February.28,2005 ありがとうございます

        本日、明治座千秋楽。今月は川中美幸座長公演『引越大名』(宮川一郎『徳川おんな絵巻』より)でした。東てる美様、青山良彦様、中村竜三朗様他の皆様からご注文をいただき、楽屋まで出前させていただきました。ありがとうございます。


Februaty.6,2005 肥満と私

        自動回転ドアに子供が頭を挟まれて死亡するという事故が起こったというニュースがあった。それとは関係ないのだが、私が10年ほど前にニューヨークへ行ったときのことだ。おのぼりさんよろしくエンパイアステート・ビルに登った。ここはまさに絶景だった。よく晴れた日だったこともあり、ニューヨーク中が一望のもとに眺められた。30分ほど飽きずに眺めていたと思う。さてホテルに戻ろうかとエレベーターで1階まで降りた。外への扉は回転ドアになっていた。私は前の人が入ったあとに回ってきた空間に入って自然にドアが回転するのにまかせた。半回転で外に出たところで、背中を強烈な力で、どやされた。その勢いに前につんのめってしまった。振り返るとそこにはスーパーサイズの女性が仁王立ちになって、私に向かって怒鳴っているではないか。どうも彼女はアメリカの地方からやってきたツアーの一団のひとりらしい。この女性が早口でまくし立てる英語はさすがに何を言っているのかわからないが、ようするにこの女性、私と同じ空間で回転してきたらしい。「もう少しで挟まれそうになった。危ないじゃないの!」と言うことらしい。

        私は小さなころ、回転ドアの空間には一人ずつ入るようにという教育を受けたおぼえがある。私はそれを守って前の人が入った次の空間に身体を入れたのである。小さな子供ならいざ知らず、アメリカの回転ドアがいかに大きく作ってあるとは言っても、スーパーサイズのオバチャンが一緒の空間に乗り込んでくるのはムチャというものだ。

        『スーパーサイズ・ミー』という映画を観るとわかるが、あの10年前に行ったアメリカでもすでにスーパーサイズのアメリカ人の数は随分といた記憶がある。

        恥を曝すようだが、私は小学校、中学校を通して、肥満児だった。あだ名の一部に、ありがたくない動物の名前が含まれていて、それがコンプレックスになっていた。それでいて偏食児でもあった。肉は加工肉(ハム・ソーセージ)以外は嫌いで食べられなかった。魚も一部(さんま、鮭、蝦など)を抜かすと、ほとんど食べられなかった。野菜にいたっては、そのほとんどが嫌いだった。どうも食べすぎというよりは、その偏った食生活がいけなかったのかとも思ったが、歳へ減るごとに、何でも食べられるようになり、中学生に入ってからは嫌いなものは無くなり、何でも食べられるようになっていた。それでもなぜか痩せなかった。

        転機が訪れたのは高校1年の夏だった。ここで私は大怪我をしてしまう。高校1年の夏休みを丸ごとフイにして入院生活を送ることになる。食事はほとんど流動食で過ごさざるを得なかった。1ヵ月半ほどの入院生活を終えて開放されると、私の体重は17Kgも落ちていた。それまで穿いていたズボンはダブダブで穿けなくなり、学生服もやけに不恰好になっていた。

        入院生活は嫌だったし、着るものが無くなってしまったのにも参ったが、私は生まれて初めて痩せた肉体というものを手に入れることが出来た。その喜びといったらなかった。出っ張っていた腹はぺったんこになり、肋骨は浮かんで見える。これなら裸になってもみっともない思いをしないで済む。こうして私の一番多感な青春時代は、スリムな肉体をキープできていた。

        しかし、もともと太りやすい体質らしい。不思議なことに、1年に1Kgのペースで体重は、また増加していった。こうして30代前半で、また小太り体質に逆戻りしてしまった。

        次に転機が訪れるのが40代に入ってから。ドクター・ストップがかかった。健康診断の結果、高脂血症、脂肪肝との診断が下った。「痩せなさい」ということだ。こう言われないとやらないのが私の悪いところ。食事を和食中心に切り替えた。そして揚げ物の類は避けるようにした。もちろんマクドナルドにも行かなかった。この効果があってか、私の体重は、また4ヵ月かかって6Kg減った。鏡を見ると頬がこけているのがわかる。やっぱりダイエットはそれなりの努力なんだなと思う。

        で、今の私はどうなのかと言いますと・・・・・また少しずつ増量中でありまして・・・・・(汗) はい。そろそろまたダイエットしなければいけないのだけど・・・・・。


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