配っている。あまり学生運動に関心がなかった方ではあるが、一応受け取って読んだ。わからな〜い。何が書いてあるのかわからな〜い。あまりに毎日のことであるので、そのうちに受け取らなくなってしまった。それでも強引に渡そうとするので困って、いい事に気がついた。両手がふさがっていれば相手は手渡すことが出来ないのだ。こうして、両手でふたつのバッグを持ち歩くということをしていた時期がある。荷物の無いときには腕を前で組んで通り過ぎる。そうすると相手は強引に、こちらが組んだ腕の中にアジビラを挟み込んでくる。根性でしたね。

        学校を卒業して就職した会社では、ロックのコンサート会場の前で、自分のところが演るコンサートのビラ撒きをやらされた。ロックのコンサートといったら武道館と決まっていた時代で、九段下の駅から武道館に曲がるあたりの角に立ってチラシを配る。当然ロック好きの人たちばかりだから、チラシは、よく受け取ってもらえた。コンサートが開演すると私達も引き上げ。中には渡したチラシを道路に捨てていく人がいる。これが一枚でも落ちていると武道館側からクレームが来るから、武道館までの道を辿り、落ちているチラシは全て拾って歩いた。

        最近は、ファースト・フードの割引券付きのチラシ以外は頑として受け取らないという態度を取り続けていた私だが、ふと気が変わってきた。最後に店のチラシを撒いたときには、受け取ってくれる人の割合が減って、私が手渡そうとしても、なかなか受け取ってくださる人がおらず、予定の枚数がはけるまで、かなりの時間を要するようになっていた。あのときの悔しさもあって、「じゃあオレも受け取らないぞ」と決めていたのだ。いつからそんなに考え方が小さな人間になってしまったのだろう。受け取ってもらえなかったという嫌な経験があるなら、反対に気持ちよく受け取る側になろうじゃないかと考えが変わってきたのだ。

        配っているチラシは原則として何でも受け取る。興味のないものでも一応は目を通しながら歩くふりをしてみせる。そうすると、相手は最近「ありがとうございます」という返事を返してくれる人もいる。これが気持ちがいいのだ。チラシ配りのみなさん、受け取ってくれた人には「ありがとうございます」の一言を忘れずにね。これに気を良くした私は、ポケット・ティッシュや試供品付きのチラシを渡してくれた人には、こちらから「ありがとう」と言うことにしている。

        中にはチラシやティッシュを二つずつ渡している人がいる。どうやらノルマを早く終わらせたいと思っているらしい。そういう場合は、ひとつ返してやることにしている。「二つはいりませんから」と言って。


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